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かるめぎ74号
    目  次
○北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(1) 李英和(RENK代表)講演会2〜3
○金融制裁にアメリカ国務省と財務省に意見の相違?3
○北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(2) 映像とシンポジウムで語る北朝鮮4〜5
「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」に参加して5
○北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(3) 北朝鮮人権問題国際会議 北朝鮮人権大使サミット6〜8
○脱北帰国者日本定着のための提言9
○北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(4) ○北朝鮮の地下核実験と政治犯収容所10〜14
○民団に食い込み図る韓統連14
○日本人妻、脱北帰国者、「しおかぜ」で初の呼びかけ15〜17
○ある日本人妻の娘の訴え17〜19
○ソウルの路地裏20
○編集後記20

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北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(1)RENK東京主催  李英和(RENK代表)講演会

              編集部

 北朝鮮人権侵害問題啓発週間に先立つ12月9日(土)、東京食糧会館にて、RENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)代表李英和氏の講演会が、RENK東京の高英起氏の司会のもと行われた。内容は脱北者や北朝鮮内部からの情報に基づく極めて刺激的なもので、人権週間のプレイベントとして重要な問題を提起したものと思う。
 まず、李代表は、北朝鮮の核実験は、一般に思われているような北朝鮮国内の保守派、軍部の力を誇示したものではなく、逆に、先軍政治の終わりの始まりを表したものだと分析する。2006年1月の金正日訪中から始まるここ一年の流れは、既に金正日政権が生き残ろうと思えば、中国式の改革解放にむけて国内政治を転換するしかない事に、金正日がやっと決意し、動き始める過程だと李氏は推測する。これは事実上の先軍政治の放棄である。
 李氏によれば、6者協議の年内復帰はその象徴的な姿勢の一つだ。1999年から始まった先軍政治は、簡単に言えば、全ての面で軍を優先する、外交でも、経済でも、常に軍事を優先するという方針だった。この政治は周知のように、確かに徹底した抑圧により国内では一応の秩序維持(それは北朝鮮民衆の苦難を意味する)という効果があったものの、同時に徹底的な経済の停滞、外交上の無策と6者協議などのあらゆる交渉の行き詰まりを露呈し、中国政府ですら、金正日に対し、経済だけは他の人間に任せるべきだ、と忠告(干渉)する事態を招いている。
 李氏によれば、現在北朝鮮は5種類の偽タバコ製造を行っているが、このように軍主体の違法経済が余りにはびこった事から、アメリカは金融制裁に踏み切り、金正日の預金口座のみならず、貿易決済に使う口座まで閉鎖された。これにより、北朝鮮の軍関係のビジネスマンも、札束をカバンに詰めて取引をするという原始的なやり方をせざるを得なくなり、彼らの不満はそうとう鬱積している。先軍政治や核実験により、最も不満を持っているのはこのような貿易関係者であり、彼らをはじめとした「改革解放派」は、金正日の一日も早い政策転換を待ち望んでいるのだ。彼らは、金正日政権維持のためにも、先軍政治の停止と中国式改革解放を求めているという。
 李氏は、この改革解放派、また彼らになびきつつある金正日政権を勿論支持しているのではない。彼等の姿勢や行動は、あくまで金正日独裁政権の維持にあり、民衆の生命や人権を重んじているわけでも、民主主義や自由を確立しようとしているわけでも全く無い。しかし、それでも李氏は、この改革解放に向かう動きを評価する。それは、先軍政治よりは、経済改革解放政策が実施された方が、遥かに国民の幸福に、そしてさらに言えば、北朝鮮民主化闘争の展開にもまた繋がるからだ。
 改革解放派は、1月の訪中以後、4月の最高人民会議の時点で、改革解放を金正日が宣言する事を期待していた。しかし、胡錦濤中国主席には約束したはずの改革解放を、金正日は国内では全く語らないどころか、むしろ先軍政治の強化、改革解放派の思想の再点検が必要だと、全く逆の方針を提示したのだ。李氏によれば、この時点で改革解放派の失望は大変大きかったという。金正日は所詮決断が出来ない指導者だとの諦めから、後は自らの保身しか考えなくなった人が多くなったという。
 李氏はまた、改革解放派の実力を過大評価しているのではない。軍隊や秘密警察は逆に改革解放派の側には無く、中国の支援もかえって金正日政権には内政干渉と写り、逆に反発を招く恐れもある。しかし、一般国民は、明らかに先軍政治よりも改革解放派を支持しているのだ。
 核実験施行後、RENKはかなり広範囲に、様々なルートを使って北朝鮮民衆の声を調査した。一部は産経新聞にも紹介されたが、李氏によれば、国民の7割は全く無関心だったという。別に核実験があろうが無かろうが、自分達の生活に何ら関係はない。また、7割のうち、2割の人たちは、何ら関係がないどころか、むしろこんな事をして新たな制裁を招いたら、自分の生活や商売にも悪影響が出る、なんととんでもない事をしたのか、と言う否定的な意見だったという。
 そして、核実験以降、北朝鮮ではしばしば朝礼や講習会などでこの実験の意義が語られているが、これでアメリカと対峙できる核大国になったとなどの勇ましい演説よりも、この核実験により、逆に軍事費を節約できる、などと、むしろ経済面が強調されていると言う。しかも、国民自身は、その演説も最早全く信用していない。
 李氏によれば、これは北朝鮮の国民意識の変化を表す象徴的な現象なのだ。90年代の大飢餓を生き延びた北朝鮮民衆は、既に国家を頼る意識も金政権への忠誠意識もない。彼らの判断基準は、「自分の商売、生活にとってプラスかマイナスか」で全ての事象を判断するようになった。この意識こそ、改革解放派にとって最大の後押しであり、ここに金正日が、改革解放に舵を切らなければこの体制は生き延びられないと決断し始めた最大の要因がある。李氏は、この現象こそ、北朝鮮民衆の意思が体制を動かしつつある予兆であり、民主化への最大の希望だと分析する。
 同時に、大飢餓が北朝鮮民衆に与えた痛手は想像を絶する規模のものだ。李氏によれば、かって約10年前に北朝鮮で起きた大飢餓では、約300万人が死亡した。そのうち、10代以下の子供たちの死亡率は約40%である。これは、日本どころではない、北朝鮮における大規模な18歳人口の激減と社会構造の破綻の危機を呼ぶ。北朝鮮では満17歳から兵役義務があるが、これまでのような徴兵の維持も、また経済を支える働き手も確保できない。しかも、子供たちはまともな教育を当時殆ど受けていない事から、基本的な読み書きソロバンも覚束ない世代が生まれてくる。
 改革解放以外に道はなく、同時にこの社会構造的な危機も避けられない中、金正日政権は、核実験や見せ掛けの声高な外交姿勢とは逆に、大きく姿勢を変更せざるを得ない時期に来ている。しかも、その改革解放=姿勢転換にこの社会が耐えられる可能性は極めて少ない。その場合、金正日政権は、経済的には益々日韓に頼らざるを得なくなる、想像以上に現政権は追い詰められてきているのだ。
 同時に、既に自助努力で、いかなる手段を講じても商売で生き延びる道を見出した北朝鮮民衆は、かってのような大飢餓と大量餓死のような事態は起こらないだろうと李氏は分析する。そして、国内の物価動向を内部のRENK協力者が報告しているが、コメの値段を含め、物価はこの冬を目前にしても、従来の季節変動を超えるほどの上昇は見せていない。現在の経済制裁は、民間にはそれほどの影響を与えていないことは数字を見ても明らかだという。長期的にはともかく、この冬に再び大量餓死が出るような兆しは今のところ無く、それは民衆が活力をつけてきた証拠なのだ。金正日が、「苦難の行軍をもう一度やる」などの発言こそ、支援目当て、制裁解除目当ての偽宣伝だと李氏は断言する。
 しかし、同時に危機的な面もある。それは6者協議の形骸化の裏で、米朝、もしくは米中朝の密談が進み、しかもアメリカの対北外交姿勢が定まらない中、核問題に関しては、米中朝の間で、不明瞭な妥協が図られる可能性が高いことだ。李氏は、米中、そして北朝鮮も三国ともに核保有国である以上、北朝鮮の核だけを完全破棄という形での解決は困難だと分析する。李氏は、核兵器は二十世紀の異物として地球上から無くすべきだとの信念を持ってはいるが、同時に、なぜ核問題の秘密交渉に、日本、韓国が全く参加できず、情報すら殆ど与えられない情況を深く憂いている。同時に、拉致問題などで、北朝鮮が様々な取引を仕掛けてくる可能性が高いと警告する
 李氏は、現在の北朝鮮内部で確実に起きている改革、そしてその未来に必ず起きるだろう変革への希望と、短期的には様々な危機や、北朝鮮外交の作戦の危険性との双方を見据えているようだった。

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金融制裁にアメリカ国務省と財務省に意見の相違?
 ヒル米国務次官補は22日、金融制裁を巡る米朝実務者協議について、北京で6カ国協議と「並行開催」する可能性に触れた。しかし米政府当局者は毎日新聞に対し、財務省が同協議を29日にニューヨークで開くことを北朝鮮に提案している、と明かした。金融制裁を部分解除するのでは、との観測が流れるなか、制裁効果に自信を持つ財務省と核交渉を優先したい国務省の間で亀裂が表面化しつつある。
 東アジア歴訪などから帰国したヒル次官補は22日、ダレス空港で金融制裁協議について「北京で(6カ国協議と)同時に行うことは可能だ」と述べた。米国がこの問題で北朝鮮に譲歩する可能性を聞かれ、「(北朝鮮との)話し合いの中身は話せない。しかし、誰もが合意を望んでいる」と否定しなかった。
 ヒル次官補は先週ベルリンで北朝鮮の金桂冠(キムゲグァン)外務次官と3日間にわたり会談。北朝鮮はその後「一定の合意」があったと表明した。北朝鮮はマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」の同国関連口座の凍結解除を、6カ国協議で核交渉に入る前提としているだけに、問題解決に向けた感触を得たとみられる。
 米国は、北朝鮮関連口座2400万ドルのうち合法資金を違法資金から分離して返還することを検討している、とされる。複数の6カ国協議筋は、この方針は国務省が主導したもので、北朝鮮への金融制裁の効果に自信を深める財務省は不満が強い、と指摘する。(後略)
(毎日新聞1月23日記事)

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北朝鮮人権侵害啓発週間報告(2)―映像とシンポジウムで語る北朝鮮―
共催:北朝鮮難民救援基金 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

             編集部

 12月10日、彩の国さいたま芸術劇場映像ホールにて、守る会と難民救援基金共催による、「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」というイベントが開催された。参加者は約120名。第1セッションでは、1964年に制作された映画「千里馬」が上映され、その後、北朝鮮帰国運動がどのような時代背景の中で行われたのか、この映画を巡ってシンポジウム形式で様々な意見が出された。
 「千里馬」については、以前もカルメギで紹介、解説されたように、明らかに北朝鮮の宣伝映画を日本の映画人が作成されたといわれても仕方がないものである。今の北朝鮮の現実を見るとき、この映画で流れる、様々な北朝鮮讃歌(豊かな生活と充分な食糧、働きがいのある労働現場での生き生きとした労働者の姿、農村での豊かな収穫、そして軍事パレードと余りにも単純な反米主義礼賛)などは、正直暗鬱になるばかりだ。しかし、この映像が当時どのように影響力があったのか、そして今も尚、宣伝というものがどれだけ人々の心を曇らせるのかを学ぶ上でも、この映画はやはり必見の「怪作」ではないかと思う。


 シンポジウムの司会は守る会事務局長の三浦が行い、まず高柳俊男法政大学教授から、この映画の時代背景、さらには製作者の立場などに簡単な解説が行われた。この映画は当時、特に日本共産党系の宣伝により大きな影響を持ったこと、各地で上映が行われたことが指摘され、また、製作者達は実は撮影中北朝鮮において北朝鮮当局と幾つかの対立があり、余りに官僚的な態度や、金日成礼賛を強制する姿勢には抗議した局面もあったらしいこと、しかし、そのような情況は全く語られず、最近になっていくつかの書物から明らかになったことなどが述べられた。北朝鮮、また共産主義体制に関する幻想がまだまだ強かった時代、いや、そして今現在ですら一部に残存する、歴史問題での配慮のかげで、本来追及すべき人権問題や、また朝鮮半島の様々な問題点から意識的に目を逸らしてしまう姿勢について、私達はもっと自覚的にならなくてはいけないだろう。(同時に、朝鮮半島の政治体制への批判姿勢はあくまで普遍的な人権概念からなされるべきものであり、根拠無き差別主義に根ざしたものではあってはならないことは言うまでもない)また、守る会名誉代表の萩原遼氏からは、この映画を再見したところ、帰国者の語る日本語の発音と、映像での唇の動きにあっていないところが散見した事が指摘され、これは明らかに、都合の悪い部分、もしくは北朝鮮賛美が足りない部分を、あとから吹き込みなおしたり、撮影しなおした可能性が示唆された。そして、日本映画人でありながら、ここまで政治的に一方的に北朝鮮の言い分を代弁した姿勢への強い疑問と批判がなされ、同時に、この映画が、現実を知って下火になりつつあった北朝鮮帰国事業を再び活性化させようとした可能性、また、その影響で帰国した人々の悲劇に思いをはせていた。


 そして、壇上には脱北帰国者の方が登壇、この映画が明らかに事実と異なること、北朝鮮の宣伝芸術の悪質性が暴かれた後、RENKの高英起氏より、この帰国事業が、当初はおそらく労働力不足を補う為のものであったこと(後になって、明らかに人質政策や在日の財産の強奪につながったが、それはあくまで結果論であったこと)が、当時の時代背景から読み取れることが述べられ、さらに、この映画についても、単純な否定よりも、様々な角度から読み解かれるべきものである事が指摘された。このセッションでは、北朝鮮の農業の現場にいた李ミンボク氏も萩原氏の紹介で登壇、北朝鮮の農業事情がこの映画とは全く異なる貧困なものであること、中国式の改革解放が不可能であり、この国の未来は絶望的なものである事を知って自らは亡命したのだという証言がなされた。最後に、守る会関東支部長宋允復は、このセッションでは通訳を務めるとともに、今後の北朝鮮人権運動のあり方について、単に悲惨な情況を糾弾するばかりでは精神的に袋小路に陥る可能性があること、希望や未来の幸福をいかに精神的にも現実政治でも実現していくかという未来像が必要である事を指摘し、第1セッションは閉幕した。
 

 第2セッション「『ソウルトレイン』と北朝鮮の人権」では、まず脱北者の救援を描いた映画「ソウル・トレイン」が上演された。その後、上田埼玉県知事のメッセージがボランティアの山崎元江氏によって朗読され、続いて、拉致被害者家族会副代表、飯塚繁雄氏が、拉致被害者救出と、この様な人権運動の連携を表明するご挨拶をされた。そして、ジャーナリストの石丸次郎氏を司会に、のち、どのような手段で、北朝鮮の人権侵害を実践的に救援すべきかのシンポジウムに移った。   
 このセッションでは、第1セッションでも登壇した李ミンボク氏が、北朝鮮に向けて気球(風船)を飛ばし、そこに様々なメッセージを印刷したビニール製のチラシなどを送り込んで、北朝鮮民衆に情報を伝える行動を、実際に行った際の映像写真を交えて報告した。ここでは守る会の萩原遼氏のメッセージなども有効に活用されており、同じく登壇、発言した特定失踪者問題調査会の荒木和博氏も、この行動を高く評価し今後の共同行動を考えていることが述べられた。客席にいた脱北帰国者も、参考に回されてきたビラを見て、しきりに感心していたようだった。北朝鮮で呻吟している帰国、日本人妻に希望とメッセージを与える為にも、この様な行動に守る会は積極的に参加していくべきではないかと思わせるものがあった。


 同時に、様々な脱北者救援上の困難や悲劇も報告された。韓国の救援活動家、文グッカン氏は、この日に参加する予定だった、最近中国の監獄から釈放された救援活動家崔ヨンフン氏が欠席した理由について、崔氏は獄中で何度も殴打を受け、また悪質な刑事犯と同じ牢に収容され、残念ながら、精神が不安定な状態にあるため参加できなかったという。
 救援基金で活躍し、同じく一度中国政府に不当逮捕された野口孝行氏は、崔氏と中国で活動中に出会ったこともあり、特にこの不当逮捕と暴力に対し怒りを抱いていた。
 野口氏は質問で、なぜこのような非道が行われ、かつ韓国では崔氏に不当な扱いがなされているのかを追及したい意志を表明し、文氏も、韓国でNGOが連帯してこの事件の真相究明が行われている事を述べた。


 北朝鮮自由化連合代表のスザンヌ・ショルテ氏は、最初期から北朝鮮の人権問題を取り上げ、アメリカ世論に訴えてきた一人である。ショルテ氏は、しかし国際世論の高まりはまだまだ不十分であること、さらに強い圧力を金正日政権にかけると同時に、脱北者の救援などで更なる国際連帯が必要であることなどを、幅広い視点から述べた。対中等戦略などアメリカ政府の姿勢には様々な疑問を持つ人もいようが、このような世界の人権を普遍的に、かつ持続的に訴えてきた人々がまたアメリカに多いことも確かである。日米韓は、あくまで民主主義と人権という基本理念を共有する立場から、北朝鮮の人権抑圧、そして中国の脱北者弾圧に抗していかなければならない事を再確認させられる提言だった。
 この集会については、音声で北朝鮮難民救援基金ホームページで音声記録を聴くことが出来る。より詳しい内容を知りたい方、また参加できなかった方々には、是非下記ホームページを開いて戴きたい。
 北朝鮮難民救援基金ホームページ:
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/ 

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「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」に参加して
            依藤 則子 

 「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」というイベントに参加する機会があった。これまでは、いわゆる北朝鮮人権問題というと、メディアや書籍などで接することはあったものの、実際にどこかに足を運んで“生”のイベントに参加するというのは今回が初めてであった。このような私の感想は終始“驚き”であった。
 当日は、有名なプロパガンダ映画『千里馬』、生死をかけて脱北を図る北朝鮮の人々と彼らを様々な形で助ける人々を描いたドキュメントフィルム『ソウルトレイン』の上映があった。どちらの映像も、観ていてとても怖かった。普段は感じることのない恐怖を感じた。“もし、自分が『千里馬』放映の当時の対象者であったら”、“もし自分が脱北をしようとする瞬間に今いたとしたら”・・・。きっとどんな人でもそう感じるのではないだろうか。このたった一日のイベントで、私は、北朝鮮の人々の安全や健康や自由や生命そのものが、今現在大変な危険にさらされている、ということを改めて強くそして鮮明に感じた。
 また、フィルム上映を挟んで行われたパネルディスカッションでは、多岐にわたる支援活動の報告などがあり、ここでも文字どおり見るもの聞くものが驚きであった。しかし、私自身があの場にいて一番強く感じたのは、パネラーだけでなく会場の参加者(発言する人も聞いている人も)皆が頭と心を必死に使ってこの問題に取り組んでいる、という空気であった。“なんとか解決するんだ!”“力を合わせてがんばろう”という、ものすごいパワーを感じた。これは、本やメディアなどからだけでは伝わりきらないものであろう。
 今後は、このイベントを通して感じた様々な驚きを忘れずにいたい。そして、自分も頭と心を使っていかねばならないとも思った。こうしたイベントにもまた参加したいと思う。それは、やはり“生”の会場だからこそ強く感じるものがあると思うからだ。

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北朝鮮人権侵害啓発週間報告(3)北朝鮮人権問題国際会議 北朝鮮人権大使サミット
主催 北朝鮮難民救援基金 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
共催 北朝鮮自由化連合 フリーダムハウス
    
           編集部

 12月12日、東京JICA会議室にて、北朝鮮の人権問題に関する国際会議が、様々な関係者、救援活動家、団体により行われた。当初、この会議は、米、日、韓の北朝鮮人権大使を招請して、第1セッションにて「北朝鮮人権大使サミット」として催される予定だったが、諸事情により結果的には斎賀冨美子大使のみの参加となったことが、まず主催者側からお詫びとともに報告された。
 そして、拉致被害者家族会事務局長増元照明氏、フリーダムハウスのポーラ・シュリーファ氏の挨拶に引き続き、人権大使の斎賀富美子大使より、北朝鮮の人権問題、拉致問題についての基調報告が行われた。この中で、各紙報道にあったように、拉致被害者は政府認定を越える30数名に及ぶ可能性が明言され、また、帰国者、脱北者、国内の人権問題を巡って、包括的で丁寧な言及と指摘がなされた。このような姿勢を斎賀大使が示されたことは私たちNGOを力づけるものだが、問題は、この認識がどこまで現実の政治、外交の場に反映されるか否かであろう。


 続いて、守る会の山田文明代表、特定失踪者問題調査会の荒木和博代表、早稲田大学で現代韓国の様々な問題について研究されている洪ヒョン氏が登壇、難民救援基金の加藤氏の司会で討論に移った。
 洪氏は、三百万人の国民を餓死させた金正日の犯罪的な政治体制を強く批判するとともに、ハワイ大学の、ルドルフ・ロメル教授の研究を紹介した。教授によれば、20世紀に、戦争で死んだ人々の数は大体4100万人だが、独裁政権によってもたらされた飢餓、迫害、暴圧政権による虐殺などによって殺された人々は、2億7千万以上だと言う。ラメル教授は、悪の独裁権力による大量虐殺を、ジェノサイドにちなんで、デモサイドと名づけた。洪氏は、現在の国際法の致命的な欠点は、このような暴圧政治が権力を掌握したと時に、主権国家だと自称するのを制裁できないことだという。そして同時に、二十世紀の政治的教訓は、自由主義だけが独裁体制に勝つことが出来るということであり、自由と人権は、切り離してはならない価値である。「平和」という価値だけでは独裁者に勝つことはできず、あくまで、自由と人権という価値のみが独裁政権の暴圧から民衆を救い出すことが出来るのであり、民主主義国家の民間団体と政府は、連携して行動を起こすべきだと結んだ。


 山田文明代表は、9万3千人が北朝鮮に渡った悲劇の歴史をその背景の日本社会の差別とともに語り、同時に朝鮮総連の宣伝の犯罪性、帰国者は決して自発的意思のみで北に渡ったのではなく、誘拐、詐欺に近い形で騙されていったことを、新潟で帰国を断念し、日本に残りたいという意思を表明した方を、無理やり船に連れ込んだ例、清津の港で、北朝鮮への上陸を拒んだ人を警察が連行していった例などを挙げて立証し、北朝鮮政府による、拉致問題の原点の一つがこの帰国事業にあったことを指摘した。
 さらに、この様な帰国者が、北朝鮮を脱出しても、中々早急な救援体制が取れないこと、その間に逮捕され強制送還されてしまう例も多いこと、そして、日本に来てからも定着にさまざまな困難が伴うことなどを指摘した。さらに、現在の6者協議をそのまま持続しても、北朝鮮の人権問題を大きく改善できるとはとても思えない、6者協議に欠落している課題、つまり、拉致問題、北朝鮮の政治犯収容所の問題、中国における脱北者の問題など、人権という視点で北朝鮮政府に対し迫っていく姿勢が無ければならないこと、同時に、今中国に出てきている脱北者を救うことは、北朝鮮政府の思惑とは無関係に行うことができるはずであり、その救出が迅速、かつ確実に出来るのならば、必ずやその情報は北朝鮮に伝わり、北朝鮮国内から情況を変えていく力をも生み出すことが出来るだろうと、脱北者救援の重要性を指摘した。


 続いて、荒木和博調査会会長は、本日斎賀大使が、政府関係者として初めて、拉致被害者が30数名に及ぶ事を認める重要な発言をされた事を述べ、そして、最近「拉致認定認」ということがしばしば報道されるが「認定をされたことは拉致の問題の解決にはならない。北朝鮮人権法を制定し、この人権週間を制定しても、それだけでは、北朝鮮の人権侵害に苦しんでいる人たちを救うことにはならないのと同じように、認定をしただけで拉致被害者を救うことにもなりません。」と述べた上で、「もっと認定基準を下げて、色々な形でやった方がいいのではないか、例えば、ここにマスコミの方が沢山おられますけれども、例えば、テレビ朝日認定、NHK認定、朝日新聞認定、読売新聞認定、みんなでそれぞれ勝手に認定のリストを作ってどんどん出してしまったらどうかと。そうすると、いつの間にか、認定と言うのは何が何か分からなくなってくる、とにかく拉致被害者は沢山いるようだと、そういう風になった方が、実際の救出にはプラスになるであろうということでございます。」とユーモアを交えて語った。そして、さらに、強制的に拉致されたばかりではなく、自分の意志で北朝鮮に行ったけれども、そのまま帰れなくなった人達も存在する、ここまでが拉致でここからは拉致ではないなどという認定には最早意味がなく、その意味では帰国者問題と変わらない、普遍的な人権問題の一環として拉致問題も考えていかなければならないと述べた。


 3者の発言後も、6者協議の問題点などについて様々な議論がなされたが、山田代表の「人権問題を、内政干渉だという言い方で、独裁政権が無視するような姿勢は最早許してはならない。人権侵害に対する批判や抗議は内政干渉には当たらないと言う姿勢で世界は行動を起こさねばならない」という原則こそ、私達が基本におかなければならない精神こそ、今後の国際社会の原理とならなければならない事が確認された。また荒木氏の、拉致問題では保守系の人たちが積極的に運動に参加し、左派、人権派はある種の朝鮮半島への贖罪意識や社会主義への幻想から動きが鈍かったが、脱北者救援や人権問題では、逆に保守系が批判的になるという構造を打破しなくてはならない、帰国運動で北朝鮮に渡った人々が脱北した場合、日本が彼らを受け入れる事を躊躇するようでは情けないという言葉は、日本の人権運動がまだまだ政治的な限界を持っていること、それを乗り越えなくてはならない事を再確認させてくれるものだった。


 午後のセッションでは、民主党の中井ひろし議員のご挨拶の後、フリーダムハウスの司会で、大量難民にどう備えるかというテーマで様々な討論が行われた。自民党の小林温議員からは、「大量難民がこれから発生すれば、東アジア地域全体に大きな混乱をもたらすことになります。わが国としては、その影響を受けるであろう韓国、中国といった国々との連携は勿論のこと、人権問題改善に熱心な国々、国際機関、NPO、北朝鮮の人権問題についてもですが、こうした事態に備えて協議をして、不安定性を増幅しないよう取り組んでゆく必要がありますし、その際の対応の為の枠組みも構築してゆく必要性があると考えております」と述べ、様々な事態への対処を国会の場で議論していかなければならないと指摘した。

また、かねてから北朝鮮の人権問題に献身的に努力してこられた中川正春議員からは、帰国者問題はまさに国家のエゴの中で、在日コリアンが弄ばれ、悲劇的な運命をたどった事例である事を述べた後「北朝鮮の人権問題は、日本の国家としての責任を取っていく問題なのだと言うこと、この事を日本国民にもしっかり理解していただく、そんな運動を、私は、まず原点としてゆきたい」と述べ、具体的には、国際議員連盟の形で政治家も国際的な連帯を行っていくとともに、NGOもまたこれまで以上に国際的な連携を作っていく事が今最も重要ではないかと言う問題提起がなされた。具体的には「日本に期待と希望する脱北者に対する、日本の在外公館の迅速な保護活動の実施と、支援団体との連携の強化と言う事を、しっかり具体的に実施をしてゆくこと、2番目には、帰国した脱北者に対する当面の宿舎、そして日本社会への適応指導、あるいはメンタルケアなどをシステム的に対応する為の施設と、組織の構築」が緊急の課題であり、政治の場でこの実現に向けて努力してゆく決意を述べた。


 次に、LINK(リバテイ・ノースコリア)事務局長、エイドリアン・ホン氏から、日本国の政府が公的に、脱北者を受け入れること、そして韓国、アメリカに行きたい人がいれば、緊急に保護した上で希望国に送る事も積極的に行う事を宣言すれば、北朝鮮民衆に深い感動と共感を与えるだろうこと、それは日本への好感に繋がるだろう事が指摘され、さらにスザンヌ・ショルテ氏は、もし大量難民が発生するならば、それは北朝鮮民衆を救援するという上では大変歓迎すべき事態であるという原則がまず述べられた上で、国際社会は北朝鮮民衆を救援する道徳的義務があること、これまでの国際社会の外交姿勢は結果的に金正日独裁政権を助けてきたと厳しく批判した。


 次に、韓国民団脱北者支援センターの呂健二氏から、帰国運動とは、「在日韓国人、朝鮮人を、治安問題や、民生問題の両面から、負担に思っていた日本政府と、地上の楽園だと言う宣伝を全面的に行った北朝鮮政府、金日成政権と朝鮮総連、当時の北朝鮮は労働力が足りない、これを補う格好の手段として、日本政府と金日成政府の思惑が一致して、人道人権という名の下に送り返したというのが実態」という指摘がなされた。そして、帰国者たちは、再び北朝鮮を脱出して日本に戻ってきてはいるが、その一生は「かっての植民地支配で日本に連れてこられ、または仕方なく来た。日本の情況が厳しく、夢を求めて北朝鮮に渡った。ここも住む場所ではない。そこから中国に逃れる。中国もまたいる場所ではありません。ようやく、艱難辛苦の末に日本に舞い戻ってきた。この方達を、私達は、同じ歴史を持っている、そしてまた、ここ日本で、同じ空間を生きてきた、見捨てては置けない、この精神が支援センターの原点だ」と、在日コリアンとしての立場を明示した。


 最後に、救援活動家のピーター・ジョン牧師から、脱北者の女性や子供たちの悲劇について報告がされた。脱北女性の約9割が人身売買の対象となっていること、そして「現在、この人身売買の制度は、中国の警察と結託して、脱北女性の人身売買を行っているのです。また、そこで生まれた子供たちは約2万人と推定されますが、その半数近くは、父親が経済的に養えず、また母親は韓国に亡命したり、また捉えられて北朝鮮に送還され、結局は孤児となってしまいます」と、最も弱い女性や子供に悲劇が集中している現状が指摘された。


 続く第3セッションでは、さらに具体的な脱北者の定着について議論がされ、まず加藤博難民救援基金事務局長から、大量難民発生は未来の話ではなく、今既に起きている事態であること、それは2年前に、ベトナムから460人の脱北者が韓国に飛行機で運ばれた事例や、今現在タイに既に数百人が滞在、または拘留している事態から明らかだという指摘がされた。それを受けて、中川正春議員は「日本も経済難民ではなくて政治難民として、元在日の人たち以外の脱北者をも難民認定してゆく」姿勢が必要だと語り、「関係国の中で、人権問題を話し合う場を作り、そこで北朝鮮との交渉を行い、中国もその中に入れ込むことによって、中国国内の人権問題もともに論じてゆく」こと、また「中国に国際的な国会議員を、人権に対する調査団を送り、勿論、UNHCRも参加して、国境地域の脱北者の現状に関連したアピールをすること、これはNGOとの連携の中で実現していきたい」という積極的な発言が発せられた。さらに目指すべき目標として、日本、韓国、アメリカ、EU諸国で、北朝鮮の人権問題、そして中国の人権問題に対して、国会決議と共同アピールをすることを目指したい、その為にも、日本国民の意識を高め、国内での脱北者を差別するような雰囲気が在るのならば変えていかなければならないし、国民自身が脱北者を難民として保護しようという姿勢を持たなければならないと述べた。
 守る会は、三浦事務局長が定着について、次頁のような提言文を会場で配布し、脱北帰国者は現在、生活保護と言う形でとりあえずの生活支援を受けてはいるが、彼らの自立のための具体的なプログラムの整備が急務である事を提起した。


 他にも各参加者から様々な提言がなされた後、会場に参加していた脱北者の千葉優美子さんが「私は北朝鮮で、国家代表のスポーツ選手を教育する仕事に関わったことがあります。2年後、北京ではオリンピックが予定されていますが、中国の現状は、人権や命に対して大事にする姿勢とは程遠く、脱北者を保護するどころか、彼らの命を代価にしてビジネスに使うなどの酷いことをしています。この国がオリンピックを開催できるということは、想像できないことです。皆様の力を借りて、中国がオリンピックを開催するなら、まず人の命を大切にし、脱北者の人権を守る国になって欲しいと強力に国際社会が要請してください」と、北京オリンピック問題を脱北者自身の立場から批判した。最後に、難民救援基金の野口孝行氏から閉会の辞がなされ、午後5時半、国際会議は閉会した。
 この国際会議の模様は、現在ネットライブhttp://www.netlive.ne.jpで画像、発言が全て配信されている。是非、皆様方がこの有意義だった会議の模様を一見いただく事をお願いしたい。

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脱北帰国者日本定着のための提言
(12月12日 国際会議にて配布)
           編集部

 本稿は、12月12日に行われた国際会議にて配布された提言書です。今現在、最低限なされるべき政策提言として、特に日本政府、国会議員、そして各自治体の方々に訴えます。

1.日本政府による公的な教育機関の設立
 日本に入国した脱北者は既に100名を超えるが、彼らの日本定着のために絶対に必要なのは日本語教育並びに職業訓練である。これは現在、NGOや個人の手にほぼ委ねられている。日本政府は、最低限、脱北者入国後半年間は、日本語教育、職業訓練、又民主主義社会での生活上のルールなどの教育を公的施設にて行うべきであり(日本版ハナ院)、NGOはその経験を施設内で充分に提供しうるはずである。


2.生活保護ではなく定着支援
 日本に生活基盤のない脱北者に対し、現在、日本国政府は日本国民の生活困窮者に対するのと同様、生活保護の支給を行っている。このこと自体は評価すべきだが、同時に、労働意欲の減退という問題も生じている。また本来生活保護は高齢者、障害者以外は短期に職業に復帰することが目的であり、長期間受給を続けることは国民の理解も得にくい。今後は生活保護ではなく、脱北者への定着支援という形で新たな法制度を組みなおす必要がある。
 脱北者の雇用促進策
 脱北者を雇用してくれた企業、個人商店に対し、政府が雇用促進のための給与の一部負担などの処置を取る。これは障害者雇用の場合も行われていることであり、数十年を全く違う体制下で過ごした脱北者を雇用し、社会的教育を行うことは企業の社会貢献として評価すべきである。
 定着支援、生活支援の期間限定
 60歳以下の脱北者に対しては、健康状態などにより一概には判断できないが、原則的に国家からの経済的な生活支援は期間を限定、その段階での健康状態などを鑑みて継続か否かを判断する。このことは中国国内の領事館でも徹底教育し、脱北者にその覚悟を抱かせることも必要である。
 一時的な住居提供
 脱北者が日本入国後直ちに直面するのが当面の生活費と住居である。これに対しては、で述べたようなハナ院的施設が当初の入居地を提供し、最低限の家具を保障しなければならない。かってインドシナ難民を収容した施設(東京都品川区)などを有効に活用すべきである。
 精神的ケア対策
 脱北者の多くは、抑圧された体制下の生活や、飢餓の経験などから精神的に不安定な状態にある。又、北朝鮮に家族を残してきた脱北者は、家族の生活への不安に駆られることも多い。彼らの精神的なケアのために、専門の精神科医、カウンセラーなども必要である。この人材育成・派遣(韓国語能力が絶対必要)も日本政府は取り組むべきである。


3.韓国ハナ院との連携
 韓国は脱北者受け入れの様々な経験をしてきている。両国NGOの更なる連携と相互協力も必要だが、日本政府もまた、韓国ハナ院での経験や情報を積極的に取り入れ、日本国内の脱北者定着の為に役立てるべきである。

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 
代表 山田 文明 
事務局長 三浦小太郎 連絡先 E-mail:miurakotarou@hotmail.com 

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北朝鮮人権侵害問題啓発週間報告(4)
北朝鮮の地下核実験と政治犯収容所

          編集部

 12月13日、東京星陵会館にて、姜哲煥(政治犯収容所体験者)、小川晴久(守る会共同名誉代表)、小沼堅司(専修大学教授)による講演会が催された。以下は各氏の発言並びに寄稿。

核実験場建設に政治犯大量動員
「誰も生きて帰ってはこなかった」
           姜哲煥 

 ここ最近の北朝鮮をめぐるトピックの中で核実験が国際的な関心事になっています。そこで私が韓国内の脱北者と北朝鮮内部の人たちに取材したところ、この核実験と政治犯収容所は密接な関係にあるとの結論に至りました。
 北朝鮮の核実験後、韓国、日本、米国が地震波を分析し、その結果、核実験場所は吉州郡の萬塔山(マンタプサン)だと確定しています。
 核実験は10月9日でしたが、その後に中国に出てきた吉州郡の住民に話を聞きますと、核実験に関連しての住民の避難、退避はまったくなかったというのです。
 地下核実験は比較的安全とされていますが、もし事故が起きた場合にはその被害は大きなものとなるので、北朝鮮のような狭い土地で核実験をやるということになった場合、最小限の住民の避難措置がとられてしかるべきですが、そうしたことはまったくなかったということでした。
 それに、吉州郡の住民も核実験場がどこなのかについて知りません。
 私が取材を進める中で驚くべき事実に行き当たりました。この萬塔山と気雄峰(キウンボン)を境として、政治犯収容所が存在しているということです。
 この化城(ファソン)収容所は1985年に作られ、ここに入れられるのは北朝鮮でも高位層の人たちが中心で、一度入ったら二度と生きては出られない「完全統制区域」だそうです。ここは高山地帯で農業には適さず、主に木材伐採と鉱物の採掘が行われています。
 この化城収容所の北側には鏡城(キョンソン)収容所が隣接していたのですが、この鏡城収容所は1989年に解体されたのです。
 すでに韓国に入っている脱北者で、この鏡城収容所と会寧収容所で警備兵として勤務していた安明哲という男がいます。彼とは親しい友人なのですが、彼との会話で「核実験は萬塔山で行われたらしい」と言いましたところ、彼が言うには「鏡城、化城、会寧の三つの収容所で約10年前から多数の政治犯が『大建設』の名の下にそこ(萬塔山)にトンネルを掘りに行った」というのです。
 このいわゆる「大建設」に動員された政治犯は誰一人生きて帰っては来なかったそうで、「この建設に動員されることを政治犯たちはたいへん恐れていた」というのです。この萬塔山と気雄峰の間で大規模地下トンネル工事を行いましたが、安明哲自身、当時その大工事が何を目的としたものなのか知らなかった、今になって地下核実験場の建設だったと考えれば合点が行くと話しています。
 そして会寧収容所に位置した国家安全保衛部第三局傘下の「予審局」という部署があったのですが、これは名称こそ「予審局」ですが、実際には生体実験を総括している秘密部署でした。この部署はもともと会寧収容所に位置していたのですが、90年代中ごろに化城収容所に移ったそうです。これは推測なのですが、この予審局が会寧に位置していたときには生物化学兵器に関連した人体実験をやっていたであろうし、化城に移った理由は放射能に関連した人体実験を行うためだったのではないかと思われます。
 もしこうした大規模なトンネル工事を通常のやり方でやったとすれば、数万人の民間人や軍人が動員されて、その場合には核実験場所はおのずと漏れ伝わることになるはずです。ところがその地元の人も含めて北朝鮮住民の誰も核実験場所について知らない。現在韓国には1万人近い脱北者がすでに入っていますが、ただの1人もこの工事に従事したという人はいません。
 これらを考え合わせると、秘密保持のために政治犯が動員されたのはほぼ間違いありません。
 政治犯を動員すればひとまずこのトンネル工事の秘密は保持できます。そして,核実験場のトンネルを掘ってその入り口を政治犯収容所の方に開けておけば、もし事故が起きてもその被害は政治犯収容所の方に出るので、民間の被害は抑えられる。
 北朝鮮の核実験場所についてこの秘密保持が徹底できた根拠は、この化城政治犯収容所と密接な関係があると思います。

 核実験は人権蹂躙の果実

 こうして見ると、この北朝鮮の核実験もすなわち人権問題だと言えます。北朝鮮は現在も食糧事情は厳しい。90年代後半には大規模な餓死が発生しましたし、現在も飢え死にする人が出ている状況なのです。それをよそ目に莫大な外貨、マンパワーを投入して核実験を行ったということは、人民を飢え死にさせながら核実験をやったということであり、この核実験そのものが人権蹂躙のもとになされたと言えます。
 さらには核実験場所に隣接して政治犯収容所があり、地下核実験場の建設に政治犯が動員され生きて帰ってきたものがいないという証言に照らせば、あの体制では人間として扱われない政治犯たちを犠牲にして核実験をやったと判断されます。人権問題が核問題とも深く絡んでいるのです。

 さらに劣悪になった政治犯収容所の状況

 現在のところ、北朝鮮には大規模な政治犯収容所が5カ所あるものと把握されています。
 北朝鮮の政治犯収容所は朝鮮労働党の指導のもと、国家安全保衛部の第7局が直接管理しています。現在残っている収容所は平安南道 价川(ケチョン)の14号、咸鏡南道 耀徳(ヨドク)の15号、化城の16号、会寧(フェリョン)の22号、清津(チョンジン)の25号です。これら政治犯収容所が衛星写真等で補足されその存在が公開されたことによって名称を変えたという情報もあるのですがまだ具体的には確認されていません。
 80年代末から90年代初頭にかけて他の5カ所の収容所が解体されました。国境地域に隣接していた収容所のうち3カ所は、中国が改革開放を進めたことに伴って秘密保持が困難になったと判断して解体したようです。そして北朝鮮では最悪の収容所として知られていた平壌郊外の勝湖里(スンホリ)収容所は、90年代にアムネスティインターナショナルが告発したことを切っ掛けに解体しました。それから平安北道の天摩(チョンマ)収容所はいかなる理由でかは判りませんがなくしたようです。
 私も収容されていた咸鏡南道の耀徳収容所の最近の状況についてお話しします。
 私が収容されていた87年までは、この収容所の中を流れている川の流域は「革命化区域」といって、生きて出る可能性を残している区域でした。すでに韓国に入っている脱北者の中で複数の耀徳収容所収監者がいますが、それはこの革命化区域の経験者です。この革命化区域以外にも「完全統制区域」といって、基本的に生きて出る可能性のないところがあります。革命化区域の収監者にとっても完全統制区域は恐怖の的でした。
 ところが耀徳収容所を経験して最近脱北してきた方々の話を聞きますと、私がいた当時の革命化区域はすべて完全統制区域に変わったというのです。収容所の正門は南にあるのですが、この正門からさらに南の区域を新たに拡張し、わずかにそこだけを革命化区域にしたというのです。ですからかつての耀徳収容所は現在そのすべてが完全統制区域に変わり、新たに拡張した区域のみが革命化区域であり、その革命化区域にはかつてはなかった部類の人たちが収容されている。それがすなわち脱北者で、革命化区域に収容されている人の約半数は脱北者だといいます。いったん脱北して中国から北朝鮮に送還された人たちが収容されているということです。耀徳収容所でさえもほぼ完全統制区域と化したわけです。
 収容所の数そのものは5つに減りはしましたが、政治犯の数そのものは減っていないようです。韓国の国家情報院は北朝鮮内の政治犯の数をおよそ20万人と推定しているのですが、最近韓国入りした北朝鮮の元高官は30万人にまで増えていると主張しています。そして収容所内の状況そのものも私が収容されていた77年から87年当時よりもはるかに劣悪になっており、収容所内の死亡率も倍になったというのです。
 私は北朝鮮問題専門の記者として90年代半ば以降に韓国入りした脱北者500人以上にインタビューしていますが、90年代半ば以降の北朝鮮社会の全般的な状況は80年代の収容所とほぼ等しいものとなった。私が収容されていた当時も電気は来ませんでしたし、栄養失調で多くが餓死しました。そうした状況が収容所内にとどまらず社会全般に及んでいたのです。そうであってみれば収容所内部の状況はさらに劣悪になっていただろうと思われます。
 90年代半ば以降北朝鮮では300万人が餓死し、多くの人々が中国に逃れました。その人たちが北朝鮮に送還されることによって海外の情報に接するようになりました。それで若い人たちを中心に外部世界の状況に目が開けてきたのです。そうした住民たちを統制するために国家安全保衛部の弾圧も一層厳しいものとなったのです。
 政治犯ではない一般の経済事犯の犯罪者をも公開処刑に至るまで大変な弾圧を加えるところを見ると、政治犯の状況はさらに厳しくなっているだろうと私は考えています。ですから政治犯収容所の解体、政治犯の救出が北朝鮮問題の中でも最も喫緊の課題ではないかと思います。かつてアウシュビッツの収容所でユダヤ人が大量虐殺されましたが、それに匹敵する状況であるという認識にいたれば国際社会はこれを看過できないはずです。

 金正日と軍部を分断する法

 北朝鮮の経済は再生不可能なほどにガタガタですし、その一方で150万の軍隊を維持するという極めてアンバランスな状態です。こうした北朝鮮にカンフル剤として栄養を与えているのが海外からの援助なのです。人民は放置し、海外からの援助を軍隊に流すという構造になっています。ですからこの海外からの援助は金正日政権を延命させる栄養剤になっているのです。こうした無分別な海外からの援助を断って、金正日と人民軍を分断することが緊要だと思います。

 腰の据わった長期的アプローチを

 現在米国は主に核問題に重点を置いていますし、日本は日本人拉致問題に集中しているようですが、この両者とも北朝鮮問題を解決する上で足りないところがあると考えます。さらに現在一部では北朝鮮問題を解決するために対話しなければならない、交渉せよと主張しているようです。北朝鮮の問題を解決するためには長期的なスタンスで、その途上で一時期悪い結果になるように見えたとしても、一つ一つじっくり腰を据えて取り組まなければならないのですが、米国も政権が代わるたびに方針がぶれます。その隙を金正日が利用して得をするわけです。
 日本の対応ですが、日本政府が拉致問題のみ盛んに言及していますと、北朝鮮はむしろこれを利用して、過去の植民地時代はどうだったんだということを取り上げて住民を焚きつけ内部の結束を固めるために使います。金正日が拉致問題を認めたのも、日本からの1兆円を超えると思われる金を引き出したいからであり、彼自身に拉致問題を根本的に解決したいという意向があったとは思いません。金に困っていればこそその金を手に入れるために芝居を打ったのです。したがって北朝鮮政権を圧迫するためには、まずは経済的な圧力を一層強化する必要があると思います。
 経済制裁を発動している現在はそうではないでしょうが、かつて日本から多くの現金が北朝鮮に渡りました。北朝鮮政権の延命に日本は大きく貢献したのです。国論が変わった現在、日本政府の役割、日本国民の役割は大変重要です。根本的に北朝鮮の問題が解決されずしては拉致問題の解決も困難でしょう。

 「帰国者・日本人妻」

 私は北朝鮮の人権問題の中でも、深く日本と関わりのある帰国者の問題、言葉こそ帰国ではありますがほとんど騙されて北朝鮮に渡っていますから、実態としては拉致されたも同然です。北朝鮮の実情がそのまま知られていれば誰も行く人はいなかったはずです。元在日朝鮮人やその日本人配偶者で北朝鮮に渡った人の中で、ごく一部が脱北し日本に戻ってきていますが、大多数は現在も北朝鮮に囚われています。そうした元在日朝鮮人帰国者、その日本人配偶者たちの人権問題も拉致問題に劣らず深刻なのです。彼らの中の多くがある日突然政治犯収容所に送られたり処刑されたりしました。本当に深刻な人権問題です。私は日本国民と日本政府が帰国者や日本人妻の問題に拉致問題と同等の水準で取り組んでこそ拉致問題解決の道筋もさらに開けて来るのではないか、拉致問題だけを引き続き取り上げていく場合にはかえって日本が身動きできる範囲は狭まっていくのではないかと思います。もはや北朝鮮の人権問題全般に取り組むべき時に来ているのではないでしょうか。
 実際に日本政府は大きな力を発揮し得ると思います。中国政府を説得して脱北者の強制送還を防ぐこともできるでしょう。私は現在の韓国政府には期待していません。アメリカや日本の政府が結束してその役割を果たすならば、脱北者問題も解決できるでしょう。さらに日本政府にその意志さえあれば、韓国政府に劣らず脱北者を受け入れられるはずです。もしそれが目に見える形になれば、日本政府の経済制裁に劣らず北朝鮮の政権には大きな圧力になります。日本が運用している人工衛星で北朝鮮の政治犯収容所を24時間監視するのも一つのアイデアですし、北朝鮮を圧迫する材料になるでしょう。

 人権圧力が独裁体制瓦解のトリガー

 仮に核問題のみを捉えて北朝鮮に圧力を加えたとしても、金正日は金正日なりに理屈を立てることはできるわけです。「我々は長年米国の核の脅威に晒されてきた。なぜ大国の核保有は認められて、我々の自衛のための核保有は認められないのか」北朝鮮の人民もこれには説得されるかも知れない。また、核を振り回して国際社会の関心を引き付け、他の問題から目を逸らせれば、それも金正日にとっては大きな効用です。
 ところが人権問題、例えば政治犯収容所の解体を求めて圧力を加えれば、いくら表向き北朝鮮の政権がその存在を否定したところで、人民は自分たちが直面している恐怖の問題ですから人民を説得することはできないし、人民に「国際社会は私たちのことを考えてくれている」という認識を与えて内部の分裂、瓦解を誘導することにもなります。
 北朝鮮をめぐる諸問題の根源は金正日独裁体制にあり、金正日政権の除去が解決の根本なのです。金正日を除去するためには核問題や拉致問題に限定せず、広く人権問題の切り口でもって圧迫しなければならないと思います。

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毎日が12月13日である
―不思議な集会報告―

守る会共同名誉代表 小川 晴久 

 まず報告すべきは、昨年12月13日の「北朝鮮地下核実験と強制収容所」集会の当日の講演内容、とくに重要な姜哲煥氏のそれは、ここに記さなくても、www.netlive.ne.jpのホームページを開き、画面上でそこにたどりつけば、オンデマンドでいつでも再生=再現されますので、ここに記す必要はないことです。同時中継会社NetLiveの社長・砂川昌順氏の全くのご好意で、それが実現しました。したがいまして私は当日それを同時中継でインターネットで観・聴きできなかった会員諸氏、また観ようともしなかった会員諸氏に、それを観てほしいと訴え、お願いすること、少し丁寧なインターネットの開き方をここに記すだけでよいという、生れて初めての簡単な報告を、これから記します。1200字位という要請がありましたので、余白があれば、どのような取り組みをしたかにつき、一つのことだけ記します。
 まずインターネットでNetLive(ネットライブ社)のホームページ(http://www.netlive.ne.jp)を開いて下さい。ネットライブの画面が出ましたら、それを下の方に下げていって12月12日と13日の集会広告を見つけて、その上をクリックして下さい。そして12月13日の3人の講演者の下にある「再生する」をクリックすると、それぞれの講演が司会者の紹介と共に「再生」=再現されます。まず姜哲煥の講演だけは、宋允復氏の通訳つきですから、観てかつ聴いて下さい。質疑も入れて45分です。あとの2人の話は、時間のあるとき、聴いて下さい。25分ずつです。
 また機会があったら、昨年7月12日石垣島で行われた拉致問題の講演会(横田ご夫妻、砂川昌順氏の講演)も観・聴きして下さい。とくに今回の12月13日集会を同時中継して下さり、なおかつ、姜哲煥氏の証言内容の重大性に鑑み、オンデマンド化(いつでも、どこでも再生できること)して下さったネットライブ社の社長・砂川昌順氏(1987年バーレーンで大韓航空機爆破事件の実行犯2人をつかまえた外交官)がどういう方であるか、ご存知なかったら、砂川氏の講演だけでも再生してみて下さい。45歳のとても立派な、落ちついた方です。
 画面では、当日何人の参加者があったか、わかりませんので、それを記します。参加者数は89名(400名の座席。150名の出席をめざし必死にチラシを送り、頑張ったのですが)、うち国会議員は2人(山際大志郎と大前繁男氏、いずれも自民党)、秘書1人(民主党の中川正春議員の娘さんの中川さやかさん)。
 取り組みで特筆すべきは直前の12月11日(月)に480余名の全衆議院議員のメールボックスに、12月12日(火)に230余名の全参議院議員のメールボックスに、11月下旬に皆さんの所にかるめぎと共に届けたチラシ(インターネットによる同時中継を明記した)を入れたことです。つまり全国会議員の議員事務所にあのチラシを配ったことです。余りに直前すぎて当日出席してくれた若き山際議員(この人は神奈川県で公募で自民党候補になった人であることと、私の友人で守る会の会員仲田頴右氏の勧めで昨年6月に姜哲煥・安赫共著『北朝鮮脱出』(上下、文春文庫)を読んでおられたことを当日知る)から叱られました。全国会議員にあのチラシを配ることに気づかせてくれたのは、郷里(蒲郡)の中学時代の友人で、私の呼びかけに応えて「国会議員も当然参加するでしょうね」というメールが12月9日(土)に届き、彼も当日参加することを知って、慌てて議員事務所に配布した次第。あと一つ特筆すべきことは、上記『北朝鮮脱出』(上下)が昨年1月に増刷され、いつでも購入でき、かつ普及できることです(1年間以上在庫切れでした)。

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北朝鮮全体主義体制と強制収容所―〈イデオロギー〉と〈テロル〉―
   専修大学教授 小沼 堅司 

 今年ついに「北朝鮮人権法」が成立した。それを受けて、第1回の「北朝鮮人権問題啓発週間」が開催され、国際シンポジウムや講演会など様々な催しが行なわれている。思えば、長い間、わが国の少なからざる左翼政党人・知識人・市民は、北朝鮮の現実を見ようとしてこなかっただけでなく賛美・擁護さえしてきたが、1960年8月、いち早く警告を発した人がいる。「もしこの事実に目を覆い、従来通りの北朝鮮礼讃、帰国促進を続けていけば、恐るべき人道上の誤りを犯す恐れがあること。私はそれを倦まず訴え続けた。」朝鮮総連の幹部として「祖国」を訪れた関(呉)貴星氏である。(『楽園の夢破れて』1962年、全貌社、復刻版、1997年、亜紀書房)しかしその訴えは長い間無視され、氏の警告した「恐るべき人道上の過ち」を続けてきた。
 私は、1984年に、G・オーウェルの『1984年』に関する論文を書いているときに、金元祚(キム・ウオンジュ)氏の『凍土の共和国』(1984年)に出会い、強い衝撃を受けた。それは盗聴や監視、巨大な金日成銅像と「慈愛深いまなざしを注ぐ」首領様の肖像画(同「Big Brother is Watching You.」)、主体塔、個人崇拝、「死人の目」をした生身の人間の姿など、文字通り『1984年』の世界だった。金氏は偶然、帰国者の友人B君に会い、その姿と話に衝撃を受けた「わが国は国全体がムショだ。しかもこのムショには、教化所や労働収容所といわれる、もっと恐るべき場所がいくつも設置されている。」「俺たちは、この国でしかばねのように生きながらえているだけだ。」
 私は、北朝鮮を「恐怖と狂気の共産主義全体主義体制」として把握している。それは、金日成・金正日個人崇拝を軸とする権力の独占(独裁)と真理の独占(「唯一思想体系」イデオロギー)の体制である。この体制(レジーム)の下で、金父子を神とも崇める個人崇拝、民衆全体を愚民化するプロパガンダ、徹底した情報統制、各種学習会と教育体系による非現実的な単一イデオロギーの注入、空疎なスローガンを叫ぶスペクタクル政治としての行進と集会、政治警察(国家安全保衛部)による徹底した抑圧と監視、強制収容所、公開処刑、偽札・麻薬生産・密輸、飢饉・餓死、粛清・処刑などおびただしい犠牲等々、悲劇的な現実が生み出されている。
 以上のような悲劇の体制と体制の悲劇を把握するために、本講演では、まずH・アレントとT・トドロフの全体主義論の骨子を紹介したあと、演題の一方の柱であるイデオロギーについて、独特の「首領論」と「政治的生命体論」からなる「唯一思想体系」と個人崇拝という指導者装置、行進やマスゲームなどのスペクタクル政治(人民動員型政治)について私の所説を述べ、他方の柱であるテロル(装置)について強制収容所と拷問のテクノロジーを中心に説明した。

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民団に食い込み図る韓統連
 
統一日報2008年1月17日号
洪ヒョン(早稲田大学客員研究員)

 金正日総書記の核実験で世界が平壌に注目していた昨年10月下旬、ソウルで開かれた「第3回在外同胞NGO大会」でのことだ。(中略)日本からは韓統連系と朝鮮総連関係者の11人が招待された。
 韓統連は孫亨根副議長や朴南仁組織局長などを派遣し(中略)孫亨根副議長は大会でのテーマ発表で、韓国政府に対し、冷戦的思考を捨て「6・15時代」(2000年の金大中・金正日の南北首脳会談に伴う融和時代)にふさわしい海外同胞政策を促し、民団への莫大な支援金を民族教育のため朝総連系民族学校など民族教育へ集中的に支援すべきだと主張した。朝鮮総連側でも呉圭祥在日朝鮮人歴史研究所研究部長(前朝鮮大学校教員)をはじめ金舜植弁護士ら4人が参加した(中略)注目すべきは、金正日のミサイル発射や核実験後の金正日体制、朝総連組織に対する日本社会の拒否感に慌てて「在日朝鮮人への迫害問題に対する緊急記者会見」(鄭榮桓、安、郭辰雄、金舜植)と「声明書」を発表したことだ。彼らは声明書で「要求事項」として次の点を主張した。
1、日本政府は一連の差別的な事件に対し強力に調査し加害者を探し出して厳重に処罰し再発防止を約束せよ!
2、在日朝鮮人の日本定住は日帝植民地時代の歴史的問題である。日本政府は過去の暗い歴史を反省し、在日朝鮮人に対する差別政策を直ちに中止せよ!
3、在外同胞の保護と安全は韓国政府の国家的義務である。韓国政府は在日朝鮮人への脅迫と暴力に対し日本政府に強く抗議し、このような事件が発生せぬよう外交的保護策を講じよ!
 2006・10・27 在外同胞NGO大会推進委員会
 (中略)韓統連と朝鮮総連は民族意識(実体は金正日崇拝主義)を刺激することで日韓間対立と摩擦を誘導しようとする意図を隠さなかった。大韓民国の法治秩序を破壊する赤化工作の先鋒に韓統連がある。それを指揮するのが郭東儀顧問である。この組織の機関紙は民団の支援金問題を継続的に提起している。朝鮮総連傘下の「韓青同」は一昨年の11月から12月にかけソウルで「民族学校」まで開いた。韓統連は日本での「5・17共同声明」に伴う民団取り込みの失敗を挽回すべくソウルで親北政権の庇護のもとでうごめいている。

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日本人妻、脱北帰国者、「しおかぜ」で初の呼びかけ
                      編集部

 12月11日、北朝鮮人権週間の一環として、ここ日本に在住する日本人妻、脱北帰国者が初めて北朝鮮に向けて肉声で語りかけました。この内容は録音され、特定失踪者問題調査会が行っている、北朝鮮向けラジオ放送「しおかぜ」で放送されます。北朝鮮で飢餓と抑圧に立ている帰国者、日本人妻に少しでも勇気が与えられるよう、危険を犯して立ち上がった人々の勇気が、必ずや独裁政権の壁を崩すことに繋がるでしょう。
(三浦)

放送内容
アナウンサー)私達は日本の市民団体、「北朝鮮帰国者の生命いのちと人権を守る会」です。1959年以降、北朝鮮に帰国事業で旅立った9万3千人の在日朝鮮人帰国者、さらに1800人の日本人妻の方々に向けて、この放送を行っています。
 在日朝鮮人帰国者、日本人妻の皆さん、北朝鮮に船で渡って行かれてからきょうまで何十年も、大変なご苦労をしてこられたと思います。
 皆さんが自由も人権も奪われ、食糧や生活物資にも事欠くなかで、ようやく生き延びてこられたことを知っています。さらに、すでに多くの帰国者が困難な日常生活と迫害のなかで死んでいったことも知っています。皆さんが一人残らず故郷日本のことを思い、いつか日本に戻ることを夢見て暮らしていることでしょう。
 そして、今現在、沢山の在日朝鮮人帰国者、日本人妻が、北朝鮮を抜け出し、ここ、ふるさと日本に戻ってきています。
 きょうは、そのうち2人の日本人妻の方が、直接このラジオを通して皆さんにお話します。しばらくの間、どうか耳をお貸し下さい。
 お2人は、日本人妻の斉藤さん。同じく日本人妻の上田さんです。
 それでは、最初に斉藤さんにお話ししてもらいましょう。

日本人妻 斉藤)
 私は斉藤といいます。数年前、北朝鮮から中国を越えて日本に戻ってきた日本人妻です。今、日本には、私のような日本人妻や帰国者、又その子供たちが沢山実は戻ってきています。朝鮮にいらっしゃる日本人妻、それに帰国者の皆さん、こんにちは。日本では、今、北朝鮮にいる皆さんを里帰りを実現させようと頑張っております。朝鮮にいらっしゃる日本人妻、それに帰国者の人たち、絶対に気を落とさずに頑張ってください。
 私は、日本に来てよかったと思っております。毎日毎日、食事とか色々な心配を忘れ、今では仕事に励んでいます。どこの国に行っても仕事はしなければなりません。
 でも、北朝鮮では、仕事をしても、お金ももらえず、だから生活が苦しくなるのです。日本では北朝鮮から逃げてきた人たちを助ける人たちも沢山おります。北朝鮮では、苦労した事が分かっているから、助けてくれる人が、本当に、私たちのために、頑張ってくださっております。
 それで、私達の、北朝鮮にいる日本人妻、それに帰国者を少しでも早く里帰りできるように頑張っております。日本にいる私達の力になってくださっている方は、北朝鮮に親族や兄弟がいる人ではありません。ただ北朝鮮で苦労をしていると聞き、少しでも役に立てればと思って、私たち以上に頑張ってくださっております。
 だから皆さん頑張ってください。どんな苦しい事がこれからさきあるかと思いますが、私たちを思い出してください。日本では、自分達を助けてくれる人が、日本にいる事を忘れないで下さい。勇気を出して、元気を出して、待っていて下さい。きっとすぐに里帰りができるようになると思います。たとえ一年又は2年になるかも、いや、もっと長くなるかもしれませんが、今まで40年以上も頑張って来たではありませんか。もう少し頑張ってください。
 そして今、北朝鮮では、核実験やミサイルが成功し、北朝鮮は強くなったとか言っていますが、世界の国々は、核やミサイルに反対し、北朝鮮への支援を止めているのです。北朝鮮は核やミサイルをやめ、日本人妻、帰国者が自由に日本に来れるように、話し合えば、そして素直に北朝鮮が態度を改めれば、世界は北朝鮮に支援をくれるでしょう。
 私達は、日本政府にも、皆さん達、日本人妻、帰国者の辛さを助けてくださるよう努力します。皆さんも何とか日本に戻れるよう、その日まで頑張って生き延びてください。

日本人妻 上田)
 私は数年前に日本に帰ってきた日本人妻の上田です。帰れるとは思いませんでしたが、勇気を出して日本へ行くため、中国に出てきたのです。たくさんの人に応援を受け、日本に来ることができました。日本には私のお母さんと姉妹に43年ぶりに会うことができました。
 みなさん、希望を捨てずに何とか生き延びてください。日本に帰るためにも、中国に出るよう、どうにかしてみてください。
 特に日本人妻のみなさん。私も含めて、私たち日本人妻は3年たったら日本に里帰りできるという朝鮮総連のうそに騙されてきた朝鮮に行きました。何とか日本に帰れるよう、努力しましょう。
 私たちの故郷は日本です。日本で私はあなたたちを心から待っています。

(脱北帰国者 千葉)
 北朝鮮におられる日本人妻と帰国者の皆さん、お元気ですか。私は、在日2世で脱北者の一人です。私が朝鮮にいたとき、父と母に日本について、韓国についてよく話してくれました。そのたび、私は自分が生まれた日本はどんな国だろう。同民族が住んでいる韓国と、私にとっては幻想の国のような日本と韓国に一度でもいいから行ってみたいと考えたものです。
 その夢のような願いはかないました。私は今、日本に戻り、私を受け入れてくださった日本政府と日本国民の皆さん、そして、私とは何の関係もなかった数多くの人達の支援に感謝しながら、幸せに暮らしています。又韓国にも行きました。
 そして人が獣のように扱われ、毎日毎日ひもじい思いをし、耐え難い苦痛にもがきながら生きているのは北朝鮮しかないと言うこともはっきり知りました。北朝鮮政府は多くの日本人を、そして韓国とアジア各国の人たちを強制拉致したにもかかわらず、何の呵責も感じていないだけでなく、今も歴史を歪曲し続けています。
 政権維持の為、核兵器製造に狂い、国民を飢え死にさせながらも、自分達は人民のため働いていると騙し続け、人民の自由を束縛しています。
 北朝鮮とその手先、朝鮮総連によって、誘拐されていった日本人妻と帰国者の皆さん、力を出してください。皆さんを助けるため、日本とアメリカ、そして韓国の政府と多くの方々が、力を尽くしています。
 又私たち脱北者も、北朝鮮の現実を世間に告発しつつ、皆さんの救援に添える為努力しています。だから皆さんもお互い助けあいながら勇気を出して闘ってください。皆さんの祖国は日本と大韓民国です。自分が生まれた所に戻ることは人間の権利で誰にでも与えられた自由です。
 北朝鮮ではどうしようもないとばかり考えないで、祖国に帰してくれと、独裁政権の下ではこれ以上暮らせないと、抗議し勇敢にぶつかってください。闘い続ければ、いつかは私のように願いがかなうと思います。
 私達のこの訴えを聴かれた方々は、他の方々に伝えながら、お互い再び合えるその日の為にも力を合わせて努力していく事を約束しましょう。
 歳月は速くも流れました。今や日本人妻の方々も大分年老いてしまいました。日本政府と国民たちは強制拉致された方々と共に、貴方たちを一日も早く戻っておられる事を待ちわびています。又、色々と力を尽くして下さっています。どんな事をしても生き延びてください。祖国にこの日本に再び戻れると言う事を信じて希望を持って生きてください。
 強く強く生きて下さる事を切実に願いながら。お元気で。

(脱北帰国者 榊原)
 私は1961年に北朝鮮にわたり、42年間もの間、そこで暮らしました。
「北朝鮮は地上の楽園だ。病気にかかっても一銭もいらない。学費という言葉さえ知らない。家も仕事も全部用意してある。日本で差別を受けながら貧しい暮らしをする必要はない。何も持たずに、今すぐにでも帰国しなさい。」
 こんな嘘にだまされて多くの在日同胞たちと日本人妻たちが抱負をもって、希望にみちて北朝鮮に行きました。
 でも「帰国者」と呼ばれる私たちに対する差別は、日本で受けた差別よりましだったとは決して言えなかったでしょう。それに、何よりも食べることの心配が重なりました。「帰国」したその日から。いつもいつもひもじい思いから抜け出すことができませんでした。そして差別され苦しみました。私の父は北朝鮮に行って1年足らずで精神病にかかってしまい、病院に閉じ込められたまま死を迎えました。母もまた寝たきりで、再び起きることはありませんでした。
 少しましな生活をすることができたとしたら、それは日本から仕送りが来た人に限ったことだったのです。
 2年前に私は脱北しました。息子が韓国に行ったからです。韓国に行ってしまった息子を持つ母親、これが何を意味するのか、あなた達は知っているでしょう。なおかつ帰国者と呼ばれる人たちにとってそれは死を覚悟しなければならないことです。それで私も国境を越えることにしました。
 今私は日本に来ています。ここにきて多くのことを知りました。その中でも1950年の朝鮮戦争が北朝鮮の攻撃から始まった戦争だということを知って、本当に驚きました。アメリカの侵攻だと耳にたこができるほど聞かされました。それがうそだったとしたら、これまでの朝鮮人民たちのすべて、飢え死にしながらも我慢し続け、どんな苦痛にも耐えてきた人たちの人生の意味とは、果たして何だったのでしょうか。
 世界は知っています。北朝鮮で数百万の人たちが飢え死にし、今も飢えが続いているということを。そして、人権とは何かということさえも知らない、いや語れない国だということも。
 日本にきて知りました。日本から北朝鮮に行った人たち、いわゆる帰国者と日本人妻のことを本気で心配し、苦しみから助け出そうと努力している人たちがいることも。
 もうこれ以上だまされ、これからも我慢し続けるなんで、絶対すべきではありません。その国から抜け出さなければなりません。私も国境を越えるときは不安でした。でも今は胸を張って堂々と言えます。よくやった、正しい結論を下したと。
 あなた達をドン底から救い出すために闘っている人たちがいるということを信じて、勇気を持って生きてください。

(アナウンサー)北朝鮮で暮らしておられる在日朝鮮人帰国者、日本人妻の皆さん、何とか北朝鮮を抜け出すことができたら、私たちに連絡してください。そうすれば、皆さんを助けるために行動します。
 そして、今は抜け出すことが出来ない方も、希望を失わずに生き抜いてください。
 きっと貴方たちが日本に戻ることが出来る日がやってくるはずです。
 この放送は、「北朝鮮帰国者の生命いのちと人権を守る会」がお送りしました。
 今後も定期的にこのような放送を行っていきます。
 それでは、みなさん、ごきげんよう。
(本放送は、日本人妻は日本語で、脱北帰国者はハングルで呼びかけました)

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ある日本人妻の娘の訴え
                   編集部
 この原稿は、北朝鮮帰国事業で北に渡った日本人妻の娘さんが、40数年ぶりに脱出、日本に再帰国して書いたものである。10歳に満たない時に両親、兄弟とともに北朝鮮に渡ったため、漢字はあまり学んでおらず、文章にも不自然な面はあるが、出来るだけそのままに掲載した(ただし、漢字は読みやすいよう補足してある)。 北朝鮮で、在日帰国者はまだ仕送りや家族訪問などもあったが、日本人妻の場合、助けてくれる家族もなかった。家族の多くは在日コリアンとの結婚にも反対し、さらに帰国事業で北朝鮮に渡るとなれば、殆ど「縁を切られた」状態であり、多くは不幸な人生を送っている。
 日本人妻もまた日本国民であり、事実上騙されて本人の意思に反する形で人生を捻じ曲げられた人々に対し、日本政府は何らかの救援措置を、遅きに失したとは言え早急に講じるべきではないか(三浦)。

 1960年代はじめ12月 私の両親は子供たちをつれて北朝鮮に行きました。朝鮮総連の宣伝、金日成がいる北朝鮮にいくと最高の人生に生まれ変われるという嘘の宣伝を、バカ正直な当時の人たちは信じていたのでした。
 もちろん、その時日本共産党なども一緒に同じような宣伝をしていたと思います。そしてある日、両親は夜中、子供たちがみんな寝ている間に、兄弟4人のうち、2人ずつに分けて、お母さんは日本に残り、お父さんは北朝鮮にいく話をしていまして、お父さんがなみだをこぼして悲しんでいました。おかあさんはそのあとお父さんに内緒で、自分の服など必要な品物を地元のお爺ちゃん、お祖母さんの家に送っていました。
その後すぐに、新潟について(帰国船は新潟出港)お母さんは何とか逃げようとしましたが、お父さんの親戚達が見張っているので、仕方なくお母さんは帰国船に乗りました。
 お母さんは、自分の両親にも兄弟にも、連絡をすることも出来なくて、涙を流して悲しんでいました。でも、3年たったら里帰りできると言う話を総連の人から聴いて、その事を信じていました。新潟では、多くの人たちが帰国者たちを見送りにきていて、船に乗る人たちと、見送りに来た人たちは、今分かれ道を向っていく、悲しみと涙の人生の分かれ道でした。
 その日が人生の2つの道がありましたが、最後の人生の分かれ道でした。明るい道でなくて暗い道でございました。
 私は8歳の時、社会にたいして何も分からない時でした。お母さんはなぜ泣いているのかも、お父さんはなぜ喜んでいるのかもわからず、ただ心の中から不思議な気持ちで、船に乗って一体どこに行くのかも分からなかったです。一度行ったら二度と戻れない恐ろしい道であることも分かりませんでした。船に乗っている人たちは、船酔いをしてめまいを興し、食べ物を吐き出す人も多く、ひたすら気味の悪い航海でした。
 間もなく清津に着きました。その時私は小さい子供でしたが、胸がどきんとしました。日本で見たこともない人々の姿でした。(一時収容された施設の:三浦注)電気もただボーッとした感じで、ただ赤い色があるだけでよく見えなかったのも辛かったです。日本人のお母さんは、ニンニクのにおいの強い料理は全然食べられませんでした。
 何日か後、汽車に乗ってどこかに運ばれていきました。汽車の中で、お父さんは喜び一杯の顔で、私たち家族はこれから立派な家で暮らせるし、お前たちを大学に行かせることも出来る、そのためにこの国に来たのだと話していました。お母さんは悲しそうな表情で黙っていました。
 長時間後、汽車から降りて、バスに乗りました。3つの家族が小さいガタガタのバスに乗りました。3つの家族は、みんなお母さんたちが日本人でした。どこまでいくのか、外は真っ暗で何も見えません。田舎の方へむかいました。気味の悪い中、とにかく目的地に降りましたが、電気は赤い色で、人の形がぼうっと見えるだけ、それによく停電もします。壁は土で、日本では見たこともないようなみすぼらしい家で、外には松の木がありましたが、その木が無くなったら、暖房の為に燃やす物もありません。その時私は9歳、井戸は遠い所にあるだけでした。まわりは農地でした。その日から、私と7歳の弟と6歳の妹と3人で山にのぼって松の木をきりにいきました。小さい体でも、家を暖かくするには何度も何度も薪を運ばなければなりません。お母さんは、言葉も分からないし、日本人のお母さんには付き合ってくれる友達もありませんでした。
お父さんは、すぐ病気にかかって仕事もできませんでした。お父さんが働けないので、私達の家には配給もくれません。その時から3年の間、日本から持ってきた財産は皆売ってしまいましたし、最後には布団も売ってしまいました。でも、お父さんの妹が日本にいたので、少しは仕送りもあり、そのお陰で、田舎から小さな町に引っ越してきました。でもお父さんの病気はもっと重くなって、お母さん一人で、子供7人(北朝鮮での子供が生まれたので)を抱えて、恐ろしい苦労の人生が始まりました。私のお母さんは、毎日、毒の無い草をとってきて、朝早くから夜遅くまで草をとってきました。
 そして、ほんの僅かのお米や、ぬかなどを借金をして持ってきてくれました。でも、絶対にただでくれることはありません。日本から、いずれ仕送りが来たら帰すと約束して借りてきて、草の粥の中に、おコメがほんの少し、見えないくらい入れて、草もちの中にぬかを混ぜて私たちに食べさせてくれました。
 残念なことに、日本のお父さんの妹さんは73年ごろに亡くなってしまい、それからは全然借金を返すことが出来なくなりました。このまま死んでしまうかと思い、毎日、お母さんは、食べ物のこと、私達の学校での鉛筆、帳面、くつなどをどうしたらいいのか、毎日悩んでいました。とうとう、どこにも頼る所は無くなりました。
 生活はもっともっと困っていきました。ですから、私は15歳のとき、弟は14歳の時、妹二人は13歳の時、もう働くことになりました。特に妹、弟は大人にも辛い嫌がるような仕事をさせられていたようです。でも、毎月、そのお金は借金取りに消えていきました。
 結局、帰国事業の宣伝で大学にいけるどころか、15歳より下の年齢の私たちは、厳しく働かされ、ろくに食べるものも無い毎日でした。でも、お母さんは、人々に馬鹿にされると言いはって、人の前ではいつもちゃんと食事をしているふりをしなさいと言っていました。そして、家の煙突から煙が出ていなかったら、他の人たちが笑うだろうと言って、空の釜に木を燃やして、煙突から煙を出して、ご飯の仕度をしているふりをしなさいと私たちに言いました。お母さんがこういう厳しい人でしたから、私達はいつも食べなくても食べたふりをして、無理にでも笑いながら過ごすようにしていました。両親の、代わり、私と弟、妹2人が働きましたが、配給は一人分が1日600gで、2s400gで、家族みんなが食べていくには足りなかったのです。
 お母さんは日本人として人たちに馬鹿にされ、ことばも生活も通じないし分からない、親しい友人もいないし、子供たちは小さいから何も分からない。誰一人頼れる人もなく、さびしい冷たい中で生きてきました。お母さんがあるとき、お父さんはすぐに病人になってしまったし、お母さんも喘息持ちで、この先生きていくことも出来ないと思ったことがある、その後は、もうやけくそになって、性格もかわってしまったと言いました。お母さんは、自分の子供を食べさせるためには、どんなことでもして私たちを育ててくれました。毎日毎日、借金に苦しみながら、それでも借金をしなければ生きていけないので、子供たちのために随分借金を重ねました。今思い出すと、お母さんの借金が恥ずかしくて、私達はお母さんをすごく憎んだこともありましたが、今思えばお母さんの苦しみも分かりますし、そんな思いをして私たち子供たちを助けてくれた事を思うと、本当にかわいそうなお母さんだったと涙が止まりません。
 でも、ついにお母さんは借金を払うことができなくなって、最後は警察に捕まり、刑務所に送られていきました。そのあと、借金取りが全ての台所用品や布団も、毎月の配給まで全て持って行きました。どうにも出来なかった私達は、苦しい中で熱い涙を流しました。こうして守ってくれたお母さんも失ってしまったのです。苦しい中であついなみだを毎日みたいこぼしてくらしました。その時からまもってくれるお母さんも、失ってしまったのです。(中略)
 その後、なぜこんなに借金があるのか、お前はなぜ日本人なのに韓国人と結婚して北朝鮮に来たのか、お前はスパイだろうと疑われて、お母さんは、「お前は日本のスパイだろう」と怒鳴られながら、革靴を履いた足で蹴られたり、酷い拷問を受けました。でも、結局スパイではないという事になりましたが、借金を返さない罪で、10数年の懲役と言う判決が下りました。私は面会にも行きましたが、お母さんは全然歩くこともできず、警察官が負ぶってこなければなりませんでした。牢屋から出ても、体は元には戻りませんでした。
お母さんは、一生をだまされてしまったことが悔しい、悔しいと胸を叩きながら泣いていました。お父さんは、お母さんの死ぬ10年前に死にましたけれども、そのとき、お母さんはお父さんのお墓に行き、そこで何日も過ごして、どうか早く自分もあの世につれて行って欲しいと思っていたようです。もし自分が死んだら、その遺体は海に捨ててくれと言っていました。流れてでも、日本にたどり着きたいと言っていました。
 1994年、日朝交渉で、日本人妻の里帰りの話があった時、多くの日本人妻達は、喜んで、日本が日本人の私たちを見捨てずに里帰りが出来るよう頑張ってくれていると言って、日本人妻達は喜んで、皆で集まって踊りを踊ったり、日本の唄を歌ったりしていました。でも、それもすぐ終わってしまいました。私のお母さんも、数年前にかわいそうな人生を病気で終えました。
 私は2005年、日本に帰国することができました。北朝鮮に残っている家族の事が心配ですが、何とかこの故郷、日本の地で頑張って生きて行きたいと思います。

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韓国政府の対北支援資金、国連で調査せよ」
 朝鮮日報 1月25日記事

 米国の保守系シンクタンク、ヘリテージ財団は23日、国連開発計画(UNDP)の対北事業資金が何ら監視体系のないまま、金正日(キム・ジョンイル)政権に流入していたとする最近浮上した疑惑に関し、韓国政府の対北支援規模と国連機構の対北支援資金を調査する独立した調査委員会を国連安保理に設けるようブッシュ政権に促した。

 ナイル・ガーディナー氏ら、同財団の研究員3人は『UNDPの北朝鮮スキャンダル』という題名の報告書で、「適切な透明性が保障され、独自調査が終了するまで、ブッシュ政権はあらゆる国連機構が行う北朝鮮活動資金への支援を中断すべきだ。また米政府は、国連事務総長や国連組織の干渉をまったく受けない独立した調査委員会を国連安保理の傘下に構成すべきだ」と主張した。
ワシントン=許容範(ホ・ヨンボム)特派員

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ソウルの路地裏
                   依藤 朝子

 ソウルからKTXを利用して約3時間半移動すると、新羅の首都の慶州に着きます。韓国の代表的な都市で、修学旅行生も多く立ち寄るこの土地には、朝鮮の悠久の歴史に触れることができる遺跡が沢山残されています。今回は、慶州に足を向けてみました。
 市内に入るや否や、慶州市庁舎の目の前に、幾つも古墳が並んでいて、非日常的なコントラストに圧倒されます。古墳が並んでいる一帯は、現在は古墳公園としてとてもきれいに整備されていて、散歩をするにもよい所です。通常、一基一基柵や堀で囲われて、近づき難い雰囲気が漂う日本の古墳よりも、ずいぶんと開放的です。天馬塚という古墳は中に入って見学することもできました。この古墳は天を駆ける白馬の絵や武器、金や銀、ガラス製の装飾品などが大量に出土したことで有名になったそうです。古墳群のすぐ北には城跡があり、南東に少し歩くと半月城という新羅の王宮跡や雁鴨池と呼ばれる新羅全盛期の大庭園が、今も昔の栄華を誇っているかのようにたたずんでいます。
 このように、都のまさに中心部に数多くの古墳がそびえていたのには、それなりの理由があったに違いありません。古墳公園には小さな、子供のものと思われる墓もありましたが、王族にとってはかたわらで故人や祖先を偲ぶために、また、庶民に対しては歴代の王の権威と長きにわたる国家の繁栄を誇示し、中央集権の強化を図るために、この場所に築き続けたのではないかと思われます。ここには、慶州の金氏の始祖が鶏によって誕生したという伝説が残る鶏林もあり、この一帯では神秘的な宗教儀式も執り行われたことと想像されます。生と死の象徴に常に接していた古代の慶州の人々は、来世についてもまた、日常的に思いを馳せていたことでしょう。
 古墳群の傍らには石作りの天文台があります。ここで天体を観測して、国家の重要事項も占ったと言われています。韓国や日本の古墳の天井には細かな星座がよく書かれていますが、新羅の人たちは天文学に対して、非常に高い関心を示していたようです。慶州の出土品の多くは、半月城に面して建てられた国立慶州博物館や、ソウルに新しくオープンした国立中央博物館に展示されています。
 史跡が集中している市の中心部から少し離れた普門湖のほとりには高級ホテルが集まっていて、雰囲気が一変しました。スポーツクラブやカジノ、ゴルフ場もあるそうで、きれいに舗装された湖畔の道路をドライブしても楽しそうです。この舗装された立派な道路を進むと、韓国の仏教美術の最高峰といわれる釈迦如来像が安置されている石窟庵や仏国寺に着き、更に車を走らせると海に出ます。ここの海岸には、文武王陵という海中墓があります。自然の岩が整然と沖に並んでいるのが海岸から見えましたが、ここが王墓だという伝説があるそうです。慶州周辺の観光はレンタカーがあると便利だと思います。ソウルから立派な高速道路を走ってみるのも、よい思い出になるでしょう。

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編集後記
 遅ればせながら、2007年の最初のカルメギをお届けします。昨年12月の人権週間は、様々な団体が尽力して中々充実したものになったと思いますが、本来、今年を最初で最後のものにしなくてはいけません。今年の12月は、金正日政権が倒れ、民主化された北朝鮮に、私達が自由に訪れることが出来るよう努力してまいりましょう。
 このお正月は、脱北帰国者の方と初詣に行ってまいりました。屋台が多数出ていましたので、昼日中からお酒と焼き鳥で盛り上がりまして、まあ、ここが日本のチャンマダンみたいなもんだ、と私が言いましたらかなり受けていました。今年は、脱北帰国者の方々と、もっと会員の皆さんが触れ合う場をつくって行きたいと考えています。(三浦)

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発行:北朝鮮帰国者の生命いのちと人権を守る会年会費:5,000円  
郵便振替口座 00140-4-718645
00970-1-119745
脱北者教育支援口座  口座名「脱北者あしなが基金」  口座番号「00900-7-315884」
代表 山田文明  〒581-0867 大阪府八尾市西山本町7-6-5TEL/FAX(0729)90-2887
東 京 本 部  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱551号TEL/FAX(03)3262-7473
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