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カルメギ67号

目 次

 

○「守る会」 関東支部学習会報告 
 いま映画 「チョンリマ」をどうみるか?
○関西支部でも上映会開催
  11月19日の関西支部講座のご報告
○北朝鮮脱出者は、貴重な歴史的役割を持つ
○『平壌の水槽』を読み、広めよう! 
  2005.9.25学習会の報告
○ソウル地方弁護士会の「宣言文」
○北朝鮮女性の人権侵害の実態
     来年度証言集会のお知らせ
○宣言文 
       −北韓人権の改善を促す私たちの立場−
○国連総会北朝鮮人権決議案採決結果一覧表
○関東支部学習会のお知らせ
○関西支部学習会のお知らせ
○編集後記

 

「守る会」関東支部
学習会報告

いま映画「チョンリマ」をどうみるか?

高柳 俊男(本会運営委員、法政大学教員)

 10月30日に開かれた「守る会」の関東支部学習会では、1964年に公開された記録映画『チョンリマ』(宮島義勇監督)を上映し、私が簡単な解説を行なった。

  社会主義建設を早い速度で進めようという当時の「千里馬(チョンリマ)運動」を背景とするこの映画については、『かるめぎ』誌上でも、かつて日朝協会の専従として上映運動に携わっていたとか、仲間を募ってバス1台仕立てて見に行った、などという体験談がときに掲載されている。一時はそれほど多くの人を引きつけた作品だが、一方私くらいの50歳以下の世代では見た人がほとんどおらず、幻のフィルムとも言うべき存在である。

 今回、関係者のご尽力のもと、いわばお蔵入りになった本作品の特別上映会を開催することができた。「北」の社会主義建設のすばらしさを、侵略者(アメリカ)のもとで飢えに苦しむ「南」の人民の惨状と対比的に描いたこの記録映画は、北朝鮮に注いだ当時の日本の熱いまなざしを感じさせてくれると同時に、それから40数年を経た現在からみるとさまざまな違和感に満ちている。

 以下、当日お話しした内容からいくつかにしぼって触れてみたい。

 まず最初は、この映画の扱いである。『チョンリマ』は当初、1964年8月から9月にかけて、有楽町の読売ホールで特別上映会の形で、期間を限定して公開された。ところがいざ始まると、多くの聴衆が押しかけ、そのため急遽、期間・会場・1日の上映回数などを増やして上映されることになった。その後、上映運動により全国に広がっていく様子は、当時の『アカハタ』に詳しい。また同紙には、著名人による映画評が連日のように掲載されているが、なかには「『チョンリマ』を見ないで人間の未来を語るな」(詩人土井大助)というものまであった。

 『アカハタ』に関連記事が多いのは、制作者側の媒体だから当然だが、当時の『朝日』『毎日』『読売』各紙も3〜6段抜きの映画評を載せていた。なかには描き方に疑問を呈した部分もあるが、知られざる国で、しかもその数年前から多数の在日朝鮮人が帰国していった国の表情を伝える作品として、概してその意義が評価されており、写真付きの大きな扱いになっていることが特徴的である。

 ところが1998年2月、監督の宮島義勇が他界した際、上記三大新聞はいずれも訃報を載せたが、その中で『チョンリマ』に言及した新聞は皆無である。その間に流れた歳月の重みや、とりわけ北朝鮮に向ける視線の変化を物語っているのだろうが、あまりにも対照的と言わざるをえない。

 2つ目は、この映画で監督を務めた著名なカメラマン、宮島義勇についてである。

 この映画は、日本共産党と朝鮮労働党との蜜月時代を背景とした、初の日朝合作映画と言ってよいだろう。宮島義勇監督を中心とする日本側のスタッフが1963年、北朝鮮に10ヶ月近く滞在し、メーデーや建国記念パレードなどの各種行事や、工場・農村・日本からの帰国者の表情などを長期ロケした記録である。その意味では、北朝鮮側の全面的な協力のもと、矛盾なくことが運んだようにみえる。

 ところが、先ごろ夭折した山口猛氏がまとめた宮島義勇の回想録(『「天皇」と呼ばれた男』、愛育社)によれば、実は日本側スタッフと北朝鮮側とのあいだに、かなり激しいやりとりが存在したことが記録されている。たとえば当時の取材ノートには、内容のチェックが執拗に行なわれ、「(北朝鮮側が)修正案持って来るが物別れ」「朝鮮側の官僚主義とは妥協しないつもり」などの記述が散見されるという。映画をどう撮るかをめぐって、日朝間に重点の置きかたの齟齬があったことが窺われる。

 とはいえ、宮島義勇監督はその27年後の1991年、また北朝鮮に長期ロケをして、『怒りのこぶしで涙をぬぐえ』をつくった。当時、ベルリンの壁崩壊と社会主義国家消滅の危機に際して、北朝鮮は「38度線に沿って南がコンクリート障壁を作っているから朝鮮半島の統一ができない」と主張し始めたが、その主張にあわせた映画作りがなされている。

 『チョンリマ』の取材ノートからすると、これで懲りてもよさそうな気がするが、そうならなかったのはなぜだろうか? 朝鮮半島に駐留する米軍への反感、社会主義へのイデオロギー的信奉、あるいは日本の植民地支配に対する贖罪意識があったからだろうか?

 最後の贖罪意識に対しては、そうした反省の気持ちを大事に思いながらも、もしその存在が逆に現実への冷静な認識を曇らす作用を果たしたとすれば、われわれは主観的善意が客観的認識を妨げ、長い目で見た相互認識や相互理解を誤らせうるという側面に対して、より透徹した自覚をもつことが必要であろう(これは北朝鮮とどう対するか、という問題に限らないが)。

 3つめとして、10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で見てきた韓国映画、『望郷』について触れる。この劇映画は『チョンリマ』がつくられたのとほぼ同時期の1966年、韓国を代表する金洙容監督によって、当時の著名な俳優たちを多数出演させてつくられた。あらすじは、日本から期待を抱いて北朝鮮に帰国してみたところ、労働党の役人はみな横柄だし、咸鏡北道の僻村の炭坑に送り込まれて強制労働に従事させられる。このままでは死んでしまうと思った帰国者たちは、計画を練って炭坑を爆破し、銃を奪って海上から脱出を試みるが、最後は警備兵たちとの銃撃戦のすえ、子供ひとりを残して全員が殺されてしまう。

 「いかにも」という反共映画で、帰国事業を「北送」や「地獄船」と捉えた当時の韓国ならではの作品とも言えるが、今回の『チョンリマ』と比較してみた場合、考えさせられることも多い。つまり当時、どちらもイデオロギー優先の映画作りをしていたわけで、その限りではどっちもどっちである。

 またとくに、「脱走→銃撃戦→全員死亡」という荒唐無稽にみえる筋書きが、帰国者のツ浩平・小池秀子一家5人の安否に関する北朝鮮側回答と実によく符合する。つまり、南の反共映画が描いたような話が実在する可能性を、その数十年後の北がみずから「証明」した形になっているわけで、皮肉な結果と言えよう。

 いずれにしても、現在忘れられた映画『チョンリマ』を見ながら、さまざまなことに思いを馳せることができたという点で、今回はいい機会であった。今後とも学習会活動の一環として、帰国事業当時の雰囲気を実感できる資料を、いろいろ活用していきたい。

 なお、この映画会に参加した『正論』記者から、本映画に関するインタビューを受けた。記事が同誌2006年1月号に掲載されるとのことである。(終)

 むしろ日韓条約反対を訴える、日本人向けの宣伝映画だったのでは

三浦小太郎(守る会事務局長)

 今や、歴史の現実が北朝鮮の真実の姿を映し出してしまった現実の中で観るとき「千里馬」は余りに痛々しい映画だ。ここで描かれる北朝鮮の経済発展、国民の団結、そして帰国者の幸福な生活などは、ごくごく一部の例外的な面を除けば殆ど虚偽だったろうことは語るまでも無い。正直、足の不自由だった帰国者の少女が、共和国の手厚い看護で歩くことができるようになった、という証言には、新興宗教ではあるまいし、ここまでするかと言う可笑しささえ覚えた。少女が杖をつきながら階段を上るシーンが写されているが、私自身関節を悪くした経験があるのでよく分かるのだが、あの杖の使い方では逆に痛いほうの足に体重がかかるんではないか?まあそういう意地悪い視点を打ち消して、精一杯好意的に解釈しても、特に優遇された帰国者が栄養状態が改善して健康になった、という全くの例外が紹介されているに過ぎない。

 農場での集会が定期的に行われ、その時は全員が参加して討論するので村全体が静まり返る、などというのも、その裏面に「出席しなければ」彼にどんな運命が待ち受けているかを、現代の私達は既に知っている。豊かなものが溢れている平壌の風景も、この物品がどのように集められ、写されたのかを、私達は帰国者と訪問団との出会いから既に聴いているのだ。

 そして、高柳運営委員の解説に依れば、この映画の撮影団は数ヶ月にわたって北朝鮮に滞在したという。その間、一切の矛盾や疑問を抱かなかったのだろうか?そして、もしも抱いたとしたら、本来あらゆる権力の検閲や情報操作に抗すべき映画人たちは、何故ここまで当局の宣伝に忠実なカメラを回すに留まったのか?

 勿論、左派映画人達の朝鮮半島植民地支配への贖罪意識もあったと思う。しかし、私はこの映画が作られたのが、日韓条約調印を直前に控えた時期だったことにむしろ注目したい。日本政府は東西冷戦のさなか、西側の一員として中・ソ・北朝鮮に対峙すべく、韓国との国交回復を目指していた。韓国政府の側も、経済復興と対北朝鮮防衛、そして韓国の国家的地位を国際的に確立するためにも、一日も早い日韓条約締結を目指していた。

 この政策の是非は今は問わない。しかし、北朝鮮を無視し韓国とのみ国交を結ぶことになる日韓条約に対し、当時の左派・進歩派は明確に反対の姿勢を取っていた。おそらく監督もスタッフも、北朝鮮国内の矛盾や問題がたとえ見えたとしても、反共勢力や日韓条約に反対したい一心で、むしろこの時はあえて目を閉ざし、北朝鮮の側に立った「宣伝」を意識的に行う事を選んだのではないだろうか。

 帰国事業が始まって、最初の数年以後は帰国者が激減することはよく知られた事実である。最初に朝鮮総連の宣伝の犠牲となった人々は、必死で「この国は地上の楽園などではない、来るな」と言うメッセージを、検閲の目をかいくぐってあらゆる手段で送り続けた。私の聴いたケースでは、手紙に何が書いてあっても信用するな、切手の裏にメモをするからそれを読め、という約束を帰国直前に日本の親族と取り交わしたケースもある。勿論切手の裏に書いてあったのは、絶対北朝鮮には来るなというメッセージだった。

 このような情勢下、映画「千里馬」は、既に家族、親族からのメッセージを受け取りつつあった在日朝鮮人たちにとって、むしろ白々しい作品だったのではないかと思う。この映画の「宣伝性」は、日本人に対して、北朝鮮への幻想を与え、その裏面で日韓条約反対、そしてアメリカ帝国主義批判を訴える宣伝映画として機能したのではないだろうか。

 この映画の宣伝パンフレットにはこう記されている。

「かつて、日本帝国主義によって、36年にわたる植民地支配がおこなわれた朝鮮。

 1945年8月15日、解放されて以来19年をへた朝鮮。

 いままだその南半分をアメリカ帝国主義に支配されている朝鮮。

 しかし、1948年9月9日。朝鮮には歴史上はじめて、勤労人民の権力がうちたてられ、朝鮮民主主義人民共和国が誕生した。

 長い長いあいだの苦しかった日本の支配者の圧制、つづくアメリカ侵略者の南朝鮮の占領、かれらとの戦争、この苦難な道をへてまずしかった朝鮮が、いまその面目を一新し、発らつとした力の躍動する強大な工業・農業国としての社会主義国一朝鮮民主主義人民共和国と生れかわった。」

 「日本人民に正しい朝鮮の姿を知らせまいとするその裏で、日本と南朝鮮の反動勢力が手を結び、「日韓会談」という名の軍事的、経済的な侵略計画がすすめられている。」

 また、当時の日朝教会理事長畑中政春の文章にも、同じトーンで日韓会談が批判されている

 「そして、何よりも、このチョンリマが、アメリカ帝国主義のさしがねのもと、日韓反動勢力の間で進められている「日韓会談」の危険な陰謀をうちくだき、在日朝鮮公民の祖国往来をはじめとする日本と朝鮮民主主義人民共和国との自由な往来の実現をめざす闘争をつよめ、日朝親善、友好、経済、文化交流の促進、在日朝鮮人との提携を深めるために大きな役割を果すであろうことを私は信じて疑いません。」

 このような文章を読むとき、北朝鮮賛美が同時に韓国・アメリカ、そして日本政府への批判と密接に結びついていることに私達は気づかされる。私は韓国の軍事政権を全面評価するものではないが、どう考えてもその独裁制、反動性が北朝鮮より酷いものとは思えない。韓国では弾圧はあっても民主化運動は展開された。北朝鮮では建国以来、反政府運動や民主化運動など行われる余地など全くあの独裁体制下では存在したことも無い。

 そして、この姿勢はどこか現在の韓国における反米運動や、民族統一・友好の名のもとに北朝鮮擁護、少なくとも北朝鮮の人権問題を軽視する姿勢とも共通するもの感じられる。アメリカの独尊的な姿勢を批判するのはよい。しかし、それがそのまま独裁政権ですら反米であり同じ民族であれば批判を控える、北朝鮮の人権侵害に目を瞑っても平和と友好、民族の対話という耳に快いスローガンを無条件に評価し選択する姿勢は、この時の日本映画スタッフと瓜二つの精神構造ではないだろうか。(終) 参考資料 当時の宣伝パンフレット、また新聞の映画評など

 

編集部 

(パンフレットから宣伝文)

 チョンリマ<千里馬>―社会主義朝鮮の記録―

 1964年度作品

「チョンリマ」製作委員会・製作

朝鮮記録映画撮影所・協力

製作スタッフ

製作 大村 英之助・松本 酉三・ぬやま・ひろし

監督 宮島 義勇

 はじめに

  「近くて遠い国」

 朝鮮にたいして、いつとなくこのような言葉がつかわれるようになった。

 隣りの国朝鮮。日本からもっとも近い国朝鮮。

日本人が、もっともよく知らなければならない朝鮮。

この朝鮮が、人為的にとざされて未知の国とされている。さらにいま日本在住の朝鮮人は、自分の祖国一朝鮮民主主義人民共和国にも自由に往来ができないでいる。日本人の往来にも大きな制限がある。

 かつて、日本帝国主義によって、36年にわたる植民地支配がおこなわれた朝鮮。

 1945年8月15日、解放されて以来19年をへた朝鮮。

いままだその南半分をアメリカ帝国主義に支配されている朝鮮。

 しかし、1948年9月9日。朝鮮には歴史上はじめて、勤労人民の権力がうちたてられ、朝鮮民主主義人民共和国が誕生した。

 長い長いあいだの苦しかった日本の支配者の圧制、つづくアメリカ侵略者の南朝鮮の占領、かれらとの戦争、この苦難な道をへてまずしかった朝鮮が、いまその面目を一新し、発らつとした力の躍動する強大な工業・農業国としての社会主義国一朝鮮民主主義人民共和国と生れかわった。

 新しい朝鮮は、いまはかりしれない力をもって躍進をつづけている。しかも自力更生の革命の旗をかかげて、何ものにも屈することなく、朝鮮の自主的平和的統一と全朝鮮人民の解放のために、社会主義建設をさらに高めるために、高い案をめざして、まさに人民が一丸となってたたかいをすすめている。

 日本人民に正しい朝鮮の姿を知らせまいとするその裏で、日本と南朝鮮の反動勢力が手を結び、「日韓会談」という名の軍事的、経済的な侵略計画がすすめられている。朝鮮人民にかぎりない不幸をあたえることは、日本人民にもかぎりない不幸を背おわせることである。いまわしい歴史を二度とくりかえしてはならない。 日本人民は、いまあらためて新しい朝鮮を正しくしらなければならない。

 映画「チョンリマ」は、朝鮮の正しい姿を、日本をはじめ全世界の人びとに理解して貰うために、日本人の撮影隊10名が半年にわたり朝鮮に滞在し、朝鮮民主主義人民共和国の深い配慮と援助のもとに、初めての日本と朝鮮の合作映画として、国際的にもめずらしい形で製作されたものである。

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日朝協会 理事長 畑中 政春 

 こんどチョンリマ製作委員会のみなさんの大変なご苦労と、朝鮮民主主義人民共和国記録映画撮影所の絶大なご協力のもとに、日本人によるはじめての朝鮮紹介記録映画チョンリマが完成したことを日朝協会は心から喜んでおります。

 よく、「近くて遠い国」− といわれるように、私達日本人は、朝鮮民主主義人民共和国との間を閉ざされているため、すぐ隣りの朝鮮についてはほとんど知りません。

 もっともっと、多くの日本人にすばらしい社会主義建設をなしとげた朝鮮民主主義人民共和国の実情を知らせ、日朝両国人民の友好と提携を深めようとの目的でつくられたこの映画は、まさに「百聞は一見にしかず」―みるものをして偉大な国―朝鮮民主主義人民共和国の躍進と発展に驚讃させずにはおかないだろう。 そして、何よりも、このチョンリマが、アメリカ帝国主義のさしがねのもと、日韓反動勢力の間で進められている「日韓会談」の危険な陰謀をうちくだき、在日朝鮮公民の祖国往来をはじめとする日本と朝鮮民主主義人民共和国との自由な往来の実現をめざす闘争をつよめ、日朝親善、友好、経済、文化交流の促進、在日朝鮮人との提携を深めるために大きな役割を果すであろうことを私は信じて疑いません。

 チョンリマは日朝友好運動にとってまことにすばらしい武器となるでしょう。

 映画の製作にあたった日朝の関係者のご苦労に深い敬意を表しながら、すべての国民が、この映画をみて、朝鮮を正しく知り、認識されるよう心から期待するものであります。

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(当時の映画評から)

 たくましい北朝鮮再建の姿 <チョンリマ>胸つく 帰国者の声

  チョンリマ製作委製作

 「戦争と平和」「蟹工船」のカメラマン富島義勇が撮影してきた、今日の北朝鮮を伝える長編記録映画。はっきりと共産主義の立場にたってつくられた作品だが、隣国でありながら中国以上に実情の知られていないこの国が、過去十年、朝鮮戦争の荒廃からいかに社会主義国家の再建にエネルギーを結集してきたかを知るうえで、貴重なフィルムといえる。題名は、東洋伝説に“千里を走る馬”の朝鮮語で、そのようにたくましくとこの国の建設スローガンになっている言葉だ。

 画面は、鉄鋼、電力、肥料、機械工業、あるいは農業など建設面の紹介に多くがさかれ、労働者たちが生産の向上をはかるために“学習”をし“点検”と呼ばれる集団討議をしている模様などが描かれる。なかでも、国の再建には“まず機械をつくる機械を”と、大規模な工作機械工場の紹介が目を引く。そこに立ちならぶ大小さまざまな工作機械には、“一九六一年完成”など若々しい日付のプレートが誇らしげについている。これらの画面や、あるいは労働者用のブロック住宅の建築風景、田畑で働く農耕機の風景などから、専門家ならばこの国の産業の水準や重点の置きようなどを見定めることができよう。

 ほかに、日本からの帰国朝鮮人の生活、板門店での停戦委員会が描かれ、この国独特の“十五日間の田植え戦争”も紹介される。人手不足を補って、都会から労働者、兵士、学生が集団で田植えの応援に行く国家的な運動だ。なれた手つきの農民と無器用ながら懸命の都会労働者との対照的でユーモラスな描写のなかに、彼らに芽ばえる連帯感が快く伝わってくる。

 このようにフィルムは雄弁だが、この種の作品の通幣で、アナウンスの解説が一時代前のアジ演説のように内容空疎な“美文調”であるのは、やりきれない。解説のうつろさに比べて、日本からの帰国者や戦争で子どもを奪われた母親の短いナマの言葉が、はるかに訴える力があった。「帰国後の生活が心配だったが、勉強の機会を与えてくれて、新しい職業につくことができた。この年齢での勉強はつらかったが、皆がよく助けてくれた。私が残念なのは、こんなに年をとってこの祖国のためにもうあまり長く働けないことだ・・・」と、日本から帰国した老人が“朝鮮なまり”のある日本語でトツトツと語る言葉には、真情があふれ、在日時代にいわれなき人種偏見に苦しんだろうことを思うとき、胸が痛む。色彩、一時間半。(毎日新聞)

 

 北朝鮮の現実とらえる

 「チョンリマ」(チョンリマ製作委員会作品)

 チョンリマとは“千里を走るウマ”という意味の朝鮮語だ。このチョンリマを合いことばとして新しい国づくりを進めている朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮の、今日のすがたを生き生きととらえた記録映画である。監督宮島義勇ら十人の日本人スタッフが十か月がかりで北朝鮮の各地に足をのばし、朝鮮記録映画撮影所がこれに協力した。

 都市では重工業のめざましい発展、農村では用水路がえんえんと走り(この空中撮影が印象的)、村をあげて新しい住宅に引っ越す風景も描かれる。昨年九月九日の建国記念日、首都平壌(ピョンヤン)における創建十五周年記念大パレードがラスト。ここに、彼らのエネルギーの爆発が見られる。

 これは、感動を記録した記録映画であるといえよう。その感動は、まず北朝鮮の人たちのそれであり、次に、それをそのまま映画づくりの原動力としたスタッフの感動である。前者についていえば、日本からこの国に帰っていった人たちが「私たちは三人の子どもの教育が心配で帰国した。いま彼らは専門学校や大学に行き、私も大学で再教育を受けている。学費は一切無料、子どもたちには奨学金まで出ている。まさにこの世の天国である」と語る。日本生まれの小児マヒの少女も、いまでは歩き、学校に通い、薬剤師として国家に尽くすことができるようになっている。

 映画は、それらを淡々と描いて感動を高めているのだが、その一方では、かなりはげしい口調で“アメリカ帝国主義”を攻撃した解説となっても現われた。この世界で、同じ一つの国が二つに分断されていがみあうところが、ほかにもあるが、このように、おのれのみを是とし、他を非とするだけでは、その不幸な現実は一歩の解決に進まないだろう。少なくとも第三者の日本人が製作したこの映画の場合、南北の平和のかけ橋となるような方向がなかったかと惜しまれる。

 さらにもう一つ、ここに描かれた限りでは、確かにその国づくりはすばらしい。だが、この“天国”にもなんらかの矛盾や悩みがないわけではあるまい。それらを素通りして、ただ礼賛に終始しているのは、忠実で公正な記録映画というのにいささかはばかるものを感じる。(平)

 =カラー、一時間三十分。読売ホールで上映中。

  (読売新聞)

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 北朝鮮の実情を紹介

 「チョンリマ」(千里馬)映画記録

 朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮は隣国でありながら近くて遠い国だ。その知られざる実態を、日本人の手で克明にカメラにとらえた総天然色、一時間半の長編記録映画が「チョンリマ」である。

 汽車は南へ進む。穴だらけの畑が戦争の傷あとを物語る、三十八度線に近い信川という町では七人の子供をつぎつぎに虐殺された老婆が切々と証言する。やがて汽車は開城。線路はぷっつりたち切られ、軍事境界線の標識が南北朝鮮を冷たくさえぎる。

 ここで画面は一転して、千里を走る馬の勢いで社会主義建設に励む北朝鮮の明るい姿をつぎつぎに写し出す。近代都市として生まれ変わった平壌の整然としたたたずまい、いたるところに生まれた近代的工業都市、労働者鉄筋住宅、保育所、病院、学校‥‥‥すべてゼロから出発した驚異の記録である。労働者、日本からの帰国者などのインタビューを随所におりこんで建設にたずさわる人々自身の口から語らせているのも、この映画の一つの特徴だ。

 水路の完成でかつて水田のなかった地帯で米がとれるようになった。田植え期には労働者が農村に出勤して“田植え戦争”を展開する。チョンリマ運動の一つで、社会主義の国らしい風景だが、建設の秘密を物語る一コマでもあろう。

 板門店停戦委員会での対決、平壌での建国十五周年記念パレードの模様はクライマックスを飾る圧巻。宮島義勇監督(「人間の条件」「切腹」のカメラマン)以下十人の撮影班が今年一月まで十ヵ月にわたる現地撮影を行ない、朝鮮記録映画撮影所の協力で、この映画を完成した。

 語り手・永井智雄。上映時間一時間三十分。

 製作「チョンリマ」製作委員会、(朝日新聞)

            

関西支部でも上映会開催

11月19日の関西支部講座のご報告

 萩原遼さんと脱北者の二人の女性を迎えて、勉強会を開きました。

 今回は先ず、北朝鮮への帰国を促すために活用されたと思われる映画「チョンリマ」を上映し、あらためてこの映画の内容を検討しました。映画の最終場面では、参加者から思わず拍手がおこるほどに当時の北朝鮮を明るくて人々の連帯感にあふれる「天国のような国」に表現していました。しかし場面の様子を慎重に考えてみれば、人々の自然な態度ではなく、十分に練習を重ねた上で撮影したもので、ドキュメンタリーというよりは劇映画というべきものだと分かります。

 撮影に携わった日本の映画人は、事実のままの映像を撮ろうとどの程度努力したのでしょうか。日本の映画人の態度も検証されねばなりません。また帰国希望者が激減していた1964年から上映が始まり、65年には帰国者が2255人、66年には1860人、67年には1831人と、65年の1822人を上回りました。チョンリマの上映が帰国希望者を増やすために使われたとすれば重大です。当時、どのように誰がこの映画の上映会を組織していったか検証する必要がありそうです。

 参加した脱北者は当時体験した生活を語りました。

 参加者は30人ほどとこぢんまりした集まりでしたが、内容はとても良いものでした。次回12月17日(土)は「帰国第1船の記録」を上映し、当時の熱狂的な帰国風景と帰国者たちの姿を検証したいと思います。

 脱北者からは1980年代までの日常生活の様子を正確に語っていただき、北朝鮮における帰国者の普通の生活状況を正確に多面的に知る機会にしたいと思います。(山田文明)

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北朝鮮脱出者は、貴重な歴史的役割を持つ

トリハナ宣教会 チョン・ギウォン代表

 トリハナ事務室には、毎日多くの数の電話と手紙が来る。“助けてください!どうすれば韓国へ行くことができるんですか?”皆同じ内容だ。彼らは、中国に潜伏中のいわゆる‘脱北者’たちだ。こういう声を聴くたびに、なんともいえない思いが心に迫ってくる。

 おととい受け取った手紙にも30代女性の痛切な事情が書かれていた。1997年、飢え死しないよう真夏の豆満江を渡って中国に来た27歳の彼女に待っていたのは、中国人男性や、朝鮮族などの嫁の来ない男たちなど三人の男に売られながら、人権を踏み躪られた7年の歳月だけだった。最近は、あらゆる手を尽くして毎月700元(約10万ウォン)ほどを稼ぎながら1年間ぶっ通しで働いていたが、その溜めたお金を中国公安につかまった時に不法滞留者の罰金で全部奪われたと言う。また、公安を見れば心臓が泊まってしまうほどの不安と恐怖の中で過ごす中で、韓国人食堂で韓国衛星放送を通じて‘韓国政府が脱北者を受けいれる’と言う内容を見て、‘祖国・韓国の地へ行くことができる道を教えてくれ’という内容であった。

 こんな事情を聞いてしまえば、私たちは、彼らに向けた無条件の助けの歩みを踏み出すしかないのだ。私たちの憲法は、確かに彼ら脱北者を大韓民国の国民と認めている。だからこそ、韓国国内で行われている恵まれない隣人への助け合いと同様に、彼らに向けて助けの手助けを伸ばさなくてはならないはずだ。

 しかし、数日前、あるセミナーで統一省の関係者が政府施策を広報し、“脱北者は、大韓民国・国民と認め、本人が願えば国家が保護して国内に入国させることが政府方針だ”と力説した。筆者は、このような発言が何故できるのか、理解することができなかった。

 最近第3国を経て、韓国に来ようとして中国公安につかまり、結局、北送されたあるお婆さんがいる。彼女は、ひどい拷問によって二つの足を使えないほど傷ついた状態で、再び北朝鮮から脱出して来た。けがをした足のため一人で領事館に飛び込むこともできない状況だった。それで、外交部に特別に保護要請をしたが、一言で断られたのが、ついおとといの事だ。

 また、この間には、ベトナムで脱出した人々も我が領事館に保護要請をしたが断られて、ベトナム警察につかまって、中国に追放された後に中国から北送されてしまった。

 このような事実があるのに、今の韓国政府がどうして無原則に国内に受け入れているといえるのか?と私は発言者に問い返した。彼は“該当国の法により、大韓民国領事館内に進入した者に限り保護する”と返事した。これは水におぼれて死んで行く人に“自力で泳いでくれば助けてあげる”と言うことと同じだ。助けてあげるのではなく馬鹿にしているのだ。

 本当に脱北者たちの苦痛を思ったら、他国で人権を踏み躪られて、迫害を受ける彼らを、もう少し積極的に保護できる方法を準備しなければならないはずだ。

 私たちは、この避けられない歴史的な選択をしなければならない。果たして、脱北者を大韓民国・国民だと認めるのか? 生存の脅威の中にいる彼らに向けて、私たち周辺にいる恵まれない隣人のような心で見つめることができるか? そして、彼らが、我が民族の未来に貢献するこの上なく大きい価値が脱北者にはあることを分かっているのか?

 韓国国内に入国した北朝鮮脱出者は、今、北朝鮮内にいる家族と知り合いたちに、北では知ることのできない、資本主義社会での多くの情報や、韓国での生活について伝え、さらに経済的支援も行っている。これによって、北朝鮮住民たちは韓国に対する考えに多くの変化を持って来ていると言う。脱北者たちは、このような役目の中で、将来、南北統一時代において両方陣営の緩衝地帯としての大きな役割を果たすことができるはずだ。私たちは、彼らの存在を未来の我が民族の貴重な歴史的動き手と認めなければならないであろう。

(本稿は秋元直美氏〈トリハナ会員〉の翻訳を三浦が多少整理しました。)

 

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『平壌の水槽』を読み、広めよう!

2005.9.25関東支部学習会の報告

小川 晴久(名誉代表)

 今年の6月13日、ブッシュ大統領は姜哲煥氏をホワイト・ハウスに招き、40分懇談したという。ホワイト・ハウスが提供した2人が握手している写真は、翌日全世界を駆けめぐった。北朝鮮の山の中の収容所の一日も早い廃絶を願う者にとって、こんなにうれしいニュースはなかった。

 7月21日テレビ朝日のスーパーモーニングで「強制収容所からの脱北者“姜哲煥の壮絶な半生”」が17分放映された。そこでブッシュ大統領との懇談の内容が姜哲煥氏本人から詳しく紹介された。ブッシュ大統領はこの本がアメリカ全国民によって読まれることを願うとまで言ったことが、7月21日のこのテレビで日本国民に紹介された。この本とは姜哲煥氏のヨドク(耀徳)収容所の体験記をフランス人の人権活動家で社会学者ピエール・リグロさんがフランス語版にまとめたものの英訳、つまり英語版である。英語版は2001年にできていた。ブッシュ大統領にこの英語版を勧めた一人は元国務長官のキッシンジャーであったことも、その後明らかになった。姜哲煥氏は7月中旬から1ヶ月またアメリカに招かれ各地で講演したが、キッシンジャーと挨拶している写真を7月下旬朝鮮日報は掲載した。

『平壌の水槽』の日本語版が2003年8月に出ていたことは救いであった。6月13日懇談のニュースが伝わるや日本語版(ポプラ社刊)が大いに注目されるようになったからである。もし日本語版が出ていなかったら、日本は大恥をかいたことになる。訳者の裴淵弘氏とポプラ社に心から感謝したい。

 去る9月25日、守る会は本書をとりあげ、学習会を開いたが、それができたのも日本語版が出来ていたからである。姜哲煥+安赫共著の体験記『北朝鮮脱出』(上・下、文春文庫)が在庫切れとなっている現在、本書・日本語版はとても貴重である。

 当日の学習会は7月21日放映ビデオを上映したあと、私が本書の注目点を諸点述べ、宋允復氏が在日で先に帰国した父親を訪問しただけなのにヨドク(耀徳)収容所に入れられたリセボン一家について補足した。

 私は『北朝鮮脱出』と比べて本書で新しく指摘されたり、強調されているところに自然と注目することになった。姜哲煥の祖父や祖母のことが比較的詳しく記されていた。とくに前著では祖母の説得に祖父が折れたことになっていたが、祖父を最後に説得したのは、彼が尊敬していたヤクザの一言であったことが披露されている。「祖国の呼びかけに応えて国の繁栄に尽力し、生活を向上させるべきではないか」と。とても象徴的な一言である。40数年前の帰国運動はこのような理念で推進されていたからである。

 私が一番注目した箇所は完全統制区域の説明である。一度入ったら二度と出てこられない所である。注目すべきは次の指摘である。「彼らの多くが軍事用複合施設の建設に従事し、精巧な軍需用品の製造工場など、国家機密に属する施設での重労働を担わされる。こうした極秘施設における労働を、民間人や釈放する可能性のある囚人たちに与えることはまずない。」

 ここで気づくことは北朝鮮の核開発や化学兵器の開発である。生体実験もここにつながる。これらのことを、すべてではないが、姜哲煥さんはヨドク(耀徳)収容所の中で仲間から聞いているのである。

 六ヶ国協議が云々されるところで、私たちは完全統制区域(強制収容所)の話をしなければならない。北の核開発と強制収容所問題(人権問題)は一つにつながっているのだ。姜哲煥の『平壌の水槽』からこのことを教えられる。ボヤッとしていてはいけない。想像力を働かせよ。姜哲煥は自由の国に住む日本や韓国の人々を叱咤する。ぜひ本書を精読してほしい。

 

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北韓人権市民連合ニュースレター96号から

ソウル地方弁護士会の
「宣言文」

 遂に我が国の法曹人団体が北韓の人権改善のための国際互助努力に積極的に参与するようになった。

 9月23日、ソウル地方弁護士会は宣言文を発表し、北韓の人権改善を促すという立場を明らかにしながら、北韓の人権改善のための国際互助と積極的な努力だけが平和統一を早める近道であることを確認したと主張した。(全文7頁)

 

 この宣言文は冒頭で人権について、いかなる理由であれ侵害されてはならない最高の価値であると定義したのに続いて、北韓住民たちは基本的な人権すら保障されずにいるとし、飢餓と疾病、強制収容と公開処刑、女性の人身売買と性的虐待等をその見本に挙げている。継いで北韓当局が、いわゆる我々式人権概念を掲げながら問題の本質を意図的に回避して来た事実と、我が政府の曖昧な態度を強く批判した。

 特に我が政府が掲げている段階的接近方法、すなわち対北支援を通じた生存権的レベルの人権問題を解決した後、政治的人権問題に接近しなくてはならないという主張に対し、過去の軍事独裁政権の論理同様ひどく危険な発想だと断言した。

 これに続く実践的行動指標は、この宣言文のハイライトというべき題目だが、その要旨は以下の通りである。

 一、生存権的人権と政治的人権を区別し、優先順位をつけるという主張に同意せず、二、対北経済協力が北韓の人権改善に助けになり得るという点には同意できるが、経済協力のために北韓の人権問題に沈黙するのには同意せず、三、南北の緊張緩和のための試みには同意するが、人権問題提起が緊張を高潮させるという主張には同意しない、四、人権問題に対する沈黙は分断を固定する道ゆえ、大いに発言すべきである等だ。

 宣言文は、人権には先後と優劣がありえず、その完全なる保障だけに意味があるという言葉で結びながら、北韓住民たちが公開処刑と強制収容の苦痛からの解放されることを5千名の会員の名前で願っている。

 筆者は、この宣言文こそ是々非々の精神のよい手本ではないかと思う。正しいことは正しく、間違っていることは間違っているというのが知識人が取るべき姿勢だが、この間、私たちの社会は北韓の人権問題については、決してそうではなかったと言うほかない。この宣言文によって、ようやく、私たちは正常を取り戻していると言えるだろう。(96号巻頭言)

(翻訳:碧山こかげ)

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北朝鮮女性の人権侵害の実態・来年度証言集会のお知らせ

 2006年2月4日大阪、2月5日東京にて、北朝鮮の女性の人権問題をテーマとした証言集会を企画しています。北朝鮮国内での女性の人権侵害、また脱北女性の中国における人身売買の悲劇などを訴えていただく予定です。内容決定次第カルメギ等にて報告いたしますので、ご参加をよろしくお願いいたします。会場は下記にて決定しております。

2月4日(土) 大阪集会 大阪社会福祉会館 5階 ホール

 大阪市中央区谷町7丁目4−15 電話 06−6762−5681 地下鉄谷町線または長堀鶴見緑地線谷町6丁目下車 C番出口から南へ200m 約5分

2月5日(日) 東京集会 食糧会館 大会議室

 東京都千代田区麹町3−3−6 電話 03−3222−9621  地下鉄有楽町線麹町駅1番出口下車すぐ 
  ※ 開会は共に1時半を予定しております。

 

 

宣 言 文

−北韓人権の改善を促す私たちの立場−

 人権は思想と理念、時代と場所を超越し、人間であれば誰でも享受出来る権利であり、いかなる理由であれ侵害されてはならない最高の価値である。人類の歴史は人権を勝ち取るための長い闘争の連続であり、私たちの現代史もまた独裁政権の弾圧に遭い自分たちの人権を守ろうとした抵抗の時間だった。こうした努力の結実として全ての個人は人間としての尊厳と価値を持ちつつ幸福を追求する権利を保障されるに到った。

 だが、まだ、北韓住民は基本的な人権すら保障されないまま飢餓と疾病、強制収容と公開処刑に呻吟し、特に脱北者と女性に対する人身売買と性的虐待は、その由来を探し難いほど深刻な実状である。

 その間、国際社会と人権団体は、こうした北韓の人権状況を改善しようと粘り強い努力を傾けてきた。しかし、北韓当局は「人権は北韓体制に順応する者にのみ制限的に適用されるものであり、体制に反対する者にまで与えるものではない」といういわゆる「我々式の人権」概念を主張し、問題の本質を意図的に回避してきた。

 我が政府も、また、北韓の人権問題は対北支援を通じた生存権的レベルの人権問題を解決した後、政治的人権問題に接近すべきであるという段階的接近方法を主張しつつ曖昧な態度で一貫してきたが、これは過去の軍事独裁政権が経済発展や戦争脅威を口実に人権を弾圧した論理とその軌を一にするひどく危険な発想のため、私たちはこうした論理と政策に同調する勢力や動きに対し、憂慮を現わさざるを得ない。

 ここに私たちは人権擁護を使命とする団体として創立98周年を迎え、北韓住民の人権改善のための基本的な原則を作ると同時に実践的な行動の指標とすべく次のように私たちの立場を標榜しようと思う。

 一、人権は宗教、人種、政治体制、イデオロギー等、いかなる理由であれ譲歩出来ない最高の価値であることを重ねて確認し、生存権的人権と政治的人権を区別し、優先順位をつけようとする如何なる主張にも賛成しない。

二、北韓に対する経済協力と支援が、北韓の人権改善に役立つという点に対しては、同意出来るが、経済協力のために北韓の人権問題に沈黙することには同意しない。

三、南北の緊張緩和のための様々な試みには同意するが、北韓の人権問題を提起することが南北の緊張を高めるという主張には同意しない。

四、北韓の人権問題に沈黙することは分断を固定する道であり、北韓の人権改善のための国際互助と積極的な努力だけが平和統一を早める近道であることを確認する。

 今日、私たちはこの宣言文を発表しつつ、人権には先と後、優と劣の区別がありえず、専らその保障だけに意味があるという事実を再度確認し、北韓住民たちが公開処刑と強制収容の苦痛から一日も早く解き放たれるよう5千名の会員の名前で切に祈願する。

2005.9.23    ソウル地方弁護士会

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国連総会北朝鮮人権決議案採決結果一覧表

 去る11月17日、国連総会社会人権委員会での採決結果一覧表です。(クリックして下さい)

 

 票決は国連加盟国191ヶ国のうち、賛成(Y)84,反対(N)22,棄権(A)62で、EU25ヶ国が提出した北朝鮮人権決議案が採択されました。

 第三世界諸国の多くが、それまではこのような決議に反対していたのが、今回は棄権にまわる傾向が出てきたこと等、国際的な対北朝鮮人権包囲網が作られつつあることが期待されます。

 

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北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 関東支部学習会のお知らせ

大韓航空機事件と対北朝鮮外交のあり方

講師:砂川昌順氏(著書「極秘指令」日本放送出版協会)

 大韓航空機爆破事件直後、外交官として現場で事件に対処した砂川昌順氏をお招きし、当時目の当たりにした北朝鮮の破壊工作活動の本質に迫ると共に、今後の対北朝鮮外交における日本のあり方について考えて行きたいと思います。皆様方のご参加をよろしくお願いします。

日 時:12月18日(日)午後2時開場 2時半 開会

参加費:1,000円

場 所:食糧会館中ホール(1階)電話03−3222−9621

 地下鉄有楽町線麹町駅1番出口下車すぐ/地下鉄半蔵門線半蔵門駅2番出口徒歩3分

 

関西支部学習会のお知らせ

脱北者の語る北朝鮮の生活 1970年代から80年代の北朝鮮

 関西在住の脱北帰国者の方々の証言を中心に、北朝鮮における民衆、帰国者の生活実態について学んでいく予定です。特に、90年代の飢餓状態以前、70、80年代の北朝鮮社会について語っていただき、より総合的な北朝鮮の全体像を理解して行きたいと思います。

 皆様方のご参加をよろしくお願いいたします。

日 時:12月17日(土)1時半開会

参加費:無料

場 所:大阪経済大学 B館32教室

住所大阪市東淀川区大隅2−2−8

電話06−6328−2431(代)

 阪急京都線 上新庄駅より徒歩15分

 市バス「大阪経大前」下車すぐ

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編  集  後  記

  今年も残り約1ヶ月となりました。北朝鮮を巡る情勢は一見停滞しているようにも見えますが、国連における人権批判決議、またタイにおける北朝鮮の拉致事件がジェンキンスさん、曽我ひとみさんの証言によって明らかになるなど、国際的な人権問題における包囲網は静かに広がりつつあります。この12月10日にはソウルにて北朝鮮人権問題に関する国際シンポジウム(フリーダムハウス主催)が行われる予定ですが、国際的な世論喚起に向けて、守る会も帰国者・日本人配偶者問題、収容所問題などをますます訴えて行きたいと思います。(三浦)

 

発行:北朝鮮帰国者の生命いのちと人権を守る会年会費:5,000円  郵便振替口座 00140-4-718645

00970-1-119745

脱北者教育支援口座  口座名「脱北者あしなが基金」  口座番号「00900-7-315884」

代表 山田文明  〒581-0867 大阪府八尾市山本町7-6-5TEL/FAX(0729)90-2887

東 京 本 部  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱551号TEL/FAX(03)3262-7473

関 東 支 部  〒152-0002 東京都目黒区目黒本町3-15-16(谷川 透方)TEL/FAX(03)3712-5202

関 西 支 部  〒581-0013 八尾市山本町南2-6-34(窪田和夫方)TEL(0729)99-8780

東 北 支 部  〒981-0952 仙台市青葉区中山8-25-8-305(相原悦子方)TEL/FAX(022)277-2471

中国・四国支部  〒791-8025 松山市衣山5-1517-21(福本正樹方)TEL/FAX(089)923-4732

 カルメギ・ホームページ(担当 福本正樹)http://homepage1.nifty.com/northkorea/頒価200円