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2004年
3月 31日号 統一日報 北朝鮮人権ワルシャワ会議に参加して (上)
収容所問題がポーランドに根を下ろした
小川晴久
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表
去る2月29日から3月2日まで第5回目の北朝鮮人権国際会議がポーランドのワルシャワで開かれた。昨年(第4回)のプラハ(チェコ)開催につぐ2度目のヨーロッパ開催である。主催団体は北韓人権市民連合(韓国)とヘルシンキ人権財団(ポーランド)である。参加者は14カ国から200人近い人が集まった。このうち半分がポーランドの人々であった。日本からは私たちNGOから2人と、3つのテレビ局が参加した。
国会での開会式
昨年のプラハに続いて、国会内で開会式がもてたのはヘルシンキ人権財団と国会議員の協力による。
基調講演は「国民よ記憶し続けよう」協会会長のレオン・キーレス氏が行ったが、ナチとソビエトの強制収容所と北朝鮮のそれとを対比した感銘深いものであった。途中の1節と結びの部分を引用しよう。
「全体主義体制は人々を殺す効果的な方法を互いに学びあう才能をもっていることに我々は痛く注目しなければならないだろう」
「北朝鮮の強制収容所は体制存続の基盤であり、抑圧機構の不可欠な要素である。北朝鮮の収容所とソ連やナチの収容所との違いをなすのは、北朝鮮の収容所が今も存在するという事実である。沢山の人々が収容所で命をおとした。15万人から20万人の人々が今もそこにとらえられている。北朝鮮の人権状況の真実が明らかにされ、世論に知られるようにならなければならない。北朝鮮の強制収容所のことを大いに語ること、そしてその廃絶をめざすことは、我々すべての道徳的責任である。とりわけヨーロッパ人の、とくに東ヨーロッパ人のポーランドに作られたナチの強制収容所が服従した諸国民の大規摸な絶滅を開始したとき、その事実の想像を絶する恐怖によってその犯罪の情報が西側の世論の良心にほとんど届かなかった。時の経過は強制収容所の囚人たちにとって不利である。今日、我々は今収容所にとらわれている人々のことを想起せねばならない」
キーレス氏の結びの1節は完璧である。
素晴しい5人の証言者たち
2日目から会場は宿舎のグランドホテルの会議場に移った。本会議は3日目の午前まで含めて4つのセッションからなったが、私は第1セッション(証言―家族崩壊の悲劇)の司会をつとめた。男子2人、女子3人の5人の脱北者が自らの辛い体験を語り、北の体制を告発した。朝鮮語による証言は英語とポーランド語に同時通訳された。また彼らの証言は英文で詳細に大会資料集に掲載されてもいた。5人の証言は肉親が脱北過程で殺されたり、行方不明になったり、辛い離婚に至ったり、まだ娘を残してきていたり、家庭崩壊の悲劇を生々しく語っていた。涙で証言はしばしば中断された。
義母と夫が餓死し、26歳の1人息子まで栄養失調と肺炎(ペニシリンも他の薬も買えず、見殺す)で失った5人目の証言者・金嬉淑氏(58)は、自らの辛い体験の傍ら、次のようなケースも伝えてくれた。
「30代の若い夫婦が近所に住んでいた。息子と娘がいた。ある日住んでいた家を300ウォンというばか安い値段で売った。そのあと彼らは市場に行き、心ゆくまで食べた。残りの金で夫婦は殺虫剤を買い、それを子供たちに分け、一緒に死んだ」
咸鏡北道の清津市の出来事である。この一家のことを知らせてくれただけでも、私は彼女に感謝する。私たちは永久に忘れないであろう。この一家のことを。
証言のトップバッターであった韓峰姫さんのことに触れないわけにいかない。何と彼女は一昨年六月日本で翻訳刊行された『脱北者』(晩聲社)の著者・韓元彩氏の娘さん(次女)であった。彼女の前にはこの本が置かれていた。
実の昨年のプラハ国際会議に私たちのNGOは国際人権活動家・金尚憲の抄訳になる韓元彩氏の英文手記(A4、43枚)を30部用意し、各国代表に手渡し、かつ壇上で紹介した経緯があったのである。私はとてもビックリし、かつうれしかった。彼女の証言が終ったあとで、司会をしながら私はこの事実を会場に伝えた。
彼女は証言の最後で語った。
「私たちはなぜこのような苦しみの中で生活しなければならないのでしょうか。私の両親がどうなっているか気づかいだして4年になります。彼らが被った迫害と現在の境遇について、今も心配です。いい食事をするときなど涙なしでは食べられません。なぜなら私はいつも両親のことを思っていますから。」
北朝鮮に強制送還された両親のその後について私たちはもっと関心を向けなければならないと切に思った。
生体実験も決議に
生の証言のほかにビデオによる伝達も重要な役割を果たした。今年は例年にも増して4本も上映された。脱北後、ソウルまでの亡命の失敗と、成功の2つのケースを紹介した「ソウル・トレイン」(開会式)、「死線を越えて(MBC制作)」(2日目)、生体実験を報じたBBCテレビ(3日目)、そして国際会議直前に日本で報じられた耀徳収容所の映像(同)。2月1日BBCが全世界に発信したものは55分にも及ぶ本格的なものであった。最終日の朝九時から10時までそれがまるごと紹介されたのは圧巻であった。権ヒョク、李順玉、金尚憲三氏が生体実験について証言したが、権ヒョク氏が自らの肩書きや直接それを見たと言う点で偽りがあるとしても、北朝鮮での生体実験は否定しようもない。私たちNGOは金尚憲氏が今回明らかにした移管書(移送書)に関する資料を参加者に配布した。最終日に採択された決議の中にも「信頼に足る生体実験の諸報告に深い関心を払う」という形でそれは反映された。
(二松学舎大学教授)
2004年 4月 7日号 統一日報
北朝鮮人権ワルシャワ会議に参加して (中)
EUとアメリカの役割
小川晴久
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表
ヨーロッパで2回目の国際会議のせいか、韓国と日本の参加以外はヨーロッパとアメリカの機関とNGOである。言い換えればヨーロッパとアメリカの取り組みが中心になってきている証拠である。第2セッション(人間性に対する犯罪―惨めさと恐怖)、第3セッション(国際社会と北朝鮮の人権)、第4セッション(今後の行動計画)の内容をEUとアメリカの取り組みに焦点を当てて報告しよう。
EU外交と人権
一昨年EU諸国はフランスを除いて軒並みに北朝鮮と国交を結んだ。その背景と原動力が何であったかは私自身まだ考えていない。
しかしEU諸国は経済や技術援助と共に必ず人権の改善を求めることが伝えられていた。この後者の面が昨年4月17日の国連人権委員会での初めての対北朝鮮人権改善要求決議案の共同提案国となって表れ、決議の採択に結実したのである。
今改めて昨年の決議(案)を見てみると、共同提案国はEU加盟国16をはるかに上回る29カ国である。そしてすべてがヨーロッパ諸国である。まだEUに加盟していないポーランドの名も見える。ヨーロッパ全域が結束しての共同提案であった。
決議の内容も、北朝鮮における「組織的で広範囲にわたる、由々しい人権侵害」を指摘したレベルの高いものであり(強制収容所の存在の指摘を含む)、かつ既存の食糧、拷問、宗教上の不寛容さの3つに関する各特別報告官や拉致や恣意的拘留についての各ワーキング・グループの活用などを指摘した、とても具体的、実践的なものであった。
このような立派な決議が昨年4月に採択された経緯については長い歴史があるが、北朝鮮の人権問題に対する取り組みをEU勢力が一挙にまとめ、決議案に集約してくれたことに今注目したい。
この実績の上に今回EU議会の事務局長ブルーノ・ハンセス氏の報告「北朝鮮の人権に関するEUの努力」と、英朝議員連盟会長で上院議員のデイビッド・アルトン氏の報告「北朝鮮の人権を改善するに当たってのヨーロッパ諸国の役割」が実現した。2人ともEU議会とイギリス議会を代表する人物であり、昨年訪朝している。
ハンセス氏は大略次のように報告した。
「EUは98年から人権問題等に関して北朝鮮と対話を進めている。昨年12月にも食糧支援など人道問題について話した。人権問題はEUにとって重要課題であり、これからも北朝鮮と食糧、宗教、拷問の問題などについて対話を続ける。北は干渉を嫌がるが、人権が尊重されたら経済状態や社会状況もよくなるはずであり、北が様々な条約を批准することを望む」と。
食糧、宗教、拷問の問題とは先述した昨年の決議で、特別報告官云々と述べた部分の実践である。
英のアルトン氏は脱北者の訴えを直接きいたことが、北朝鮮人権問題に開眼するキッカケとなったと提出したペーパーに述べている通り、また訪朝時に刑務所(収容所)の見学を求めて断わられた経緯も明らかにしていて、北朝鮮の人権問題の所在が、脱北者の強制送還と収容所問題にあることを認識していた。
会場では2人に対して人権活動家から注文があいつぎ、私も「対話」で終っている弱さを感じたが、EU諸国は数が多い。ボディー・ブローが少しずつ、きいていく感じがして、日本政府のいわゆる「包括的解決」策よりはるかに意味がある。
日本政府は拉致問題だけである。EUは人権問題全般の解決を求めている。
『隠された収容所』と自由化法案
EUと比べてアメリカの取り組みは北朝鮮人権問題の根幹をついている。「北朝鮮人権のためのアメリカ委員会」は昨年10月北朝鮮収容所・教化所・集結所の実態を証言で暴く報告書『隠された収容所』をインターネットで世界に明らかにした。強制収容所の30枚の衛星写真と共に。その編著者デイヴィッド・ホーク氏が参加し、第60回国連人権委員会への戦術について語った。
また昨年11月アメリカ上院と下院に北朝鮮自由化法案が上程されたが、その法案の起草に参加した弁護士のタリク・ラドワン氏がその法案について解説した。
この法案は5つの課題から構成されているが、中心は難民救済と北朝鮮社会への外部情報の提供(対北ラジオ放送とラジオの提供)である。とくに北朝鮮人を直接難民として大量に受け入れる法的整備が世界の注目を引いている。
強制収容所と難民、北朝鮮人権問題解決のこの2つの鍵にアメリカの人権団体と議員たちは真向うから切り込みを開始した。
北朝鮮は人権決議全面拒絶
北朝鮮当局は2月4日、国連人権高等弁務室に対し、昨年4月17日採択の国連人権委員会決議を全面拒絶する回答を寄せていたことが、国際会議最終日に配布された国連人権委員会の資料(2月17日付)で明らかになった。
実はこの資料は何の説明もなかったので、その中身を知ったのは帰国後であった。
北朝鮮当局の拒絶の理由は、(1)体制の維持・独立こそ最優先(2)人権≠ノ名を借りた政治的意図に反対(3)2重基準(ダブルスタンダード)反対、というものであるが、9年前の見解と全く同じである(「真の人権を擁護して」労働新聞、1995年6月24日)。9年前と全く同じということは驚くべき事実である。1997年以来の飢餓と世界の支援の受入れ、1997年と98年の2度にわたる国連人権小委員会の対北朝鮮人権改善要求決議、ここ3年間のEUとの人権対話、これらの努力を全く無にする2つの顔。
北朝鮮こそダブルスタンダード(2枚舌)の張本人である。
3月15日から始まっている第60回国連人権委員会でEUが昨年よりも進んだ北朝鮮人権特別報告官の任命を要求する決議案を上程すると伝えられている。昨年棄権に回ったアジア・アフリカ諸国が反対に回らなければ可決である。正念場である。
(二松学舎大学教授)
2004年 4月 21日号 統一日報
北朝鮮人権ワルシャワ会議に参加して (下)
ポーランド開催の意義の巨大な意義
小川晴久
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表
ヘルシンキ人権財団
第5回北朝鮮人権・難民国際会議をポーランド側で主催したのはヘルシンキ人権財団である。残念ながら(恥しいことにと書くべきか)私はこの団体について無知であった。起源は一九七五年のヘルシンキ協定(西側のNATO条約加入国と東側のワルシャワ条約加入国との間に結ばれた協定)に遡る。この協定の中に人権保障条項が含まれていて、東欧が民主化を実現した元になったという。ポーランドがまだ社会主義圏であった当時は、この協定が遵守されているかを監視する活動、解放(民主化)後は人権と民主主義を旧東欧圏に普及するNGOとして最大の人権団体となっているという。一○年以上の歴史をもつ。
もう一つの主催団体の北韓人権市民連合(韓国)は東欧やポーランドの民主化に貢献したヘルシンキ協定やこの財団に注目して、ポーランド開催を決めたようである。もちろんポーランドにアウシュヴィッツがあることもカウントされたであろうが。
ヘルシンキ協定に無知であった私にはポーランド開催の意義はアウシュヴィッツとの関連である。
ヒットラーの我が闘争
金正日がヒットラーの崇拝者だという指摘をどこかで読んだ覚えがあったので、2月の中旬から私は生まれて初めてヒットラーの『我が闘争』(角川文庫上下)を購入して読み始めた。日本を出発する前に3分の2まで読み、飛行機の中でどうにか読み終えたが、予想に大いに反して、とても説得力のある内容であった。ユダヤ人はコスモポリタンで民族の基盤を掘り崩すから絶滅すべしという主張、アーリア人種とゲルマン民族が世界史で最も優秀であるという主張、テロに対してはテロで対処すべきという主張などを除いては。一般教育と専門教育の理解は、私の見解と全く同じであるし、インテリは教養は一杯あるが意志の力は弱いという主張はつい同意してしまいそうである。少なくともこの書が全世界の民族や宗教の単位を守ろうとしている人々のバイブルになる力をもっていること、日本の新しい歴史教科書をつくる会≠フ人々を力づける本であることだけはまちがいない。
そして大事なことは北朝鮮がウリ式社会主義≠守り抜こうとしているときに『我が闘争』が導きの書となることは、大いにありうることである。金正日が本書を愛読して活用してきたか否かは立証を要するが、彼が本書から沢山のことを学び、生かしてきたことは大いに考えられる。宣伝の重要性、指導者の絶対化の必要性、敵対勢力の絶滅の必要性と、無慈悲にそれをやり抜くことの必要性など。私が今回学んだ大きなことは、ヒットラーや『我が闘争』を悔ってはならないこと、すごい力をもっていること、もし金正日がヒットラーを尊敬し、彼から学んでいるとしたら、金正日を悔ってはならぬことである。
金正日の書架に『我が闘争』があったことは成~琅さんが『北朝鮮はるかなり』(上)で指摘しているし、『我が闘争』が彼の愛読書であることは康明道氏が『北朝鮮の最高機密』(文芸春秋)で証言している。問題は彼が何語で『我が闘争』を読んだかである。朝鮮語(韓国語)版の『我が朝鮮』はいつ頃出版されたのであろうか。金正日は日本語版が読めたのであろうか。識者のご教示を乞う。
アウシュヴィッツとの結合の重要性
国際会議が終わったあと私はアウシュヴィッツを見学した。アウシュヴィッツとその近くのビルケナウの収容所を見学して、私はナチの収容所についてはほとんど何も知らないに等しかったことを発見した。数年前に日本で上映された九時間もの記録映画ショアー≠見ていたにも拘わらずである。ナチの収容所を今仮りにアウショヴィッツ≠ニいう表現で代表させると、アウシュヴィッツの犯罪性はものすごい。私たちはアウシュヴィッツのものすごさを本気になって知らなければならない。
帰国後友人からフランクル著『夜と霧』も読むようにと言われた。学生時代に繙いた記憶はあるのだが、急いで一冊購入した。同じみすず書房から新訳も出ていたが、旧訳(霜山徳爾訳)には1995年に出たラッセル卿の詳しい収容所の解説が60数nも付してある。現地を見学してこの解説を読むと、この叙述の素晴らしさがよくわかる。北朝鮮の強制収容所の廃絶を願うものは、この解説を読み、アウシュヴィッツのことをよく知る必要がある。それは両者を比較し、共通性とちがいを認識するためである。アウシュヴィッツを知るとき、両者を結合することの重要性がはっきり認識できるからである。少なくとも今言えることは絶滅(「最終的解決」)の共通性である。ユダヤ人の絶滅(ドイツ)と敵対階級の絶滅(北朝鮮)である。またもう一つ両者に共通するのは生体実験である。両者の比較を始めていくと、「現在のアウシュヴィッツ…北朝鮮」という規定がますますリアルになってくる。
ポーランドで北朝鮮の人権問題国際会議が開かれた巨大な意義は、我々がアウシュヴィッツの認識を深めなければならないことを学んだと同時に、ポーランドの人々に北朝鮮が強制収容所の存在と実態を知ってもらう基礎を作ったことである。両者を比較するシンポジウムがワルシャワで何度も挙行される必要がある。そうなればアウシュヴィッツ収容所の前に北朝鮮の収容所を訴える掲示板が立てられる日が訪れる。アウシュヴィッツを見学する人は全世界からあとを絶たない。その人たちがアウシュヴィッツで北朝鮮のアウシュヴィッツの存在を知ることができたら、その意義は巨大である。
金正日はアンネの日記≠フ活用を始めた
帰国後報じられた驚くべきニュースをお知らせする。金正日が中学生にアンネの日記≠読ませ、アメリカは現代のナチスであり、ブッシュはヒットラーだという教育を展開していることを、最近オランダのテレビ局が現地を訪れ、報じた。我々の認識では、現在の北朝鮮こそナチス的収容所国家であり、金正日こそヒットラーである。金正日はそれを北朝鮮の子供たちから蔽いかくすためにアンネの日記≠ワで利用し始めた。まさに黒を白といいくるめる手法である。我々はこれを黙過してはならない。今こそアウシュヴィッツの対比と結合を大々的に展開しなければならない。
(二松学舎大学教授)
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