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かるめぎ68

     

      もくじ

○2月4日 (大阪)・5日 (東京)
  脱北者証言集会決定 
○北朝鮮人権問題国際会議に参加して
○フリーダムハウス主催国際会議資料 1 
 耀徳 (ヨドック) 収容所ソリム川区域の収監者達
○フリーダムハウス主催国際会議資料 2 
脱北者に対する拷問及び拷問後遺症の実態報告書
○脱北者2人をノルウェーが難民として受け入れ
○守る会関西支部から喜びの報告
○ソウルの路地裏
○関東支部学習会報告
  「砂川昌順氏講演会に参加して」
○編集後記


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政治犯強制収容所・脱北女性の人身売買・強制堕胎…… 北朝鮮に人権査察を! 脱北者に保護を! 北朝鮮人権法案早期制定を!
脱北者証言集会のお知らせ

 北朝鮮を巡る様々な人権問題のうち、 今回の守る会証言集会では、 女性の人権侵害を中心に取り上げます。 脱北女性は中国でも人身売買や強制売春などの被害に晒され、 また北朝鮮に強制送還されれば、 様々な拷問や堕胎や幼児の殺害などの悲劇に直面しなければなりません。

 今回、 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会では、 脱北女性並びに救援団体の証言を通じて、 北朝鮮女性の人権侵害の実態を明らかにし、 緊急の人権・人道問題として事態の改善と救済を訴えます。

 そして、 12月のソウルにおける北朝鮮人権問題国際会議の韓国側執行委員長を務め、 自らも政治犯収容所の体験者である姜哲煥氏が来日し、 北朝鮮の人権改善、 収容所の廃絶、 そして政治の民主化を訴えます。

 また、 脱北者のほかにも脱北難民保護運動本部代表金尚哲さん、 トリハナ宣教会代表チョン・ギオン氏ら、 日韓の人権団体活動家が多数発言する予定です。

 皆様方のご参加を是非よろしくお願いいたします。


(証言予定の脱北者プロフィール)  

脱北女性 朴ウンミ 1976年生まれ。

 1997年10月、 当時北朝鮮国内の飢餓から逃れるため、 1回目の脱北。 中国の延吉市内で工場、 食堂などを転々として働く。

 2003年3月、 中国国内での脱北者集中取締りによって逮捕され、 北朝鮮に強制送還される。 北朝鮮の茂山を経由し、 清津集結所という脱北者収容施設に入れられ、 そこで様々な悲惨な事件を目の当たりにした。 食事は僅かなトウモロコシだけ、 栄養失調や伝染病で死んでいく人々、 そして、 脱北女性から生まれた赤子たちは、 直ちにビニール袋に入れられ殺されてゆく。

 彼女は運良くその集結所を釈放された後、 再度脱北成功、 現在韓国在住


脱北女性 李明子 1980年生まれ。

 1999年脱北、 しかし、 国境を超えた直後、 脱北を案内してくれた案内人に、 そのまま初老 (40代) の男性宅へ連れて行かれ、 結婚生活に入る。 自分自身、 どんな経緯でいくらで身売りされたのかも分からない。 しかし、 脱北女性ではこのようなケースは日常茶飯事だという。 男性は優しい人だったが、 いつ中国公安に逮捕されるか分からない不安と緊張の毎日だった。

 約1年後、 中国の集中取締りで逮捕され、 北朝鮮に強制送還される。 2ヵ月後釈放。 その後再度脱北に成功、 現在韓国在住。


政治犯収容所体験者 姜哲煥

 北朝鮮民主化運動本部代表。 北朝鮮帰国者の子供として生まれるが、 家族連座制により本人は理由も分からず、 一家全員がヨドック政治犯収容所に収容され苦難の青年時代をすごす。 脱北後、 北朝鮮の人権侵害を告発し民主化を求める運動を展開、 朝鮮日報記者としても脱北者の取材などで活躍中。

 著書 「平壌の水槽」 (ポプラ社) 昨年6月、 ワシントンでブッシュ大統領と会見、 政治犯収容所を頂点とする北朝鮮の人権問題を訴えた。


大阪集会 2月4日 (土)
大阪府社会福祉会館 5階ホール
大阪市中央区谷町7−4−5 電話 06−6762−5681
地下鉄谷町線谷町6丁目駅4番出口下車徒歩約5分

東京集会 2月5日 (日)  
食糧会館大会議室
東京都千代田区麹町3−3−6 電話 03−3222−9621
地下鉄有楽町線麹町駅1番出口下車徒歩3分
(両日とも午後1時開場 1時半開会 参加費1000円)
主催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
(連絡先) 山田文明 TEL/FAX 0729-24-2523
三浦小太郎   TEL/FAX 03-3681-9309/9310
E-mail:miurakotarou@hotmail.com


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私達はこの集会で訴えます!
日本と韓国の政府に
北朝鮮の人権問題解決のため役割を果たすことを求める

 現在北朝鮮の許すべからざる人権抑圧体制が維持され、 また脱北者が中国で悲惨な運命に晒されています。 これは日本政府と韓国政府が十分に果たすべき役割を果たしていないことにも一因があります。 私達守る会は、 両国政府に次のことを求めます。

1. 日本政府は北朝鮮人権法を制定し、 被拉致者と脱北者の速やかな救出を

 現在、 拉致問題で未解決の状態がつづいていますが、 北朝鮮帰国者と日本人妻が北朝鮮国内での飢餓と抑圧に耐えかねて脱北する情況も続いています。 日本政府は中国政府と交渉の上、 帰国者・日本人妻を日本に受け入れる方向で動いており、 私達はこの姿勢を高く評価します。 しかし、 速やかで効果的な脱北帰国者救援のためには、 まだ幾つも問題点が残されていると言わざるを得ません。

 まず、 脱北者は中国朝鮮族や支援者の下で一時的に匿われ、 そこから救援を求める連絡が外務省に届きます。 この場合、 中国における日本領事館は速やかな保護措置を取るべきですが、 現実には、 大使館業務に支障をきたすと判断しているのか、 それ以降数ヶ月にわたって救援活動がなされないまま待たされているのが実情です。 この間に逮捕される危険性は大きく、 また支援者の財政的負担も極めて大です。 領事館は脱北者を直ちに館内に保護し、 その上で中国政府と出国の交渉をすべきではないでしょうか。

 また、 帰国者と日本人妻は北朝鮮国内で既に老齢化し、 脱北のチャンスを得られない方々も多数存在します。 政治犯収容所、 刑務所などで死を待つのみの方々が多く存在することも、 脱北者の様々な証言で裏付けられています。 特に日本人妻は日本国籍者であり、 日本政府としても当然の救援対象です。 日本政府は1月末再開予定の対北朝鮮交渉で、 これらの人権侵害についても拉致問題同様、 北朝鮮に改善を要請すべきではないでしょうか。

 拉致問題、 帰国者・日本人妻問題、 脱北者問題、 政治犯強制収容所問題等の解決のためには、 北朝鮮人権法の制定が急務です。 私達は北朝鮮人権問題の包括的解決のために、 この人権法の制定と、 これに基づく積極的な人権外交を日本政府に要請いたします。

2. 日・韓両政府、 国会議員は、 北朝鮮への 「人権査察」 のために積極的な行動を

北朝鮮人権・難民問題国際議連は昨年12月、 中朝国境に調査団を派遣することを人権団体・市民団体と共に決定していましたが、 諸事情からか現在も実現していません。 私達は国会議員有志による国際的な調査団の中朝国境派遣と、 実態調査の速やかな実行を求めます。

 同時に、 現在北朝鮮国内で、 政治犯収容所を頂点とする稀に見る人権抑圧が繰り広げられている情況は、 世界人権宣言の精神からしても国際的に許されることではありません。 日韓両国政府は、 緊急の人権課題として、 国連人権委員会もしくは国連総会の場で、 脱北者の証言や公開処刑映像、 また政治犯収容所の衛星写真などを動かぬ証拠として、 国連の調査団による北朝鮮 「人権査察」 を行う事を提言するよう要請します。

3. 中国政府の脱北者不当逮捕・強制送還停止のため、 日・韓両国政府は中国に要請と抗議を

 脱北者の大部分は大韓民国への出国を求め、 また脱北帰国者・日本人妻は日本政府の救援対象です。 中国政府は彼らに対して不当逮捕と強制送還を継続し、 UNHCRによる脱北者保護・調査すらも受け入れない姿勢をとりつづけていますが、 この姿勢を変更させるために、 日・韓両国政府が中国政府に抗議と要請を行う事を求めます。
 中国は難民条約に加盟しており、 北朝鮮に送還された後の脱北者の悲劇的な運命 (拷問、 処刑、 収容所) などが脱北者の証言で明らかになった今、 中国政府の行動は難民条約違反であるのみならず、 北朝鮮の人権抑圧の共犯者ですらあります。
 日・韓両国政府は、 中国政府の名誉と国際的な地位向上のためにも、 また真の日中・韓中友好のためにも、 中国政府に対し、 脱北者を保護し希望する第三国への出国を認めるよう求め、 問題の平和的解決の実現を目指すべきです。 そして、 もし中国政府がこの要請を拒否した場合、 日・韓両国政府が国際機関において、 中国政府の姿勢を正式に人権抑圧・難民条約違反として抗議する事を要請します。


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フリーダムハウス主催

北朝鮮人権問題国際会議に参加して

三浦小太郎

 アメリカの非営利団体、 フリーダムハウス主催の国際会議が12月8日よりソウルの新羅ホテルにて開催された。 守る会からは三浦、 宋允復、 金基柱各員、 またソウル在住の萩原遼名誉代表と依藤朝子国際部長が参加した。 現在、 北朝鮮の人権問題についてかなり消極的な態度 (国連人権委員会の決議にも棄権) した韓国にて、 このような国際会議が行われる事は大きな意味があるものと思われる。 他にも日本から、 増元照明拉致被害者家族会事務局長、 西岡力救う会副会長、 坂中英徳脱北帰国者救援機構代表などが会場で発言した。

 この国際会議開会に当たって、 今回執行委員長を務めた姜哲煥は、 開会直前にインタビューに答えて次のように述べている。

「今回、 国際大会の最大の意味は、 北朝鮮問題解決の当事者である私たちが、 国際大会を開くことです。 国内の人権団体を総網羅し、 国際人権活動家たちが参加する国際大会において、 私たちが北朝鮮人権問題解決に対して最前線で活動するということを世界的に知らせる機会になるでしょう。

 そして、 北朝鮮人権に対する声は我が国を含めて全世界に一つの大きな流れとして形成されるでしょう。 現在、 北朝鮮における人権抑圧が国際的に問題とされて、 UNで北朝鮮人権決議案が採択されました。 また、 続く第3回 「北朝鮮人権国際会議」 が準備され、 今回の大会が北朝鮮人権改善実現の分水嶺になるでしょう。

 また、 韓国国内の若い大学生、 特に北朝鮮脱北者の大学生たちが、 今回の大会に積極的に参加していることの意味が大きいです。 未来の主役となる若い大学生たちの動きは、 これから統一される韓国において大きな柱となるでしょう。

 私は、 脱北者たちに国際大会参加を呼びかけています。 現在、 五つの脱北者団体たちが参加しています。 彼らとともに国際大会を準備して人々を組織しています。 そして、 国際大会が終わればこれらの団体たちと共同ネットワークを作る予定です。 北朝鮮人権問題が国際的アジェンダで浮び上がったことにより、 脱北者団体も力を合わせて働くことでしょう。」 (daily NKインタビューよりトリハナ宣教会の秋元氏翻訳を三浦が修正)

 ここで姜哲煥が述べている事は、 基本的にこの国際会議の目指すべき点をほぼ網羅していることと思われる。 脱北者であり、 強制収容所の体験者であり、 かつ、 両親や祖父母を帰国者として持つ彼がこのような自覚に満ちた精神を有している事は心強い。

 大会は12月8日、 ソウル市内新羅ホテルで幕をあけ、 今大会常任顧問黄長氏は、 現在親北・反米傾向の目立つ韓国の学生達に対し、 北朝鮮に行き、 現実を知れば意見を変えるだろうと、 北朝鮮問題への認識の低さを指摘した。 また、 脱北者、 金スチョル氏が証言、 2003年北朝鮮ヨドック収容所に収監された経験を持つ同氏は、 1999年から2003年までにヨドックに収容されていた収監者121人の名簿を公開、 このうち既に数十人が処刑か餓死したと思われると述べ、 救援の緊急性を訴えた

 さらに、 韓国政府が北朝鮮人権問題解決に消極的だという批判も相次いだ。 脱北者の金ソンミン自由北朝鮮放送代表は、 韓国政府は人権より平和政策を優先し、 金正日独裁体制の人権抑圧を黙認していると主張。 イギリス国際キリスト連帯人権保護弁護士であるエリザベス・バーサ氏も、 EUの提出した北朝鮮人権決意案に対し、 韓国政府が棄権した事に深く失望したと述べた。

 しかし、 韓国国内でも新しい動きがおきつつある。 特に孫光柱デイリーNK編集長は、 最近の韓国社会で、 いまだ萌芽的なものではあるが、 北朝鮮人権運動が従来の民族主義的なものから脱却し、 普遍的な人権問題、 民主主義の問題として北朝鮮問題を認識する新しい社会運動として広がりつつある点を評価し、 北朝鮮人権運動は政治的なニューライト運動としても拡大していると分析した。

 大会二日目の12月9日、 新羅ホテルで行われた北朝鮮人権国際会議は、 約500人ほどが参加。 特にヴォランテイアを含む学生達の活躍が随所で見られた。

 第1セッションにて、 今大会共同代表の一人、 柳セヒ社会市民会議共同代表は、 過去民主化運動をしていた主流市民団体の主導者たちが、 殆ど北朝鮮人権に無関心な現状を指摘、 金正日政権との関係改善をのみ目指して民衆の人権改善に対し消極的な点を批判した。

 私に特に印象的だったのは、 第2セッションにおけるマイケル・ホロヴィッツ (アメリカハドソン研究所首席研究員) の自らの体験に根ざした発言だった。 同氏は、 自らがポーランド系移民であり、 祖父をアメリカが受け入れてくれなければ現在の自分はない事、 アメリカの基本姿勢として、 強制送還されれば迫害を受ける可能性のある難民は必ず保護しなければならない事を強調した。 同時に、 脱北者を北朝鮮に強制送還している中国政府の姿勢を非難すると共に、 現在のアメリカ政府も北朝鮮人権法案を制定しながらそれが有効に機能せず、 脱北者の受け入れや保護を充分に果たしていない事を批判し、 アメリカの政策変更と共に、 中国に対しても国際社会が経済的に圧力をかけるなどの必要性がある事をも指摘した。

 政治犯収容所の体験者である姜哲換北朝鮮民主化運動本部代表は、 現在も北朝鮮に年間1億ドル以上の米が供給されているにもかかわらず、 民衆の餓死が続いている現状を訴え、 日本から参加した坂中英徳脱北帰国者支援機構代表は、 1959年から始まった帰国運動で北朝鮮に渡った帰国者・日本人妻たちが、 北朝鮮にて最も悲惨な人権抑圧に晒されており、 彼らが脱北した場合は日本国が受け入れ、 在日コリアンと日本国民が連帯してその定着、 保護に力を尽くしていく方針を述べた。

 第3セッションでは、 各人権団体の様々な訴えが行われた。 李美一6・25戦争拉致者家族協議会長 (朝鮮戦争中に北朝鮮に拉致された韓国国民の救出を目指す団体) は、 8万人を超える拉致被害者の安否調査、 家族再会、 また遺骨返還などを訴え、 1969年12月、 大韓航空機がハイジャックされ、 そのまま拉北された黄ウォン氏の息子、 黄ウォンチョル拉北者家族協議会事務局長は、 父に向けて救出の意志を訴える手紙を朗読。 さらに、 韓国国内でも拉致被害家族は、 被害者が北朝鮮でスパイ教育を受けているに違いないなどの偏見に晒されてきた事を述べ、 韓国政府に被害者救出は政府の義務である事を訴えた。

 また、 増元照明被害者家族会事務局長は、 救う会副会長西岡力氏の通訳で証言、 北朝鮮の人権抑圧も、 また日本人拉致事件も、 根は北朝鮮の独裁政権が生み出した問題である事を強調し、 国際的な連携によって北朝鮮に圧力をかけて行く事を主張した。

 また、 日本が数名とはいえ拉致被害者を救出する事が出来たのは、 アメリカのブッシュ政権の圧力による所が大きかったこと、 独裁政権に対しては対話ではなく圧力が有効であるという認識を韓国も共有して戴きたいと述べた。

 本大会は、 強制送還された脱北者への拷問、 迫害の中止、 政治犯収容所解体、 拉北者、 国軍捕虜、 拉致日本人の安否確認並びに生存者の即時奪還、 北朝鮮民衆への人権抑圧の即時停止、 北朝鮮児童が直面する栄養失調と医療、 教育権利の侵害などの改善、 北朝鮮人権改善に韓国政府が積極的に取り組むことへの要請、 同じく国際社会への訴え、 北朝鮮人権のためのネットワークの構成などの8項目を決議して閉会した。

 現在、 1月末に日朝交渉の再開が予定され、 かつ日本人拉致事件について幾つかの新情報がもたらされつつある。 諸問題解決のためには、 北朝鮮との交渉自体を否定するものではないが、 独裁政権との 「取引き」 に繋がりかねない安易な国交回復交渉再開には、 私たちは充分注意しなければならない。 人権改善なくして北朝鮮の 「正常化」 なし。 国交正常化以前に必要なのは、 何よりも北朝鮮の人権改善と民主化である。


フリーダムハウス主催国際会議資料・1

耀徳(ヨドック)収容所ソリム川区域の収監者達
キム・スチョル/2003年 耀徳収容所収監者

1. ソリム川地域内の政治犯

 北朝鮮民主化運動本部は、 1999年から2002年にかけて15号耀徳収容所ソリム川地域の独身者区域に収監された政治犯121名の名簿を入手した。 ソリム川区域は耀徳収容所のもっとも南側の村であるクウプ里から左側にずっと入った地域で、 2000年にクウプ里の革命化区域拡大の際に生まれた地域である。 調査を行った政治犯らは皆独身者世帯に収監され、 実際に家族単位で収監された家族が三家族あったが、 皆家族世帯に入ることはできなかった。

2. 性別および収監年度

 北朝鮮民主化運動本部が2005年10月から2月までの間に手に入れた政治犯らの名簿および関連資料は、 全体で121名分あり、 男が102名、 女が19名である。 性別の分布は証言者が明らかにした当時の政治犯らのものにすぎず、 現在収監されている政治犯の男女比とは差がある。 調査した政治犯121名は1999年から2002年にかけて耀徳収容所のソリム川区域に入った人達である。

3. 年 齢

 121名の政治犯らの年齢分布は、 30代と40代がもっとも多く、 30代後半 (35〜39歳) が34名で27%ともっとも多く、 40代前半 (40〜44歳) が25名で21%、 50代が21名で18%を占めた。

 収監者中では、 10代が1名いたことが注目される。 2001年収監当時15歳だったキム・スンチョルである。 当時キム・スンチョルは軍人であり、 脱営したことを理由に収容所に入ることとなった。 10代の収監者達はこの他にも4名がいたが、 121名の名簿には含まれていなかった。 その理由は、 正確な氏名と出身地等詳細な事項を証言者が証言することができなかったためである。 名簿に含まれなかった10代の収監者として、 まず家族単位で逮捕、 収監されたキム・イルチョル、 チェ・キョンヒ夫婦の娘と息子が記載された。 キム氏夫婦の娘は当時9歳であり、 息子は12歳であった。 羅津・先鋒が故郷であるカン・イル (16歳) とカン・ソン (19歳) 兄弟も10代の収監者に含まれる。 二人の兄弟は脱北後モンゴルに行く途中に捕らえられ、 戻ってきた。 北朝鮮の政治犯収容所は幼いからといって収監対象から除外するものではないことがわかる。

 30代と40代は主に脱北経験のため収監されている人達であり、 60代の20人は軍、 党所属の人達と保衛部所属の大半で、 マルバンドン (言葉反動)注 、 または収賄、 党資金の横領などが主な収監理由であった。
 注. 体制や政権を誹謗する反動的な言葉。

4. 出身地域

 出身地域は咸鏡南北道地域が全体の33%である41名で、 そのつぎが平壌であった。 この結果は2003年10月に報告された 「忘れられた名前」 (Lost names into North Korean Gulags) と比較すると大きな差が見られる。 当時は時期別に見ると70年代と90年代に収監された人が各々38%でもっとも多く、 地域を基準とすると平壌出身者が40%を上回った。 しかし、 2000年を過ぎて収監された政治犯の中には、 咸鏡南北道出身者がもっとも多かった。

 これは2000年以降、 咸鏡道を中心として脱北が多かったためであると分析される。 咸鏡道のつぎは平壌であり、 23人で19%を占めている。 あいかわらず反体制、 反党など政治的な理由が主な収監理由とされている証拠であると見られる。

5. 収監以前の職業

 収監者らの中で一番高い比率を示すのは、 人民武力部、 警備隊など軍関係者らと労働者であった。 各々14名であった。 保衛部所属と無職がその後に続いた。 人民軍関連部署出身の14人中、 脱北を理由として収監されていた1名を除く残りは、 反体制、 反政府的陰謀 (5人) に関わったり、 党資金で裏金を作ったり、 飲酒の上体制批判をしたり、 業務の失敗などの理由で収監されていた。 無職が高い割合を示しているのは、 脱北を理由に収監された人々が2000年代に入り増加したためである。 特定の職業がなく、 中国を通じて離散家族を捜すブローカーらが多数収監されたことも、 無職の割合が高い理由であると分析される。

 2番目に高い収監比率を見せるのが、 国家保衛部所属の人々だったが、 これは彼らが重要な情報に接している人であるためと見られる。 保衛部所属の収監者12人のうち3人は国家機密を漏洩したという理由で収監され、 残りは資金の横領、 反体制活動の嫌疑で収監されたか、 あるいはスパイの濡れ衣を着せられて収監された。

(表) 収容所の収監以前の職業

6. 収監理由

 すでに言及したように、 本資料は1999年から2000年当時収監されていた人達に関する情報である。 したがって2000年以降、 急増した脱北現象をそのまま反映している。 脱北を理由として収監された人達が34人で、 全体の27%を占めた。 収監理由では一番高い割合を占めている。 脱北後強制的に北朝鮮に送還されて収監された人達の中には、 保衛部の偽装拉致により北に送還された場合もあった。 キム・ドンシク牧師を拉致したのも、 保衛部の偽装拉致組であった。

 2000年、 韓国大使館に侵入したが、 中国公安により引き出されて逮捕・北送され、 収監された人もいた。 また、 2000年、 ロシアからUNHCRの難民の地位を認定され、 韓国ビザまで受けたが、 外交的摩擦により韓国行きに成功できずに北送された7人の脱北者のうち5人が収容所に収監されていることが、 調査の結果明らかとなった。 今回の調査過程で得られた証言によると、 脱北を理由に収監された人達は主にモンゴルや東南アジア諸国を通じ、 韓国行きを企図したという事実が明確であったり、 中国からキリスト教と韓国人と接触した事実が審問過程で明らかになった人達だという。

 2番目の割合を示す収監理由は反体制、 反政府活動であった。 14人が反体制・反政府活動を理由に収監された。 主に私的な席でした会話が反体制陰謀として脚色され、 外部に知られた場合が多かった。 彼らのうち5人はドイツ留学者であり、 留学当時同僚らと卒業後の計画を話していたものが、 国家転覆の陰謀であるとまで拡大解釈され収監されることとなった。 スパイ罪とマルバンドンも大半が似たような理由であった。

 スパイ罪は主に在外留学生と、 外国に滞在した外貨稼ぎの貿易会社所属の職員などが関わった。 韓国の雑誌を見たり、 韓国人と接触した中国留学生の場合には、 安企部とつながりをもつ可能性があると推測・断定し、 スパイ罪の濡れ衣を着せて収監した。 一部の保衛部員らが実績を上げるために事件をでっち上げて、 同僚の職員や貿易会社の職員らを逮捕・拷問し、 自白を得た後収監する場合があるが、 今回の調査においてもそのような場合が2件あった。 保衛部所属の職員1人と貿易会社の職員1人がそのような虚偽事件に巻き込まれ収監された。

 国家機密漏洩の嫌疑で収監された場合もあった。 核施設の建設担当部隊に勤務するチョン・チャヒは、 兄に核施設建設に関する話をしたという理由で収監された。 保衛指導員のキム・ヨンチョルは、 日本を訪問した際に会った人達と北朝鮮の事情について話したことが発覚し、 収監された。 国家秘密漏洩は主として、 核施設関連情報、 軍需物資販売に関する話を友人や家族らにしたものが知られた場合である。

 実際に反体制活動をした場合が1件あった。 イ・ミョンハクとイ・ハクは友人同士の間柄であり、 普段から導火線を持ち歩き、 金正日が乗る 「一号列車」 を爆破しようとして、 発覚し収監された。 その外のマルバンドン、 反体制、 反党行為などは実際、 反体制活動や言行をした場合は多くなかった。

 保衛部や党内の権力争い、 検挙数の増加、 個人的な報復や陰謀といった次元から行われた収監が大半を占めた。

 離散家族調査ブローカーとして活動した女性の家族、 すなわち娘と夫が収監された場合があった。 当事者は独身者区域のどこかに連れ去られたものと推測される。 政治的事件で収監された場合も2件あり、 それらの事件では合計8人が収監された。 韓国にいる家族らから生活費をもらったという理由で収監された場合も含まれている。

7. 生死の確認

 明らかになった収監者121人全体のうち、 79%に相当する85人はまだ生存していることが確認された。 7人は処刑されたものと推定され、 彼らは収監当時いつも体制を非難する話を周囲の人達にして生活していたという。 その結果、 就寝時間が過ぎた頃、 担当保衛員がひそかにやってきて手錠をかけて車に乗せて、 収容所の外に連れて行ったという。 このような場合はたいてい処刑されたものと収監者達は考えていた。

 残りの26人は死亡者で、 彼らはすでに収容所に連れてこられてきた時点で、 尋問過程で加えられた拷問によりすでに死んだような状態で入ってきたものと推定される。 彼らは放置状態のまま一ヶ月ほどで死亡したものと伝えられる。 このようにして死んだ人達は栄養失調と表記されるが、 一般的には収容所への収監以前の拷問と、 収監以後に治療や飲食物が適切に与えられなかったために死亡したと伝えられる。

 公開処刑された場合が2件あった。 彼らは収容所で逃走を試みたという理由で公開処刑された。

8. 調査過程で浮き彫りになった政治事件

1) チェ・ムンドクのねつ造事件 (オデ山遊撃隊事件、 1996年)

  「龍城区域安全部事件」 ともいう。

 社会安全部政治部長であるチェ・ムンドクが本人の実績を上げ、 金正日の評価を上げようとして事件を偽装したことがあった。 北朝鮮の司令部を攻撃するため韓国から派遣された特殊部隊があり、 それがいわゆる 「オデ山遊撃隊」 という信書を金正日に送った。 いいかえると、 北朝鮮にオデ山遊撃隊という名称の韓国のゲリラ部隊が進入しているという信書であった。 当時、 チェ・ムンドクの信書をうのみにした金正日は 「オデ山遊撃隊」 と関連した幹部クラスの人間だけでも2000人程度を処断した。

 当時、 中央検察所初級党秘書であったキム・ギソン、 中央党副部長であったピ・チャンミンなども、 この事件に関わったとして処断された。 保衛司令部にも関わった人間が多数いた。

 後で一部の犠牲者の遺族らが金正日に対して再調査を求め、 保衛部から調査することになり、 この事件はチェ・ムンドクによりねつ造された事件であることが明らかとなった。 事件をねつ造したチェ・ムンドクと社会安全部関係者60〜70人程度が処刑された。 南浦 (ナンポ) 市タイアン区域安全部長、 龍岡 (ヨンガン) 郡安全部長などがここに含まれる。 調査された収監者達の中で、 6人がこの事件に関わって収監された。

2) 平壌ピョンチョン区域保衛部長事件 (1997年)

 国家保衛部海外情報課所属ロシア駐在のある職員がイエメンにミサイルを売却して多額の利益を得た。 それで一部は個人的に横領し、 残りは金正日に上げてその功績を認められて共和国英雄の称号を授与され、 平壌市平川 (ピョンチョン) 区域保衛部長という肩書きを得た。 以後最高検察所海外チームが不審を抱いて調査したところ、 海外口座に個人の資金が入金されていることが発覚し、 これを金正日に報告した。 金正日は彼を公開処刑した。 このことで、 保衛部側では検察所側に恨みをもち、 関連検察所を対象として報復したこともあった。

3) 脱北者拉致組

 キム・イルテとその夫人チェ・ギョンヒはキム・ドンシク牧師を拉致した保衛部の工作組によって拉致された場合である。 この工作組は韓国人に偽装し、 キム・イルテ家族に接近、 韓国に送るという話をもちかけてだました上で車に乗せ、 豆満 (トゥマン) 江インゲリの対岸に連れて行き、 税関も通さずに北朝鮮に入国した。 彼ら以外にもこの工作組は韓国の韓国軍捕虜の家族らもかなりの数拉致したものと明らかとなった。

 工作組はパク・クンチュン (44歳)、 ユン・チャンス (52歳)、 チ・ヨンス (52歳) が一組になって活動し、 全体の責任者はチ・ヨンスであり、 彼らは会寧穀産工場の保衛部長を勤めていた。 ユン・チャンスは咸鏡北道保衛部情報次長を勤めていた。 その外の工作組には、 チ・クァンチョル (40歳)、 キム・ソンサン (40歳)、 キム・ハリョン (44歳) が所属し、 活動していた。 (終)


フリーダムハウス主催国際会議資料・2

脱北者に対する拷問および拷問後遺症の実態報告書
ピョン・ジュナ/韓国拷問被害者リハビリテーション支援会 (KRCT) 全北大学教授   キム・ユンテ、 チョウ・ジョンイク

1. 一般的特性

 2005年9月から11月まで、 在韓脱北者30人を深層面接分析した結果、 回答者全員が拷問被害者、 当事者 (100%) であった。
性別は女性18人 (60%)、 男性12人 (40%) で、
年齢は30代が10人 (33%)、 40代が7人 (23%)、 50代が5人 (17%)、 20代が4人 (13%) で平均38.2歳である。

 家族数は家族3人が11人 (37%)、 家族1人が9人 (30%)、 家族2人 (7%) と家族数が4人である場合が5人 (17%) で、 平均2.4人であった。 結婚の有無は既婚が15人 (50%) でもっとも多く、 未婚12人 (40%)、 死別が2人 (7%) 離婚1人 (3%) であった。

 教育程度は高等中学校卒業が22人 (73%) でもっとも多く、 大卒以上が7人 (23%) 人民学校卒業1人 (3%) の順であった。
脱北当時の居住地は咸鏡北道居住者が20人 (67%) でもっとも多く、
平壌市と江原道が各々3人 (10%)
咸鏡南道2人 (6%) 平安北道2人 (2%) の順であった。
 一次脱北年度を見ると、 1996−2000年が18人 (60%) でもっとも多く、 2001年以降が11人 (37%) 1990年以前が1人 (3%) であった。

 入国年度を見ると、
 2001年以後は27人 (90%) 1996年−2000年に3人 (20%) の順であった。
脱北回数は2回が19人 (63%) ともっとも多く、 1回が10人 (33%) 3回が1人で平均1.7回であった。 脱北時の滞留国家はすべて中国であることが示された。
最後の脱北後韓国に入国するまで要する時間は、 平均1.6年であった。 2回以上脱北を試みた場合、 第一次脱北動機は経済的な理由が17人 (57%) でもっとも多く、 政治的な弾圧が11人 (37%) 家族に呼ばれたという理由が1人 (3%) 自由世界に対する好奇心、 1人 (3%) の順であった。
第二次脱北動機は政治的な理由が18人 (90%) を占め、 経済的な理由が2人 (10%) であった。 現在の居住地はソウル市が22人 (76%) ソウル以外の地域が4人 (13%) 京畿道4人 (13%) そのほかの地域3人 (10%) が居住していることがわかった。
 現在の職業は学生が8人 (27%) と無職が8人 (27%) でもっとも多く、 自営業4人 (13%) 主婦4人、 会社員3人 (10%) その他3人の順であった。

2. 拘禁実態

1) 拘禁場所

 拘禁場所は拷問被害者全員の30人中、 保衛部捜査課、 情報課取調室、 監獄 (新義州、 穏城、 巫山等) に93%が拘禁されており、 集結所 (清津、 ノンポ、 新義州、 穏城、 会寧) 80%、 労働鍛錬隊 (巫山、 穏城、 会寧) 35%、 教化所 (会寧) 内務所 (キムチェ) 3%、 9.27コッチェビ収容所3%、 耀徳収容所3%、 中国邊防隊の拘置所 (図們 (トムン) 和龍 (ファリョン)) 10%、 保安署3%、 安全部 (穏城、 ウィヨン、 会寧、 セッピョル) 13%に拘禁され、 拷問を受けた。

2) 拘禁期間

 収容施設の総拘禁期間は3〜6ヶ月が77%、 3ヶ月以下33%、 6〜12ヶ月、 12ヶ月以上が各々10%であった。 1人平均6ヶ月7日拘禁された。

3) 拘禁回数

 収容施設の拘禁事件関連回数は2回以下が71%を占め、 9回以上が13%、 3〜4回が10%、 5〜6回と7〜8回が3%の順であった。 1日平均3.8回であった。

3. 拷問の実態

 本調査では、 「拷問とは、 施設に拘禁された状態で上部の指示により拘禁者に身体的精神的傷害を加える行為」 として定義した。

1) 拷問加害者

 拷問加害者は保衛部所属の職員 (情報指導員、 捜査課党細胞秘書、 戒護員) らに該当者の100%が拷問を受けたことが明らかになり、 拘留場の警備員によるものが26人 (87%) 安全部、 保衛部拘留場指導員22人 (73%) 集結所安全員12人 (40%) 労働鍛錬隊戒護員11人 (37%) 同僚拘留者11人 (37%) により拷問を受けた。

2) 拷問を受けた期間

 拷問を受けた期間を見ると、 30日以内が51%でもっとも多く、 31日〜60日が23%、 61日〜120日と、 120日以上が各々13%の順であった。 1人平均2ヶ月8日の拷問を受けたこととなる。

3) 拷問事件関連回数

 拷問事件関連回数は20回以下が61%、 21〜40回が20%でもっとも多く、 80回以上が13%、 41〜60回と61回〜80回が各々3%であった。 1人平均14.5回拷問事件に関わっていた。

4) 拷問理由

 拷問理由は回答者30人中、 韓国人との接触の有無97%、 中国への居住の有無97%、 中国通貨所持の有無63%、 宗教行為の有無 (聖書を読む、 祈るなど) 6%、 浮浪者 (児童含む) 3%、 韓国の歌を歌う3%、 韓国の映画を見る3%、 取調および労働の過程での非協力100%。

5) 経験した拷問の種類

 1990年国連人権委員会に提出された 「拷問および非人道的な処遇の調査」 に関するThe Istanbul Protocol (世界医師会のほか40団体協議案) と国際拷問リハビリテーション協議会 (IRCT) により分類された拷問は全部で97種類 (身体的な拷問、 25種類、 心理的な拷問、 57種類、 複合拷問−性的拷問15種類:本調査では複合拷問に分類される性的拷問は心理的拷問に含める) がある。 本調査ではこれにもとづいて作成されたチェックリスト (拷問:人権の墓場、 KRCT作成、 ハンギョレ出版部:ソウル市2004年) を使用して調査分析した結果、 該当者全員が身体的、 心理的拷問を経験した。 該当者1人平均で28.6種類の拷問を経験し、 そのうち心理的な拷問は25.1種類で身体的な拷問は3.5種類であった。

@ 肉体的拷問

 拷問の被害者らが経験した肉体的拷問の内容を見ると、 つぎの通りである。 該当者全員から失神直前までの強制労働拷問に加えて、 全身をところかまわず殴打 (図1)、 負傷部への殴打、 足裏の殴打、 妊婦の腹部の殴打などを経験したことが明らかとなり、 また歯を抜かれる抜歯拷問といわゆる串焼き拷問、 パレスチナ式と同じ姿勢で吊す鳩拷問 (図2)、 電極棒や電気針を利用した電気ショック拷問、 頭を水に浸けたり、 水を利用した窒息拷問、 強要された非生理的な姿勢拷問で長時間頭を下げてひざまずかせる固定姿勢拷問 (殴られるよりも苦しい) および失神するまで行うポンプ訓練拷問 (しゃがむ、 立つを繰り返す拷問) (図3)、 身体を切断される切断拷問、 たばこの火を利用した火傷拷問などがある。

 30人全員が経験した結果を見ると、 殴打拷問が100% (30人) 非生理的な姿勢を強要する50% (15人) 火傷拷問が23% (7人) 吊り下げる17% (5人) 窒息拷問13% (4人) 電気ショック拷問と抜歯拷問が各々10% (3人) 性器のほか身体切断拷問が3% (1人) を経験した。
 

  

A 心理的拷問

 拷問被害者達が経験した心理的拷問には剥奪技法、 強制技法、 意思疎通悪用技法、 性的拷問があった。 剥奪技法と強制技法は100%で、 回答者全員が経験し、 意思疎通悪用技法83%、 性的拷問57%の順に経験し、 薬物、 精神療法悪用13%も経験した。

 心理的拷問の経験を具体的に調べて見るとつぎの通りである。

イ. 剥奪技法の経験

 拷問被害者達が経験した剥奪技法を詳しく見ると、 以下の通りである。

 社会的な剥奪内容は投獄されたり、 精神病院に監禁、 親戚や友人との接触断絶、 退学などの教育機会の妨害、 解雇、 文化・政治・宗教活動を妨害する内容であった。 感覚的剥奪は暗い部屋への監禁、 手錠をかけるなど、 身体的活動を制限すること、 知覚剥奪は手紙、 本、 電話連絡、 新聞とラジオ、 テレビのような大衆媒体検閲などで、 外部世界との意思疎通を故意に縮小、 遮断、 または時間と日付の感覚を維持しようとする被害者の能力に対する意図的な阻害または妨害、 睡眠剥奪は寝かせなかったり、 就寝中に周期的に起こすこと、 栄養剥奪は低栄養食品を与えたり、 汚染された食品を与えること、 衛生剥奪は不適切な衣服の着用を強要、 衣服の着替えの禁止、 不十分な洗濯、 医療サービスの剥奪は不潔で悪臭に満ちた環境、 適切な保護具なしで過度な高温、 低温、 乾燥、 湿気、 微生物、 昆虫に露出されることなどを経験した。

 このうち、 栄養剥奪と衛生剥奪が100%で全員が経験し、 感覚的剥奪と医療サービスの剥奪は97%、 知覚剥奪87%と社会的剥奪80%、 睡眠剥奪77%の順に経験したことが明らかとされた。

ロ. 強制技法

 拷問被害者らが経験した強制技法は不可能な選択や、 一貫しない行動の強要、 脅迫、 性的屈辱感、 服従の強要を経験し、 その具体的な内容はつぎの通りである。

不可能な選択や、 一貫しない行動の強要には、 情報の漏洩、 間違った自白書への捺印の強要、 助けられない状況で拷問目撃の強要 (妊婦の腹部を足で蹴り、 強制流産および嬰児殺害を目撃) 冒涜的行為の強要を内容としていた。 脅迫には、 被害者に直接的に脅迫したり、 被害者に永遠に精神健康を失うことになると脅迫、 被害者が身体的に障害をもつことになると脅迫、 死刑をすぐに執行するという脅迫、 家族、 親戚またはほかの人を対象として脅迫する内容で、 性的屈辱感には言語を使った性的屈辱、 卑下的な言語使用、 裸にさせる、 生理に対する屈辱的な言語使用、 屈辱的な姿勢をとるように強要 (性器にピンセットや手を入れてお金をとる) 決められた場所で出産するように強要、 他人の性的拷問を目撃するように強要、 ほかの囚人らを強姦するよう強要または性的拷問の強要などであった。

 このうち脅迫と性的屈辱感の対象者は100%で全員が経験し、 不可能な選択や一貫しない行動の強要が90%、 復讐の強要67%の順に経験した。

ハ. 意思疎通悪用技法

 拷問被害者らが経験した意思疎通悪用技法は、 賛否を問わず言葉尻を捕らえて尋問する反転効果法、 不可能な選択を強要する二重拘束法、 暴力的な拷問の後好意的な情報で懐柔する逆情報法、 意図的に時間・空間の感覚を妨害、 手紙、 書籍、 新聞放送媒体の断絶、 無批判的服従のための条件反射法が明らかとなった。

 意思疎通悪用技法経験者中、 反転効果法が83%でもっとも多く、 逆情報法と二重拘束法60%、 知覚妨害法?27%、 条件反射法20%の順に経験したことが明らかとなった。

ニ. 薬物、 精神病院の悪用技法

 拷問被害者の30人全員が経験した薬物、 精神病院の悪用技法は13%で、 有毒な薬物の使用または誤用6%と精神病院への監禁が6%であった。

ホ. 性的拷問技法

 拷問被害者らが経験した性的拷問には、 道具を使って性器に行う暴力と、 人間による性暴力とがあった。

道具を使って性器に行う暴力では、 棒、 鞭で性器を殴打、 手、 ピンセットを膣に挿入、 人間による性的いやがらせには乳房をつねる、 または揺らす、 性的暴力には拷問加害者による強姦が明らかになった。

 性的拷問技法は対象者の合計63%が経験したことが明らかとなり、 道具を使用して性器に暴力を加える方法は、 57%、 人間による性暴力は6%が経験した。

4. 拷問後遺障害の実態

 1990年国連人権委員会に提出された 「拷問および非人道的な処遇の調査」 に関するThe Istanbul Protocol (世界医師会のほか40団体協議案) と国際拷問リハビリテーション協議会 (IRCT) により分類された拷問後遺障害は合計で121種類 (身体的拷問後遺障72種類と心理的な拷問後遺障41種類、 社会経済的後遺症8種類) がある。 本調査ではこれにもとづいて作成されたチェックリスト (拷問:人権の墓場、 KRCT作成、 ハンギョレ出版部:ソウル市2004年) を使用して調査した。 その結果、 該当者全員が身体的拷問の後遺症状 (100%) 心理的な拷問の後遺症状 (100%) そして社会経済的後遺症状 (70%) を経験していた。 1人あたり平均身体的拷問後遺症14.8件、 心理的拷問後遺症11.8件、 社会経済的拷問後遺症2.4%の順であった。 その詳しい内容を調べて見ると、 つぎの通りである。

1) 肉体的拷問の後遺症

 肉体的拷問の後遺症を急性と慢性について調べて見ると、 1人あたり平均で慢性が13.0件、 急性が1.8件を経験したことが明らかになった。 経験した身体的急性拷問後遺症は30人中50%からは外傷が現れ、 骨折40%、 脳震盪30%、 血管損傷と出血および神経損傷と麻痺23%、 火傷および血腫各々6%、 脱臼3%の順で、 拷問後遺症を経験したことが明らかになった。 経験した身体的慢性拷問後遺症は消化器 (胃潰瘍、 肝炎、 食欲不振、 体重減少、 便秘など) 93%、 筋骨格系 (身体構造変形性機能障害、 筋肉痛、 感覚麻痺、 疲労感、 胸郭痛、 腰痛など) 83%、 中枢および末梢神経系 (緊張型頭痛、 脳震盪、 血管神経損傷、 末梢知覚麻痺) 80%、 歯牙 (歯牙摩耗、 歯牙破損、 咀嚼機能不良、 歯周炎など) 63%、 耳、 首、 鼻 (聴力損傷、 目眩、 耳鳴り、 鼓膜破裂など) 47%と皮膚 (火傷、 皮膚の外傷、 瘢痕など) は各々47%、 肺 (結核、 慢性咳) と心臓 (みぞおち痛、 心悸亢進、 呼吸困難) 40%と泌尿器生殖系 (頻尿、 女性骨盤痛症など) 27%、 目 (複視、 混視) 23%の順に明らかになった。

2) 心理的後遺症

 経験した心理的拷問後遺症を急性と慢性後遺症に分けて調べて見ると、 1人あたり平均で7.2件が慢性、 急性4.7件が明らかになった。 拷問を受けた当時に経験した急性心理的後遺症に関する質問で情緒反応異常 (恐怖、 不安、 うつ、 北朝鮮に残した家族らに対する罪責感、 羞恥心、 屈辱感、 自我尊重喪失感、 信頼感喪失、 離人症など) 87%、 認知反応異常 (急性脳症候群:混同、 集中力喪失、 対応力喪失、 意識喪失など、 現実感喪失、 誤報化状態) 73%、 適応反応異常 (非妥協戦略、 内向化戦略、 再定立戦略を立てる) 17%の順に経験された。

 現在経験している慢性心理的後遺症では、 認知障害 (拷問事件外記憶喪失、 集中力喪失、 学習不能、 読書不能など) 73%、 情緒障害 (拷問特異異常後障害:悪夢、 金縛り、 回避、 拷問事件再現経験、 神経症、 極めて深刻な不安による瞬時恐慌障害、 うつ症:社会正義のための闘争意思を見せる、 社会的萎縮、 自閉症など) 77%、 末梢神経障害 (身体活力低下、 性機能低下、 突然の発汗など) 63%、 人格障害 (人間性の変質、 不信、 自我尊重感喪失、 他者不信など) 60%、 身体化 (心理的苦痛を慢性頭痛、 消化不良、 筋肉緊張、 心臓異常として感ずる) 53%、 被害者の役割に囚われる (極めて深刻な被害意識、 持続的な悪夢と苦しい記憶に囚われる) 33%、 白日夢 (誇張した考え、 宗教、 魔術的世界に没入) と転置 (拷問加害者に対する破壊的衝動を家族に向ける) 各々10%の順に経験した。

3) 社会経済的後遺症

 社会経済的後遺症を詳細に見ると、 回答者全員で社会経済的問題 (70%) と家族問題 (63%) を経験していた。 1人あたりの社会経済的問題 (心身障害が原因の失業、 衝動抑制麻痺による人間関係形成困難、 群衆への交わりが困難などによる社会的孤立など) 平均1.7件、 家族問題 (失業、 貧困、 性格障害が原因の家族崩壊、 他人不信による結婚生活不能、 韓国社会不適応、 健康問題等の子供問題など) は0.6件であることが明らかとなった。 経験している家族問題の後遺症は30人中、 全体で63%が患っており、 そのうち子供問題が33%、 家族崩壊の問題が30%経験していた。 経験している社会経済的後遺症は失業問題と加害者の釈放および免責がもたらす問題が回答者の各々40%、 人間関係の問題が37%、 経済的支出問題33%、 社会的孤立問題23%経験していた。

5. 解決しなければならない後遺症

 現在拷問により苦痛を受けている後遺症があるなら、 至急に解決しようとする問題は脱北者30人中18人が一番目の優先順位で拷問後遺症の医療的解決を望むことが明らかとなり、 2番目の優先順位が心理的問題、 その次が経済的問題、 家庭および社会的問題、 法的問題の順に問題解決を望んでいることが明らかになった。

6. 後遺症の解決法案に対する意見

 拷問による後遺症のリハビリ治療の解決法案に関する意見として、 身体および精神的な後遺症のための治療対策を策定すること30%、 心理的な安静のための心理相談18%、 長期的な治療のための政府レベルの支援18%、 リハビリ治療のためのリハビリセンターの設立10%、 脱北者のための指定病院の設立4%など心身拷問後遺症の解決のための医療的な対策を策定することが88%であった。 適切な労働機会を与える国家支援、 経済的な支援も各々6%であった。

 結論的に見ると、 この調査に加わった脱北難民らの大半は空腹を解決するために中国に渡り、 中国公安に捕らえられて中国邊防の拘置所から非人間的な待遇を受けることになり、 その後北送され、 本格的な拷問を受けることになったようである。 拷問事由は彼らが中国にとどまっているあいだ、 祖国裏切り行為と見なされ、 韓国人との接触、 中国人との同居、 宗教活動などを理由に拷問されたが、 その裏側には空腹に苦しむ彼らがおそれおおくも金正日政権を拒否するものと見なされているという事情があるようだ。 また彼らの場合には、 失神するまで行われる苦しい労働という形態の拷問と女性に対して行われるポンプ訓練という特殊な強要拷問と並行して、 性器内にピンセットや手を入れ、 貨幣を探す性的拷問形態を見せることを考えると、 彼らがもっているかも知れない金品を取り上げるための手段および労働力を武力で脅し取るための手段としてこのような拷問が行われているようである。

 一方、 現在韓国に定着した脱北者は7,000人に至り、 彼らのうち80% (5,600人) が拷問 (一次脱北後北送経験者) を経験したものと推測される。 脱北拷問被害者らは、 彼らが経験した激しい拷問により発生した極めて深刻な心身および社会経済的後遺症を患っており、 このような後遺症は彼らが新しく定着した韓国での生活に大きな脅威として作用している。

 したがって、 拷問防止のためには、 中国が彼らを北送することを中断するように国連など国際機構に最善を尽くし、 中国に提案してくれることを提案する。 さらに、 中国公安による殴打など非人道的な行為が行われていることと思われ、 すべての生存指標が80年代のカンボジア難民らの状態よりもいっそう劣悪であると報告され、 中国政府が中国内の脱北者らのための難民定着村などを建設し、 彼らを難民として保護するように国際社会が努力してくれることを提案する。 そして国連と韓国政府、 そして韓国の医療関係者らはあらゆる苦難を乗り越え、 韓国に定着した脱北拷問被害者らが健康なセトミン (脱北者が韓国民となった者) で生活できるように早期に脱北拷問被害者らのための指定病院など心理的安静および医療的支援対策を確立することを提案する。


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脱北者2人をノルウェーが難民として受け入れ

聯合ニュース1月4日

【ソウル4日聯合】ノルウェー政府が脱北者2人を難民として受け入れた。

 自由アジア放送 (RFA) によると、 ノルウェー・ベルゲンに本部を置くラフト財団の事務総長がインタビューでこうした事実を確認したと明らかにした。 事務総長は 「ノルウェーまで来ることが難しく脱北者の数は少ないが、 さらに多くの脱北者を難民として受け入れられることを希望している」 と話している。 ただ、 脱北者についての詳細は公開しなかった。

 ラフト財団は今年の人権テーマを 「北朝鮮」 とし、 5月9日から11日までベルゲンで欧州、 米国、 アジアなどの北朝鮮専門家と人権運動家、 政治家らを招き 「第7回北朝鮮人権難民問題国際会議」 を開催する計画だ。 また北朝鮮の人権侵害の実態を告発する記録映画を現在製作中で、 3月か4月ごろに世界に先駆けてソウルで上映するという。

 ラフト財団では人権問題に取り組む人物や団体にラフト財団賞を授与しており、 金大中 (キム・デジュン) 前大統領も2000年に受賞している。
 


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祝! 脱北帰国者・千葉さん一家、 無事日本に到着!

守る会関西支部から喜びの報告
(守る会関西支部)

 2005年7月28日に母と弟が、 11月30日に姉が入国。 これで一家3人、 全員が無事日本にたどり着くことができました。 千葉さん (お母さん) は、 3歳のとき北朝鮮に渡ったそうです。

 詳しい事情については、 いま執筆中のお母さんの手記を待つことにしたいと思います。

 家族構成は、

   母  千葉 優美子 46歳

   姉  千葉   望 23歳

   弟  千葉 武 司 21歳

 この間、 皆さまにお知らせしてきた情報と少しくい違う点があると思いますが、 とにかく家族全員が揃うまで、 偽名などを使っていましたので混乱しています。

 3人とも、 中国での生活を数年間経てからの帰国です。 今までは日本語の知識はほとんどなく、 一からの出発です。 しかし、 幾多の苦労のなか中国で生き抜いてこられたので、 日本語習得も意外に早く、 現在は懸命に自立への準備をされています。

 これからも紆余曲折はあるかと思いますが皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。

 関西支部として、 以前からご支援をいただいた榊原親子ともども、 自立支援を強化していきたいと思っています。 以下お母さんのご挨拶です。
  守る会 関西支部 窪田 和夫 

〈お母さんのあいさつ〉
全国の 「守る会」 会員のみなさまへ
 私は2005年7月28日に日本に到着した千葉優美子と申します。

 北朝鮮で37年間暮らしている間、 それでも私なりには北の社会に誠実でありたいと努力もし、 大学の教員として学生たちにも、 国に忠実であらねばならぬと教えてまいりました。

 そんな私が、 帰国者達を表に立たせた宣伝手段として利用された揚句に除去されるという事を両親と私の2代に渡って受け、 これ以上は独裁政権の下で無事に生きてはいけないだろうと決心して、 何があっても生まれ故郷の日本に行きたいと脱北いたしました。

 私どもの北朝鮮での具体的な生活につきましては、 今、 書いている手記に全てを込めたいと努力しておりますので、 書きあがりましたら皆さまにぜひ読んで頂きたいと思います。

 山田文明先生を始めとして 「守る会」 の皆さまのご支援がなければ、 無事に日本に来られませんでした。 皆様に心から御礼申し上げたいと思います。 こうして、 日本に来てからも続けてご支援を受け、 心苦しく思っています。

 2005年の11月30日に、 待ち焦がれていた娘が日本に到着いたしました。 息子と私は現在、 学費 (足長基金=訳者注) を初めとして生活の全ての面まで皆さま方の援助を受けており、 娘まで援助を受けることになり、 私としては今以上に肩の荷が重く感じております。

 しかし、 一生懸命に勉強し、 努力して、 近い将来、 かわいそうな北朝鮮の人々がこの自由な日本に来た時には、 日本で変わった堂々とした姿を見せられるように私たち家族が手本となれるようになりたいと思っています。

 この気持ちを私と二人の子供たちは、 ずっと忘れないようにし、 必ずそのようになれるよう最善を尽くす所存ですので、 私たちを信じて最後までご支援くださいますようお願い申し上げます。

 これからも脱北者は大量に増え続けていくことでしょう。 「守る会」 の会員の皆様は私たちだけでなく、 他の多くの方々をも支援なさっていますが、 今後も皆様方のご支援が精神的に、 また経済的にもより一層必要になってくると思われます。 ありがたく、 申し訳なく思っている私どもの気持ちを表現するすべもございません。 私は、 人権を重視され帰国者たちの生命を甦らせていらっしゃる皆さま方を信じます。

 今後、 私は北朝鮮の社会について知っていることを継続して話していくつもりですし、 この道から決して退かないつもりでおります。

 また、 皆様方に報いる心で、 いつも正直で勤勉に生きていこうと思います。 何卒、 今後とも、 よろしくお願いいたします。 ありがとうございました。 「守る会」 会員の皆様のご健康を心より願い、 お幸せをお祈りします。

2005年12月3日 千葉 優美子


〈大阪 日本語教室から〉
 10月から、 千葉さんの息子さんは、 同じ脱北者の方のもとでアルバイトをしています。 週に3回、 仕事を少し早めに終え4時30分ごろ、 日本語を勉強しに来ます。 お姉さんの話によると、 夕食のあと、 教科書を広げ勉強するのが日課だそうです。 仕事の疲れからかコックリとしながらも、 毎日欠かさずに勉強しているそうです。  11月30日に日本に来た千葉さんの娘さんは中国で勉強したというテキストとノートを見せてくれました。 2ヵ月間という短い期間にもかかわらず、 使い込まれた本でした。 中国語が堪能だとは聞いていましたが、 一般の韓国人留学生に比べても、 漢字の読み書きは遜色ないと思います。 とても、 熱心で先々が楽しみな23歳です。

 二人より少し先輩の榊原明美さんは、 「みんなの日本語」 の1巻・2巻を終了し、 今は、 デイケアの給食調理室で働いています。 来年の春からは働きながら夜間中学に通うそうです。

 言葉は初めが肝心です。 美しい日本語は日本で生きるための一生の財産になることと思います。 今後とも皆様のご支援をお願いいたします。
「日韓交流ハウス」 日本語教師  高橋 順子


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ソウルの路地裏

依 藤 朝 子

 私が韓国を訪れて抱いた印象は、 この国も随分暖かみがある土地であるなというものでした。 ある日本の知人も、 「韓国は清い国だね」 と話していましたが、 私も韓国には暖かさとともに清さ、 思いやりを感じ、 それがこの土地に惹かれた理由のひとつとなっていると考えています。 年末になると、 韓国人の暖かさがとりわけ感じられます。 東京でもみられる救世軍の赤い慈善鍋が、 ソウルのあちらこちらにも設置され、 通りすがりの人たちがお金を入れて行きます。 テレビでは年末慈善特集が放映され、 経済的に貧しい人たちへの寄付を募っています。 どれだけの寄付金が番組に届いたか、 オンタイムで分かるようになっていますが、 金額の桁数があっという間に上がっていき、 驚くこともありました。

 また最近、 ある小さな食堂が、 一日の売り上げの全額を地域に寄付するという報道もありました。

 クリスマスは韓国では祭日になっており (ちなみにお釈迦様の生誕記念日も休日ですが)、 この時期は街角ごとにある教会でも、 特別奉仕の行事が企画されます。 零下の町中をぶるぶると震えながら歩いていても、 なんとなく心が火照ってくる季節です。 クリスマスソングには 「愛と喜び」 がテーマの曲が多くありますが、 韓国の人は特にこの季節にかかわらず、 「サラン (愛)」 という言葉をよく口にするという印象を受けました。 この 「愛」 は、 「家族の愛」、 「兄弟愛」、 「隣人愛」 など、 さまざまな意味を含んでいます。 広告にも 「サラン」、 学校の標語にも 「サラン」、 本のタイトルにも 「サラン」、 新聞にも 「サラン」 という単語が頻繁にみられるのが、 最初はちょっと不思議でした。 また、 「あけましておめでとうございます」 の韓国版は 「新年に福を沢山受けてください」 ですが、 「サラン」 と 「ヘンボク (幸福)」 は韓国を代表する言葉のひとつと言えるのではないかと、 最近感じています。

 韓国でヒットしている歌に、 「あなたは愛されるため生まれた。 あなたの生涯は愛でみちている」 という歌詞の歌があります。 生活の中でストレスを感じることがあっても、 自分自身を大切にして、 互いに助け合っていきましょうというメッセージを感じる曲です。

 また本屋やコンビニ、 駅の売店には大抵おかれている小さな雑誌があります。 主に市民が投書したエッセイを中心に編集された雑誌で、 似たようなものが何種類かありますが、 読んでいると心が温まってきて、 明日もガンバロウという気分になるものです。 若い人、 大人の人、 主婦の人などに向けて様々に編集されており、 ベストセラーになっているものもあります。 また、 寒さが身にしみる季節には、 忘年会で鍋を囲み、 屋台でおでんを食べて、 サウナに行って心身共に暖まるのも、 韓国らしい楽しみかたのようです。


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関東支部学習会報告 「砂川昌順氏講演会に参加して」
              
原  良 一 

 昨年12月18日に砂川昌順氏の講演会 「大韓航空機事件と対北朝鮮外交のあり方」 に参加した。

 砂川氏は、 元外交官で諜報活動を職務としていたことを公開している数少ない人士である。 今回の講演でも、 戦後の日本社会の風潮の下でのインテリジェンス (本稿では諜報活動の意味) がタブー視され、 年間の活動費が中小の公館では20〜30万円しかないなどの、 お寒い限りの実情が語られていた。 その砂川氏は上記の政治状況下、 外交官としての使命感から個人のリスクで北朝鮮や旧ソ連KGB相手に諜報活動を行い、 独断専行の責任を問われて、 外務省を辞職の止む無きに到っていた。

 当日の講演も、 当時の息詰まる体験談が中心であったが、 同じ話は多くの場、 直近では 「正論」 06年2月号などで詳述されているので、 ここでは、 まず他のメディアで語られていない話から紹介したい。

 何より私が驚いたのは、 砂川氏の率直なというよりは、 過激な物言いである。 「北朝鮮は、 日本の外務省は恐れないが、 日本の世論は恐れている」 はまだしも 「人の死は望まないが、 金正日の死とその体制の崩壊を望む」 という発言が、 元外交官の口から発せられたことには仰天した。

発言に当たって砂川氏は、 終始講演用原稿に目を落としており、 その場の勢いで出た発言ではない。 同じ発言を韓国 「東亜日報」 の取材でも行っており、 ほぼそのまま記事化されたともいう。 死は望まないと断って金正日の死を望む以上、 同氏は金正日をまともな人間として遇しないと宣言しているのも同然である。

実は私は、 ある公開の言論の場で金正日を豚金だの悪魔金正日などと罵倒し続けていて、 軋轢を起こし、 ヒンシュクも買っていたのだが、 元外交官からも同様な見解が出されていたことには、 千万の味方を得た思いであった。 そして 「金正日体制の崩壊を望む」 という発言も、 大韓機爆破事件、 拉致問題を含む北朝鮮の人権問題の解決のためには、 金正日現体制を崩壊させる必要があり、 またそれなしには解決し得ないという私たちの見解とも完全に一致していた。

 講演後の二次会で、 RENK東京の先輩で同サイトで 「不正義の平和に反対」 の論陣を張ったこともある佐藤悟志氏らと 「何だ、 全部俺たちが主張したとおりの方向に向かっているじゃないか」 と大いに意気あがったものである。

 次に指摘したいのは、 こちらは同氏の著作 「極秘指令」 (NHK出版) などでも繰り返し主張されていることだが、 大韓機爆破事件に対する日本政府の対応の拙劣さとその背景である。

 同事件は、 日本の旅券が偽造され、 犯人は日本人に化けており日本の国益と日本人の安全を根幹から脅かすものであった。 当然捕獲された金賢姫は、 日本で取り調べられて然るべきであった。 にも関わらず日本政府は、 日韓の歴史的経緯への負い目から、 金賢姫が日本人でないことが確認されるや、 彼女の身柄をあっさり韓国に渡してしまうのである。 金賢姫を日本側が確保し、 適正に捜査して自供に到らせられなかったことで、 拉致問題の解決が少なくとも5年間は遅れたといわれる痛恨の失策であった。

 日本が、 特定アジアと言われる中韓朝三国との間で 「未清算の過去」 という問題を抱えているのは事実であるが、 その罪責感情に過剰に囚われて言うべきを言わないと、 国益を損ない、 国民の安全も守れないということもきちんと認識すべきであろう。


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編  集  後  記

 遅ればせながら、 謹賀新年あけましておめでとうございます。

 拉致問題について、 辛ガンス工作員の名前が挙がってきましたが、 彼は朴春仙さんの証言により、 すでに10年前から拉致実行犯である事は明白だった人間です。

 そして、 現在の北朝鮮が拉致被害者に対し全く虚偽の報告をし続けるのは、 守る会発足当時、 証言した幸さんの兄上、 浩平さん、 小池秀子さん夫婦の死についての信じがたい虚偽報告と全く同様の構造です。 私達はこれらの先駆的な活動を引き継ぐと共に、 北朝鮮独裁政権の卑劣な姿勢が一貫していること、 かの国の人権状況に大きな改善が見られるまでは、 決して安易な対話路線や国交交渉に入るべきではない事を再確認しようではありませんか。 (三浦)

発行:北朝鮮帰国者の生命いのちと人権を守る会年会費:5,000円  郵便振替口座 00140-4-718645

00970-1-119745

脱北者教育支援口座  口座名 「脱北者あしなが基金」   口座番号 「00900-7-315884」

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