書評「北朝鮮に消えた友と私の物語」(萩原遼著 文芸春秋) 

└ 2008-07-01 01:06

評者:三浦小太郎
初出:RENK機関誌「RENK」17号(99.3.1発売)

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」共同代表の一人、萩原遼氏の最新作である。
本書は私にとって、同氏の三部作(他の二作は『朝鮮戦争』『ソウルと平壌』いずれも文芸春秋)の中で最も強い印象を受けた。これは書物としての客観的な評価や、著者の主張への共感とはまた違う。率直に言って、本書は様々な問題提起の書である。戦後の在日朝鮮人運動や済州島問題を考えて行く上で、重要な視点を示されたように思う。同時に、戦後の運動(在日側、日本側共に)の根本的な問題がどこにあったのかを感じさせるものとなっている。


本書は著者の少年時代の記述から始まる。戦争直後、日本がまだ貧しい「アジア」の国だったころ。
貧しさが人を美しくする。清らかにするなどの言葉は、一度も貧困を味わったことのない人間の言葉である。貧しさは人を惨めにもすれば、性格を歪めることもしばしばである。しかし、貧しさの中でしか奇跡的にしか生まれない友情もあれば連帯もおそらくあるのだ。著者と済州島からの密航者、尹元一(ユン・ウォンイル)少年との出会いと交友はそのことを確かに教えてくれる。
辛く苦しい生活に耐えながら、尹少年の吟じる在日詩人の詩を唱和するシーン、尹少年がおそらく父に内緒で、窮迫している著者の家に正月のお餅を届ける姿、「オンチ・コール」こと定時制高校の合唱団時代の思い出。そして、1950年代半ば当時、共産主義や共産党がいかに「希望の象徴」であったかがわかる幾つものエピソード。
今なら「コミュニズムは歌う明日を約束する」という言葉に感動していた、若き著者と友人たちを笑うことはたやすいだろう。今や共産主義のみならず、ありとあらゆる「主義」や「理想」を語ること自体、冷笑をもって迎えられる風潮さえある。しかし「歌う明日」が一切信じられなくなったからといって、それを進歩だとか賢くなったとか言うのもまた虚しいことだ。「歌う明日」を求めようとする精神は、決して冷笑されるべきものではない。コミュニズムに変わる何かを見つけようとする努力こそが必要なのだ。
とはいえ、著者たちの牧歌的な日々は長くは続かなかった。生活苦、日本での生活の行き詰まり、共産党内部の矛盾……。尹元一は、恩師である良心的な日本人教師の勧めもあって、北朝鮮への「帰国」に運命を賭ける。今でもその教師は深い後悔のうちに生きているという。


日本共産党に入党後、1972年に赤旗特派員記者として平壌に赴任してからの仔細は、是非本書に直接当たられたい。社会主義朝鮮を信じていたはずの著者ですら、赴任直後からひしひしと感じた抑圧・密告体制。行方不明の尹元一。元済州島の少年ゲリラであり、今は著者と同じく「守る会」の共同代表である金民柱氏、本名金竜南(キム・ヨンナム)の帰国した兄弟の悲劇。ここで注意を引くのは、当時赤旗の記事にするための平壌市民の生活ルポを行うために著者がデパートや商店を回って品物の値段や品揃えを取材した時のことである。
「当時の労働者の平均賃金は70ウォン、日給に直すと約2.4ウォン。ところがビール一本0.85ウォン、タバコ20本入り1ウォン、うどん一杯0.5ウォン。合計2.35ウォン。一日働いてタバコ一箱買い、昼食にうどんを一杯食べ、夜ビールを一本飲めば一日の稼ぎはとんでしまう」
「肉類はそれこそ目玉が飛び出るほど高い。豚肉一キロ3.2ウォン。牛肉一キロ3.6ウォン。ニワトリは一羽5.28ウォン。まる二日分の日当をはたいてもニワトリ一羽も買えない」
「ありふれた日用品も途方もなく高い。(中略)東京の物価は世界一高いと言われて久しいが、北朝鮮の物価はその何倍もする。(中略)にもかかわらず、当時の日本の新聞報道は一様に「物価は安い」と書いている。一体何を見ているのか」(162〜163ページ)
70年代初頭の平壌ですらこの有り様だったのだ。ご参考までに「一体何を見ているのか」の典型例の一つを紹介しよう。著者より数年後に平壌に訪れた小田実の記述である。
「大雑把に言って、夫と妻が働いて、大体月々150〜160ウォンから200ウォンを稼ぎ出すことはさして難しいことではない。(中略)食費が大体、子供3人の5人家族で月々80〜100ウォンというのが、あちこちの家庭で聞いてみた平均値だった。これでどの程度の食事ができるかということになるが(中略)だいたい日本の普通の家庭で今食べている位の食事はしている。アパート群の一階の商店へ行っても、牛肉、豚肉、鳥肉、魚、野菜、果物は豊富にあって(中略)値段の方も手頃なものに見えた」(小田実『私と朝鮮』筑摩書房、1977年)。
現在この二つを読み比べれば、余りにも無残な小田の言葉は、彼がいかに北朝鮮政府の宣伝に操られたかを露呈している。


金日成個人崇拝の強要、7.4南北共同声明への評価、よど号ハイジャック犯の受け入れ問題等々を巡り、日本共産党と北朝鮮政府=労働党は次第に対立関係に入る。
とりわけ、金日成が手放しで礼賛した、南北両国による7.4共同声明について、著者は「アメリカの『デタント』戦略に丸め込まれ、ベトナムを孤立させるもの」として批判したことを記している。当然にも、こうした日本共産党の姿勢はいたく北朝鮮を怒らせた。
ここで私なりに7.4声明を巡る当時の状況について考えてみたい。
「朝鮮統一を①外部勢力の依存や干渉なしに自主的に解決する、②平和的方法で実現する、③民族的大団結を図る」
本書にも引用されているように、これが1972年の7.4南北共同声明の大要である。韓国には韓国の思惑もあっただろう。韓国がベトナムに派兵していたことも重要なポイントだった。また、同年の東西ドイツ基本条約成立の影響もあるのかもしれない。実際、突然盛り上がった対話ムードがこの後急転直下で冷却化していく過程には、今なお謎の部分が多い。
しかし現代朝鮮半島史を振り返れば、北朝鮮が言う「外部勢力の干渉を排し、自主的に解決を」とは、常に韓国からアメリカ軍を撤退させ防衛能力を弱めるために持ち出す美辞麗句であったし、「平和的方法」「大団結」「対話」等の言葉は、平和交渉のポーズをとりながら、軍備の拡張、武装ゲリラの侵入や対南工作を準備する際のセリフである。
私は、日本共産党がこれに反対したことは結果的には正しかったと思うが、北朝鮮が「デタント=ベトナム孤立化」というアメリカの策略に乗ったという解釈は一面的な気がする。むしろ、北朝鮮はこの時点では武力による統一に絶対的な自信を持っており、アメリカを刺激せずに韓国から立ち去らせるために、この共同声明に合意したのではないか。事実、これ以降70年代を通じて、北朝鮮はますます国際テロに走るようになる。工作員やよど号犯を通じた忌まわしい拉致事件も含めて……。
ともかく、かつてはあこがれの国だった北朝鮮は、著者に恐怖と幻滅しかもたらさなかった。帰国運動を見直そう、楽園とよばれた北朝鮮の真実の歴史を明らかにしようという、著者の旅がここから始まる。


北朝鮮がいつ頃から変質したかには様々な意見があるが、『楽園の夢破れて』(関貴星=カン・キソン著、亜紀書房)や『帰国船』(鄭箕海=チョン・ギヘ著、文芸春秋社)によれば、最初期の帰国者にとっても既に「凍土」であったことは明らかである。しかし、経済的にも政治的にも大きく悪化していくのは、確かに1967年を境とする。
著者は1967年5月の朝鮮労働党中央委員会第4期15回総会を「金日成親子のクーデター」と呼び、『朝鮮労働党略史』や『金正日書記の人間像』など北朝鮮側の著作を読み解くことによって、67年に何があったのかを追求していく。金日成の政治は一貫して自分より業績や才能のありそうな人間を抹殺して行くものであり、粛清は50年代から日常茶飯事であった。しかし、そうした国内事情だけでなく、60年代半ばからの国際的情勢もまた、北朝鮮に大きな影響を与えた。
64年、ソ連のフルシチョフが失脚し、社会主義堅持を謳うコスイギン体制が出現。中国で吹き荒れる文化大革命の嵐。ベトナム戦争の激化。当時の混迷する社会主義陣営の中、北朝鮮は独自の理論と政策を打ち出す必要に迫られていた。そして1967年5月25日、金日成が行った演説「資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリア独裁の問題について」において、事実上の「主体思想宣言」が行われる。
「我が国の北半部では、既に搾取階級と全ての搾取制度が清算され、新しい社会主義制度が確立されており、(中略)全人民の政治的・思想的統一が達成されました。搾取社会では搾取階級と秘搾取階級、支配階級と被支配階級の階級的対立と闘争が基本的な社会関係でありますが、社会主義制度の勝利した我々の社会では、労働者階級と協同農民、勤労インテリの団結と協力が社会関係の基本になっています。(中略)
もちろんこれは、我々の内部に敵対的な要素がないということではありません。社会主義の下でも階級闘争は続けられます。社会主義での階級闘争は、何よりもまず外部から潜りこむ敵対分子や覆された搾取階級の残存分子の破壊活動に反対し、ブルジョワ的、封建的な反動思想の流入に反対する闘いとして現れます」(同演説)
このデタラメな認識から、どれほどの悲劇が生まれたか、これ以降の北朝鮮現代史が証明している。既に「搾取制度が清算された社会主義社会=金日成独裁体制」を守るために、少しでも「敵対的」と見なされる人間、「外部から潜りこむ敵対分子」「搾取階級の残存分子」は否応なく摘発される。中でも日本からの「帰国者」は、この論理からいってまさに典型的な「敵対分子」「残存分子」であった。帰国者は単に生活難に悩むだけではなく、明確に敵対階層と見なされ、相次ぐ逮捕、収容所送りの対象となっていく。
この「金日成のクーデター」前後からの北朝鮮史を、中ソ対立、ベトナム戦争、フルシチョフ時代とその終わり、プラハの春、文化大革命、ニクソン訪中、新左翼運動の高まりといった当時の現代史、そして何よりも韓国現代史と照らし合わせて分析していくことが、今後大きな研究のテーマとなっていくだろう。もちろん、本書はこのテーマに有益な一石を投じている。


帰国運動とは何だったのか? この重い問いに今もなおはっきりとした結論は出ていない。本書はあえてこの問題を朝鮮総聯議長・韓徳銖と金日成の「陰謀」に基づくものと提議し、朝鮮戦争後不足した労働力、技術、外貨を求めていた金日成の要求と、有力な在日朝鮮人活動家を北に追放し、かつまた北朝鮮政府のお墨付によって在日運動を一手に握ろうとした韓徳銖の策謀が、まんまと成功したものと分析している。実に説得力のある議論である。
少なくとも、帰国運動に関する第一の責任が、朝鮮総聯と金日成にあるという前提を見失った論議は、無意味であるということを再確認させてくれる。もちろん張明秀氏が述べるように、日本赤十字を初めとする日本側の棄民政策という側面を忘れてはならないことは、言うまでもない。「日本側の責任」が何であり、どこまで問われるべきなのかは、日本人の「戦後責任」の問題でもある。
1955年3月、民戦(在日朝鮮統一民主戦線)第19回中央委員会が東京港区の芝公会堂で開かれた。これが在日朝鮮人運動の「路線転換」を決定することになる。
「韓徳銖は、『在日朝鮮人の運動が日本革命に従属させられ、その手足になるという誤りを犯していたから、今こそこれを転換しなければならないという。その方向は独立国家公民の立場、すなわち朝鮮人民共和国公民の立場で、直接自ら祖国の統一独立と権利を守る方向』に向けるべきだという。彼がこれまで主張してきた金日成と祖国に直結せよという論である」(343ページ)
こうして韓徳銖は、日本共産党への従属傾向を持った民戦の活動方針を批判し、日本共産党の指導下で戦い疲れていた活動家の疑問や不満に訴えることによって、在日運動のヘゲモニーを握ることとなる。この部分には共産党員としての著者の苦渋が滲み出ており、押さえた語り口の中に、当時の運動の挫折への複雑な思いが込められた名分となっている。
そして著者は、韓徳銖の主張の一面正しさを公平に認めつつ、次のように述べる。「そもそも自国の在外国民の運動を、外国の党に委ねるということ自体に誤りの根本原因があった。金日成と朝鮮労働党は、それを第二次世界大戦後十年間も放置してきた。日本共産党も同様である。韓徳銖はその誤りに気づいていたのなら、なぜ自分が金日成と朝鮮労働党に進言して、早く是正しなかったのか」(344ページ)
韓徳銖の欺瞞性を鋭く指摘した部分である。しかし私は別の視点を提起してみたい。戦後の在日朝鮮人運動、そして日本人運動との連帯の失敗の最大の原因は、ここでいう「自国の在外国民」という存在の難問をついに解き得なかったことにあるのではないか。
確かに、「在日」は帰化しない限り制度的には北朝鮮もしくは韓国の在外国民である。だが、それは「自国」に運動を指示されなければならない、あえていえば操られ翻弄されなければならない、ということではないはずだ。在日朝鮮人は、戦後すぐに結成された朝聯(在日朝鮮人聯盟)の運動、また後に民団へと続く建青(朝鮮建国促進青年同盟)の運動の中で、後にも先にもないまったくユニークな運動を繰り広げた。
その多くは、左右のイデオロギー対立や勢力争いで消耗し、みるみる輝きを失っていくが、朝連が民戦を経て朝鮮総聯に、建青が民団になっていく過程とは、実は日本の戦争直後の状況の中で未来を切り開こうとした自立した在日の運動が、次第に朝鮮半島の二つの「自国」に管理され、利用され、その対立図式に振り回されていく過程でもあったのである。
在日は、決して単なる「在外国民」として捉えるべきではなく、敢えて言えば、本国からも日本人政党からも自立した運動を展開する姿勢が必要だったのである。在日朝鮮人運動は、この視点を持つことができなかった。そして同時に、その自立した運動を妨げ封殺したのは、GHQ、日本政府、排外主義勢力、そして在日の見方面をしながら同化を押し付けたり、自らの政治目的に利用しようとする左右の日本人政治運動家たちであったことを忘れてはならない。
帰国者をあの収容所国家に旅立たせたのは、直接の責任は韓徳銖であり、間接の責任の一つは日本での在日運動の挫折であった。RENKに参加する者として、この時代の教訓は、いくら強調してもし過ぎることはない。本書のもう一つの大きなテーマである済州島決起の問題についても、あの悲劇の本質には、韓国の地域差別、格差の問題と共に、済州島独自の状況に根ざした自立した闘争が戦われず、「北朝鮮=南労党=外からの指導者の視点」が導入されたことが、根本的な矛盾をもたらしたのではないだろうか? これは、単に当時の状況論だけで語るべきものではない。「前衛」という概念の魔力がもたらす悲劇である。


最後に述べておく。本書には実に残酷だが、大変印象的なエピソードがある。著者は初恋の女性との中を、ある民青のエリートによって引き裂かれる。この時の悔しさから、著者は次のように記している。
「革命も近いと勉強もほっぽりだして活動に打ち込んでいる彼ら(学生党員―引用者)に、私は到底同調できなかった。T(民青のエリート―引用者)に卑劣な手段で婚約者を奪われるという体験から、日本共産党も一般の世間と同じ様にどろどろの人間関係の世界だということを知っていた。
それにひきかえ学生党員は、日本共産党をあたかもこの世に実現した理想世界のように思い込んでいた。そんな彼らを私は、内心で冷笑していた」(66ページ)
著者は、共産主義を貧しく差別された人々の解放をもたらすものと信じ続け、また北朝鮮の宣伝を一度は信じながらも、金日成のウソを鋭く見抜くことができた。
それが可能だったのは、どんなに理想を語る党派であろうと、その中に潜む偽善を見逃すまいという視点を、このエピソードに示される体験から確かに学んでいたためだと思う。



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