韓国の市民団体、北韓人権市民連合からの最新情報です(「生命と人権」最新号の原 稿を翻訳したもの) 長文ですが、脱北者問題に興味のある方は是非お読みください、 UNHCR,お前らなにやっとんのじゃ。後ロシアと中国、こういう非人道的な国が あるから北朝鮮問題解決できないのです。 7人の脱北者強制送還事件の再検証* 社団法人北朝鮮人権市民連合調査要求チーム 目次 I.はじめに II.7人の脱北者事件の概要 1.事件の日時および北朝鮮人権市民連合の活動 2.国連人権理事会の書面質疑および北朝鮮側の応答 3.7人の脱北者へのインタビュー内容 III.新たな証言者たち 1.キム・スチョル 2.キム・サンウォン 3.キム・ウンチョル IV.結論および提案 I.はじめに 2000年初め、21世紀という新しい世紀の入り口に、世界は北朝鮮人権問題の深刻さを 認識し、脱北難民の人権保護のために国際的協力のメカニズムを構築する必要性を痛 感することになる一つの大事件を目撃することとなった。 1999年秋(11月)、中国でロシアとの国境を越えて韓国行きを企図していた脱北者7名 がロシア国境守備隊により逮捕され、UNHCRが難民としての地位を付与し、国際社会 が大きな関心を寄せたにも関わらず、1999年12月30日ロシアは彼らを中国に送還し、 2000年1月12日に中国から北朝鮮に再度強制送還されたという初めての事件が発生し たのである。 この報告書は北朝鮮人権問題に対する国際社会の高い関心を引き起こす歴史的な契機 となったが、現在までも多くの疑問点とともにベールの中に隠されていた「7人の脱 北者事件」を再検証して、新たに得られた証言をもとに2001年4月5日、北朝鮮が国連 人権理事会に提出した29項目からなる「書面質疑応答」の虚偽性を指摘し、ウィッ ティ・ムンタポン特別報告官に対して、北朝鮮側に明確な解明とともに生存者らに対 する人権保護を促すための参考資料として作成されたものである。 II.7人の脱北者事件の概要 1.事件の日時および北朝鮮人権市民連合の活動 ・1999年11月10日、ホ・ヨンイルら脱北者7名が中国からロシア国境を越えてロシア 沿海州国境守備隊に逮捕される。 ・1999年11月10日〜12日、ロシア「沿海州国営放送(OPT)」が事件を最初に報道す る。 ・1999年11月12日日本「産経新聞」がこれを受けて大きく報道する。北朝鮮の人権市 民連合は12日付け産経新聞の報道を日本の協力者から提供される。 ・1999年11月15日北朝鮮人権市民連合はボリス・イェリツィンロシア大統領に産経新 聞の記事原本および英語の翻訳文と一緒に彼らが望む通り韓国に送るか、ロシアに留 まるようにしてくれるように要請する内容の書簡を送ると同時に、その複本をUNHCR およびAmnesty International(以下AI)に送付した。 ・1999年11月23日北朝鮮人権市民連合はUNHCRからこの事件を関係部署に委任したと いう知らせを受ける。 ・1999年12月1日、北朝鮮人権市民連合はロシアの沿海州国営放送局から脱北者7人 の逮捕過程を取材したフィルムを緊急入手し、12月1日から3日間にわたり開催された 「第1回北朝鮮人権・難民問題の国際会議」の開会式で上映する。その際、外国から 来た人権運動家たちと学者たち、そして在韓外国大使館の参席者たちを含む約500余 人の聴衆がこのフィルムを視聴し、国際会議が終了した翌日、国際ネットワークメン バーであるカナダのアレクサンダー・エプシュタイン弁護士はこのフィルムを本国に 持ち帰り、カナダ政府がこの事件を注視するようにし、もし彼らの韓国行きが不可能 になった場合カナダに連れて行けるよう手配したという連絡を受けた。 ・1999年12月初め。UNHCRはこの脱北者たちと直接面談した後、「難民」であると判 定し、彼らの「第三国行きの希望の有無」を確認した後、国際赤十字社発給の旅行書 類と韓国への入国ビザを準備し、ロシア政府に対して出国ビザの発給を要請する。 ・1999年12月6日、韓国の当時のホン・スニョン外交通商部長官は国会外交通商委員 会の質疑・応答の中で彼ら7人の脱北者たちがUNHCRの積極的な協調により、韓国行 きが確実視されたと明らかにした。 ・1999年12月8〜18日、ロシアはUNHCRを通じて脱北者たちに有効期間10日の出国ビザ を発給したが、結局彼らは韓国に入ることはできなかった。10日間のビザ有効期間が 満了し、引き続いてロシアに抑留されていた。 ・1999年12月23日、韓国政府がロシアの外務部に確認した結果、ロシア側は「行政職 員のミスで脱北者にビザが発給されて、職員を問責した」と答弁したことが明らかと なった。 ・1999年12月27日、当時韓国のイ・インホ在露大使はロシアのカラシン外務次官と面 談中にこの問題を協議したが、カラシン次官は「当面は特別な措置がない」との言質 を与えて、韓国政府はこれによってただちに問題が解決するという希望的な感触を抱 いた。 北朝鮮人権市民連合は同日、7人の脱北者のドキュメンタリーテープ18巻を国連難民 高等弁務官室(UNHCR)、国連次官高等弁務官室(UNHCHR)、国際赤十字社(ICRC)、そし て国際赦免委員会(AI)など、国際人権機構および団体を含む本会議の国際ネットワー クのメンバーたちにそれぞれ郵送する。 ・1999年12月30日、ロシアは脱北者7人を中国に送還してしまい、このニュースは強 制送還した後になってロシアの国境守備隊側が在ウラジオストック韓国総領事館に通 報したことから明らかとなった。 ・2000年1月4日、韓国のホン・スンニョン外交通商部長官は中国のタン・ジャーシュ エン外交部長に協調要請の書簡を送り、6日、韓国の外交通商部の特殊政策室長は彼 らが中国に強制送還されたことを非公式に発表する。 ・2000年1月7日、在韓ロシア大使エフゲニー・アファナシエフ(Evgeny Afanasiev)氏 は「コリアヘラルド」を通じて、「7人の脱北者の中国送還の事実」を明らかにし、 「ロシアの法律によると不法越境者は国境を越えた国に再び帰さなければならない」 と発言しながら、「7人の脱北者に会ったUNHCRの代表が彼らに公式の難民としての 地位を付与したことはない」と主張する。これに対して北朝鮮人権市民連合は在韓ロ シア大使のこのような発言の事実があるか確認するため、この記事をUNHCRスイス本 部およびモスクワの事務所などに送ると同時に国際社会が7人の身辺を心配してい て、彼らの安全を保証することも求める内容の書簡を中国政府に送付することを国際 ネットワークのメンバーに要請する。 ・2000年1月8日、北朝鮮人権市民連合は在韓外国大使館17カ所に中国に送還された7 人が北朝鮮に送還されないように協調することを依頼する書簡を発送する。 ・2000年1月10日、韓国のホン・スンニョン外交通商部長官はエフゲニー・アファナ シエフ在韓ロシア大使を呼び、この問題に対する遺憾の意を表明することもあった が、以前の状態に戻すにはすでに遅すぎた。ロシア大使は「出国ビザの発給は行政手 続きの過ちであり、ロシア−中国国境を脱北者たちの韓国行きルートとして利用する ことは容認できないし、このような先例を作ることができないとするのが基本的立場 である」と重ねて協調し、「ロシア−中国国境条約にもとづいて、彼らを中国に送還 した」と明らかにした。これに対して、北朝鮮人権市民連合は中国の江沢民主席に書 簡を送り、ロシアから送還された7人の脱北者を北朝鮮に送還させないよう訴え、彼 らに難民としての地位を付与するように要請した。 ・2000年1月11日、中国の朱邦造外交部スポークスマンは「脱北者7人は難民ではな いし、中国国内の関連法により処理するが、人道主義的観点と韓半島の平和と安定の 維持を考慮する」という方針を発表した。 ・2000年1月12日、中国政府は脱北者7人を北朝鮮に強制送還する。 ・2000年1月12日、ロシア人権新聞「Express Chronicle」の編集長であるアレクサン ダー・ボドゥラビネク氏はこの事件について遺憾の意を表明し、彼らに関する記事を 人権新聞に掲載するために北朝鮮人権市民連合に写真を送る要請をしてきたことに応 えて、本連合は送還された7人の写真を提供する。国際ネットワークのメンバーであ るカナダのアレクサンダー・ウェプシュタイン弁護士はスイス、フィンランド、ノル ウェー、デンマーク、スウェーデン、カナダ、ドイツ、フランス、オーストリア、ア イルランド、日本、オーストラリア、南ア共和国、英国、米国、インドネシア、ポー ランド、ハンガリー、ウクライナ、スロヴァキア共和国など20カ国の外務長官に北朝 鮮に送還された脱北者7人の安全を要請する書簡を北朝鮮政府に送るよう要請する書 簡を送る。 ・2000年1月13日、北朝鮮人権市民連合の国際ネットワークのメンバーである米国の 国立民主主義基金(National Endowment for Democracy)のカール・コシモン会長は国 連駐在日本大使である佐藤行雄氏に国連難民弁務官である緒方貞子女史に会い、7人 の脱北者問題を取り上げることを提議し、本連合が提供した資料を渡した。これに対 して佐藤氏はこの問題の深刻さをすでに認識しており、緒方貞子女史に会った席でこ の問題を提起することを約束したと知らせてきた。 ・2000年1月14日、北朝鮮人権市民連合は国際ネットワークのメンバーである米国の 防衛フォーラム財団(Defense Forum Foundation)のスザンヌ・ショルティ会長は金正 日委員長に7人の事件に対する憂慮を表明する書簡を発送する一方、米国の米国上院 議員、グレイグ・トーマスを始め、10人の上下院議員と米国の国務省関係者および言 論人たちに対してこの事件に注目することを要請し、さらに中国とロシアで棚上げさ れたままになっている脱北難民問題の重要性を直視するよう要請する。 ・2000年1月19日、北朝鮮人権市民連合は東亜放送大学と共同主催して脱北者支援慈 善コンサートを開催し、7人の事件に関するビデオを上映した。この日の夕方、 KBS-2TV「ニュース・トゥデイ」で7人の脱北者がまだ中国にいるときに撮影した フィルムの一部を17分にわたり大きく扱い、KBSは23日の日曜日KBS-1TVの日曜スペ シャルで全体の内容を放送する予定であることを明らかにした。 ・2000年1月21日、米国の「Los Angeles Times」は7人の事件に対する記事を大きく 扱い、米国企業研究所(AEI)の客員研究員であるジョシュア・ムラビチク氏はニュー ヨークにいる北朝鮮代表部に7人の安全を憂慮する書簡を送る。 ・2000年1月22日、KBS-1TVが予告していた日曜スペシャルの放送を突然取り消す。こ れに対して北朝鮮人権市民連合は予定通り放送することを要請するキャンペーンをE- メールとKBSのウェブサイトの掲示板に載せる形式で実施したが、結局放送されな かった。 ・2000年1月23日、北朝鮮人権市民連合は7人の事件に対する19日付けのニュース・ トゥデイの放送分を録画したフィルムのコピーと内容録取本を英訳して国際ネット ワークのメンバーたちを含む約35団体および個人に郵送し、BBCとCNNなどにも配布す る。 ・2000年1月28日、国際ネットワークのメンバーである米国のジャック・レンドラー ・オローラ財団の事務総長は米国国務省の人権次官補および米国内の代表的な人権団 体5カ所の関係者に会い、7人の事件と脱北難民問題全般について注目するよう要請 する。 ・2000年2月2日、在韓ロシア大使館のV.シューヒニン参事官は7人の事件に対するロ シア政府の立場(脱北者は不法越境者であり、ロシア領土が彼らの脱出経路として利 用されることを望んでいないという立場)を説明する書簡を北朝鮮人権市民連合に 送ってきた。 本会はこの書簡をUNHCRなどを含む国際人権団体および国際ネットワークメンバーた ちに送る。 ・2000年2月3日、北朝鮮人権市民連合の国際ネットワークのメンバーであるイタリア 出身のフリーランス、モリチオ・キュリアーノがイタリアの外務長官に送った7人事 件に対する質疑書を英訳して国際社会に配布する。 ・2000年2月19日、米国のワシントンポスト紙は「在中脱北者の身辺不安、強制送還 に対する西側諸国の沈黙」という表題の記事で7人の強制送還を「国際法違反」であ ると強調する。 ・2000年2月22日、日本の「統一日報」、「文化日報」が北朝鮮に強制送還された7 人の脱北者のうち、一人が奇跡的に脱出したと報道する。北朝鮮人権市民連合はこの 報道を国際ネットワークのメンバーたちに伝えたが、当時この報道の信憑性は確認で きなかった。 ・2001年4月5日、国連人権理事会は北朝鮮側で1999年12月25日に提出した「2次定期 人権報告書」と連携し書面質疑を通じて「7人の脱北者事件」について解明すること を北朝鮮側に要求する。 ・2001年7月19日、北朝鮮側のシン・ヒョンイル代表が第72次国連人権理事会、19944 回会議に出席し、「29項目の書面質疑」について答弁する。 ・2002年2月9日、北朝鮮人権市民連合と日本実行委員会が共同主催して、東京で開催 した「第3回北朝鮮人権難民問題の国際会議」で行方が確認されなかったキム・ウン チョルが再び逮捕され、耀徳収容所に収監されたという情報を含んだドキュメンタ リーを制作し、上映する。以後7人の脱北者が送還された1月12日前後にキャンペー ンを毎年継続的に展開してきた。 2.国連人権理事会の書面質疑および北朝鮮側の応答 2001年国連人権理事会は質疑書面を通じて、北朝鮮側に「7人の脱北者」事件に対す る解明を要求した。北朝鮮は1981年に加入した「市民的・政治的権利に関する国際規 約(B規約)」によって1983年の最初の報告書を提出し、1984年の追加報告書を提出し て以来、定期報告書の提出義務を履行しておらず、16年ぶりに1999年の12月25日「2 次定期人権報告書」1)を提出しておいていたが、2001年の4月5日、国連人権理事会は 2次報告書と連携して、書面質疑2)を通じて北朝鮮側に「7人の脱北者事件」と関連す る質問項目を含め北朝鮮側に対して誠実な対応を要求したものである。 「14.ほかの国に亡命してから強制送還された公民たちを法的、もしくは実際にどの ように処理したのか説明してください。また2000年1月に中国から送還された7人の帰 国公民たちの現在の状況について説明してください。」 これについて、シン・ヒョンイル北朝鮮代表は2001年7月19日、1944回目の集まりに 出席して、北朝鮮は「29項目の書面質疑」3)に対して答弁した。 1) Second periodic report of the Democratic People’s Republic of Korea on its implementation of the International Convention on Civil and Political Rights. CCPR/C/PRK/2000/2. 2) List of Issues: Democratic People’s Republic of Korea. CCPR/C/72/L/PRK. 3)Summary Record of the 1944th Meeting: Democratic People’s Republic of Korea. その内容はつぎの通りである。 <表1>2000年1月中国から送還された人々の現況(北朝鮮による説明) 氏名 住所 現在 ホ・ヨンイル 現在教化中 9年の労働教化刑 バン・ヨンシル 現在教化中 5年の労働教化刑 リ・ドンミョン 平壌市万景台区域七曲3洞 国家体育指導委員会重建機関労働者 チャン・ホヨン 平壌市万景台区域チュクチョン1洞 万景台教区備品工場労働者 キム・ガンホ 咸興市東宣区域ソサン洞 咸興市建設事業所労働者 キム・ソンイル 咸鏡南道端川市港口1洞 高等中学校生徒 「私たちはほかの国に亡命しようとする人達について、法的、実質的に関与しない。 双方人道協定によりほかの国から受け入れた人達は該当機関の調査を通じて密輸など の犯罪との関連がない場合は、法的や実質的に問題視しない。2000年1月の中国から 送還された人達は7人ではなく、6人である。」 彼らの現在の状況を上の<表1>(報告書原文−表5)の通りである。 しかし、このような説明にはつぎのようなすっきりしない疑問点がある。 最初の疑問点は「7人のうちの1人であるキム・ウンチョルの行方がどうなっている か」という点である。2000年2月22日、日本の「統一日報」、「文化日報」が北朝鮮 に強制送還された7人の脱北者のうち1人が奇跡的に脱出したと報道したものであり、 北朝鮮人権市民連合はこの報道を国際ネットワークのメンバーたちに伝えることは あったが、この報道の真偽については長い間確認する方法がなかった。 2つ目の疑問点はほかの6人の処遇に関する北朝鮮側の説明をそのまま信ずることがで きるか、という点である。北朝鮮当局は「6人中、ホ・ヨンイルとパン・ヨンシルの2 名は咸鏡北道のある倉庫で盗みを働き、火を放ち、国家に対して10億ウォンに達する 損失を与えた罪で各々9年と5年の労働教化刑を賦課され、残りの4人は職場と学校に 戻して、現在正常な生活を送っている」と説明した。しかし、当時北朝鮮の為替 (1$=2.15ウォン。2001年12月現在)を考えると、4億6000万ドルを超える莫大な損失に 相当する事件であるはずだが、そのような規模の大規模火災がおきたとする信頼する に足る根拠がない。当時、4億6000万ドル相当というのは、想像を超える価額であ る。 歴代国際社会の対北朝鮮支援金額の最高潮に達したのが2001年であったが、2001年の 1年間で韓国を含む国際社会から北朝鮮に支援された総額が4億9000万ドル(韓国政府+
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