「収容所に生まれた僕は愛を知らない」を読んで 

└ 2009-10-07 09:26

「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)を読んで

本稿は、同書発売直後、2008年3月に書いた文章で、雑誌「正論」に掲載されました。時期の経過により情況の変化はありますが、収容所の実態は変わっていないと判断し、発表時のまま掲載いたします(三浦)

日本政府は北朝鮮を「テロ・収容所国家」認定し
全体主義と闘う国家意志を示せ
三浦小太郎

外れた私の北朝鮮崩壊予想

 冒頭に、まず自分自身の恥を晒さなければなるまい。私は北朝鮮の人権問題に関心を持ち始めたのは、1996年前後のことであった。そしてその時点で得た様々な脱北者の証言を読み、またここ日本での脱北者証言集会に接した私は、この様な体制は、東欧同様、国内矛盾の高まりとともに何らかの形で内部崩壊すると確信したのだった。しかし、今も尚北朝鮮独裁体制は、三百万人とも言われる大量の餓死者を九〇年代に出し拉致問題など国際テロが様々な形で明らかになった後も継続、核開発をも実行してきている。

後日、私なりに歴史を学ぶことによって、極端な食糧飢餓の時代には、多くの民衆は食糧を以下に手にするかにしか意志は働かず、民衆決起や体制打倒の動きなどは起こらない事、北朝鮮は単なる独裁政権ではなく、ヒトラーやスターリンのような全体主義体制そのものであり、相互監視体制と政治犯収容所の恐怖によって民衆精神を麻痺させている事も学んだ。しかし、私の無知と錯誤はさておき、この体制がいかなる意味でも民主主義国家と共存し得ない全体主義体制であることは疑いを得ない。

本稿では、北朝鮮全体主義体制の根本的な「悪」と、同時にこの体制がなぜ強固であるかを、様々な新情報と共に明らかにしてくれた近著「収容所に生まれた僕は愛を知らない」申東ヒョク著(KKベストセラーズ)を手がかりに、いかなる手段を持って体制を崩壊させ、拉致被害者を救出し、そして北朝鮮民衆を解放していくべきかを考えて行きたい。

収容所体制の根本は人間性の破壊である

 その国の体制の最も悪しき本質は、牢獄に現れるという言葉がある。本書の著者、申東ヒョクは、北朝鮮の完全統制区域14号政治犯管理所にて、一九八二年囚人の子供として生を受け、良心が囚人であるというそれだけの理由で生まれながらの「政治犯」として収容所で生活する事になった。この完全統制区域から脱出し韓国に亡命した囚人は、現時点では彼一人である(北朝鮮の政治犯収容所には、ある一定期間を収容された後は釈放の可能性がある「革命家区域」であるヨドック15号管理所と、絶対にそこから釈放される事はない「完全統制区域」とに分類される)。

政治犯収容所の残虐性、囚人に加えられる強制労働や暴力、拷問の酷さなどは、すでに多くの証言者により明らかだが、本書で最も衝撃的だったのは、この政治犯収容所にて「表彰結婚」という、恋愛、結婚、家族という人間にとって最も美しくあるべき存在を全く否定し、人間を単なる労働力としかみなさない制度が存在する事だった。私は従来、収容所では結婚や出産などは許されないのだろうと思っていた。しかし現実の収容所完全老成区域では、労働力の成果としての愛とは関わりなき「表彰結婚」そして労働力の増産のためのみの出産というさらに残酷な制度が確立されていたのである。

 申東ヒョクの証言によれば、完全統制区域では、男は23歳以上、女は21歳以上で、管理所労働を最もよく働いたと収容所の保衛部指導員が推薦する男女に「結婚」が労働の報酬として認められ、元旦、2月16日(金正日誕生日)4月15日(金日成誕生日)などの記念日に、年に数回「表彰結婚」が行われている。「結婚とは、相手と互いに心が通じ合って、遠い未来を見通して慎重に決断を下すものだ。しかし管理所の中では、結婚をさせてやるという名目で収容者達の意識を麻痺させ、牛や馬よりももっと苛酷な労働をさせている。」(「収容所に生まれた僕は愛を知らない」、以下同)管理所の囚人にとって最大の幸福は結婚であり、彼等はそのためならば危険な仕事に飛び込む事や、他の囚人を密告する事もためらわずに行う。

しかし、結婚はあっても家庭は存在しない。男女は5日間の夜を共に過ごすのみであり、「家族」として共に生活する事は許されない。そして、生まれた子供たちは、5歳になると「人民学校」に入学、10歳では「高等中学校」に進学するが、その時点で母親とも引き離され、ひたすら以降の生涯を強制労働の中で過ごすだけである。

 政治犯として生まれた子供達の将来には何らの希望もなく、両親の愛情すらも与えられない。最も残酷なのは、この「生まれながらの政治犯」という自分を子供達はそのまま受け入れるしか生きる道がないという現実である。「私たちはただ、管理所の中で管理所の規則に従って暮らし、生命が終われば死を迎えるだけだ(中略)。ただ、私たちの親と先祖が罪を犯したので、その罪を償うために一生懸命働かなければならない、そういう考えだけをもって生きてきたのだ。」(同書)申東ヒョクの父親は、親族が朝鮮戦争時に韓国軍に協力し、戦後は韓国に逃れたという、いわゆる越南者だったという理由で政治犯となった。しかし、理由などは問題ではない。収容所に生まれたという事は、ただその現実によって、自らを犯罪者と思う以外の思考の可能性を奪うのである。

そこからは両親への愛情などは生まれ得ない。申東ヒョクは、誤解を恐れることなく、自分が両親への愛情など持てなかったこと、同時に母親も自分に自暴自棄的な暴力を加える事がしばしばあった事を語っている。「私は、『母』という言葉を聞くとき、私を生んでくれた母に対する感情というものは、痛い傷跡としてだけしか残っていない。」これほど悲しく残酷な人間性への破壊を示す言葉は少ない。

収容所における暴力、強制労働、処刑などの有様は、これまでも安明哲「北朝鮮絶望収容所」姜哲ファン「平壌の水槽」等で語られてきた。本書でも、僅か五房の稲穂を隠し持っていただけで撲殺された6歳の少女の話など、様々な収容所における残酷な暴力や貧しい食糧下での強制労働の例が幾つも紹介されており、また申東ヒョクの母と兄が収容所を脱走しようとして捕らえられ公開処刑され、申東ヒョク自身、母の脱走計画を咎められて、背中から火で焙られるという酷い拷問を受けている。しかし、このような残酷な光景よりも遥かに恐ろしいのは、母の公開処刑の折、それを最前列で見せられた申東ヒョクが、一滴の涙も流す事がなかったと自ら語ることである。そしてその後も、自らを収容所で生んだ両親、そして逃亡を企てて自分を拷問に追い込んだ母親に憎しみを抱いたと告白している事だ。
そして、収容所の本質を最もよく現しているのが「管理所の一〇大法と規定」である。

精神の完全な奴隷化の象徴
「してはならない」のではなく「できない」という法律

 申東ヒョクは昨年12月の北朝鮮人権問題啓発週間に、市民団体の招きで来日したが、彼が全くよどみなく暗証できたのが、この収容所における全ての法律「管理所の一〇大法と規定」である。彼は人民学校で、この全文を暗誦できなければ家に帰してもらえないほど叩き込まれたのだ。幾つか特徴的な部分のみを抜粋して紹介する。

第1、逃走はできない。
1)逃走時には即時銃殺する。
2)逃走企図を目撃したのに申告しない者は、即時銃殺する。
第2、3人以上集まれない。
(中略)(6)作業関係外で3人以上集まって対話はできない。
第3、盗みはできない。
1)武器類を盗んだり、所持している者は、即時銃殺する。
2)武器類を盗んだり、所持している者を申告せず、あるいは共謀した者は、即時銃殺する。
第4、保衛指導員に絶対服従しなければならない。
第5、外部人を見たり怪しい者を見た場合は、即時申告しなければならない。
第6、互いが互いを監視し、異常な行動を発見した際は、即ちに申告しなければならない。
第7、自らに任された課題は超過遂行しなければならない。
1)自らに任された課題に怠慢であったり、遂行しない場合は、法に不満を抱いたものと見做して、即時銃殺する。
第8、作業外で個人的に男女は接触できない。
第9、自らの過ちを深く悔い改めなければならない。
1)自らの罪を認めず、自らの罪について服従せず意見を持つ者は、即時銃殺する。
第10、管理所の法と規定に背いた場合は、即時銃殺する。
 管理所の全収容者たちは、保衛隊員を自らの真なる先生と考え、管理所の10大法と規定を徹底して守り、自分たちがかつて犯した過ちを拭うのに、誠実な労働と規律で以って貢献しなければならない。

規則の文章に注意していただきたい。普通法律や規則とは「逃走してはならない」「2,3人以上で集まってはならない」「盗んではならない」といった「〜してはならない」という文章で表現される。政治犯収容所では違うのだ。「逃走はできない」といった、規則に違反する意図を持つこと自体が否定され、「この規則が全てであり、これに逆らうということはありえないことなのだ」という、徹底した精神の奴隷的支配が行われている。自然現象を人間が変えられないように、この規則に逆らうという発想がそもそも精神に昇らないよう幼少時から叩き込まれるのだ。

そして、この収容所では驚くべきことに、この規則は暗証させられるが金日成の名前も金正日の名前も、北朝鮮の歴史も、反日・反米教育も全く教えられない。彼等囚人が収容所の外に出る事はありえない以上、思想教育の必要もない。ただ剥き出しの暴力支配が精神的にも肉体的にも繰り広げられ、民衆を愚民貸し奴隷的に支配しようとする、金正日全体主義体制の本質が残酷なまでに露呈しているのが政治犯収容所なのだ。

北朝鮮政治犯週乗除は
共産主義の最も醜悪なパロデイである

 さらに恐ろしいのは、人間はこのような抑圧に、極めてよく順応してしまうという現実である。申東ヒョクは、収容所の囚人たちは貧しい食事にも耐えて頑健な体力を有しており、彼自身体格的には収容所内の方が良かったとすら述べている。韓国に来てからの方が悩みも多くやせたという言葉は決して嘘ではないだろう。一切の思考を放棄し、人間が完全な奴隷状態にあるとき、その肉体は動物的にただ苛酷な状況によく適応していくのではないだろうか。

 そして、この収容所は北朝鮮にとって、無償労働力と生産の場として掛け替えのないものでもある。元収容所警備兵安明哲がしばしば指摘するように、今や北朝鮮において、もっとも生産性を上げうるのはこの収容所労働である。本書によれば、収容所には農場、炭鉱、食料工場、セメント工場、陶磁器工場、ゴム・タイヤ工場、製糸工場、縫製工場などが存在、かつケシの栽培作業班もあった。電気・エネルギー不足が深刻な北朝鮮だが、この収容所では自前の電力を確保するために、一九九九年、囚人を使って大同江に発電所建設を行っている(かって、ソ連はスターリン時代に経済発展や様々な大規模工事の成功を宣伝したが、これも多く収容所の囚人たちの無償労働によっていたと思われる)

90年代飢餓以降殆どインフラもエネルギー供給も崩壊し、今だ充分な復活も泣く国民の労働意欲も失われた北朝鮮国内に於いて、年間数日の休日、しかも完全な無償労働、食料もごく僅かな経費で済む状態で無制限の強制労働と生産を行う事ができるのは収容所だけであろう。私はここ日本に住む脱北者から、この様な収容所や刑務所で作られた製品は質がいいものが多い、と笑えないエピソードを聞いたことがある。

しばしば、北朝鮮の全体主義体制は、新興宗教的なカルト支配、また朝鮮民族の持つ伝統的な家父長支配や歪んだ儒教の反映、戦前の日本の戦時体制などとの類比で語られる。しかし、やはりこの体制を批判するとき最も相応しいのは、共産主義の理想を求めて、結果としてこのような悪夢に落ち込んだ二十世紀の巨大な実験の失敗例と考えるべきだろう。共産主義は確かにその理想においては、人間をあらゆる幻想(と見なされたもの)から解放し、歴史を唯物論と階級闘争で分析する事によって、人間を宗教、家族、伝統、民族、国家などの枠組みから自由にしようとした。

しかし、現実に起きたものは、スターリン体制であれ、ポルポト政権であれ、またこの北朝鮮であれ、人間が労働力としてのみ価値を認められるという労働価値説の最悪のパロデイであり、全ての思考を放棄し、家族も友愛も失わせ、奴隷化していったアンチ・ユートピアの極限である。この思想は行き着くところでは、人間を単に労働をする機械としか見なさなくなる。申東ヒョクがミシンを誤って壊してしまい、その罰として中指先端を切り取られるエピソードは、残酷であるだけではなく、人間は所詮機械と同じ、いや、精巧な機械よりは人間の方が価値が低いのだという思考が収容所を支配している事を物語っている。収容所で行われている事は決して遅れた独裁国、発展途上国の悲劇ではなく、近代国家を乗り越えようとした、超近代思想・共産主義が、実践課程で中世や古代よりも遥かに悲惨な奴隷制度を復活したという、歴史の女神の残虐ないたずらなのである。

「収容所の囚人たちが集団的な抵抗をできない理由は、収容所の周辺に警備兵が待機していることもあるが、何よりも、収容所内野統制体制が厳しい事と、収容者自らが、「自分が罪を犯してここにいる」と思っていることにある。罪を犯した自分は、個々の規則に従うのが当然で、一生、命令されるままにおとなしく暮らすものと信じている。そもそも抵抗意識など無いのだ。」「収容所の収容者たちは、担当保衛員個人に対する不満をもつことはあっても、収容所の体制それ自体に対して不満を抱くことはない。」「収容所で暴動が起きるのは不可能だ。それはありえないと思う。」(同書)

 奴隷は、奴隷であることを自覚している段階ですでに奴隷ではない。彼は、鎖に不当に拘束されていることへの屈辱と怒りの中で、奴隷である自らを乗り越え、いつの日か自由になる事を求め始める。その時、彼が喩え牢獄にいたとしても、その精神は自由に手を伸ばしているのだ。しかし、奴隷が奴隷であることすら自覚しない時、牢獄を牢獄と、鎖を鎖と見ることができず、「この鎖がもう少しやわらかければいいのに」という判断に停止した時、奴隷は永遠に奴隷以下の存在となる事を選ぶ。
 先述したように、その国の体制の「悪」の部分が収容所や刑務所では最も象徴的に現れる。収容所の外、北朝鮮国家全体が、ある意味このような精神で支配されてきたのだ。

経済状況の変化で北朝鮮民衆の意識は変わりつつあるが
体制打倒の方向に進む可能性は極めて少ない

 この私の予想は外れたほうがよいのだが、北朝鮮民衆は確かに90年代以降、様々な意識の変化がおきていることは確かであるが、それが反体制運動や民主化運動、また体制打倒の方向に順調に進む可能性は極めて低いと思わざるを得ない。

 90年代後半、配給停止、それによる150万人以上の餓死者を出したといわれる飢餓の時期を経て、北朝鮮は自由経済というよりある種「闇市市場経済」に方向を転換した。というより、素直に大人しく配給の復活を待ち続けた人々は餓死し(残念な事だが、多くの日本人妻はこの犠牲になったのではないかと私は考えている)動かなくなった工場から機械を盗んで中国で売りさばくなど、あらゆる手段を講じてしたたかに生き延びるような人間しかあの国では生き残れず、民衆の作りだした自由市場(チャンマダン)を事実上体制は認めざるを得なくなったのだと思う。その意味、北朝鮮民衆の体制への忠誠心は、以前に比べればかなり減退した。この流れは力によって逆流するとは思えない。

 しかし同時に、北朝鮮民衆に願い年月に渡って刷り込まれた体制への恐怖の念は消えず、その根拠である相互監視・密告体制は未だに堅固に存在する。政治犯収容所が存在する事は、そのまま恐怖の持続、密告体制の存続を意味するのだ。体制への批判や不満を軽々しく口にすれば誰に密告され収容所送りになるかわからない、また同時に、批判や不満を聞いてそれを密告しなければ自分自身が逆に政治犯の同調者と思われるかも分からないという恐怖は、収容所が存在する間は消える事はない。北朝鮮の民衆を縛り付けている恐怖感は、知らず知らずのうちに自らの精神に奴隷精神の鎖を巻き、観るべきものを観まいとする。これが北朝鮮民衆の精神の恐怖支配があり、また生まれて以後徹底的に教え込まれる金正日崇拝教育がその精神を曇らせる。

ここから、喩え今の北朝鮮国家の現状に批判的な意識を持っても、それは現状の貧しさへの恨みや、個々の保衛部、安全部員の暴力や不当な逮捕への怒りに限定され、問題を社会問題や金正日体制そのものへの批判精神としてとらえにくい構造が生まれる。これは収容所内の囚人の精神と実は本質的なところで変わらない。そして、彼等のなしうる最大の抵抗手段は、今のところ北朝鮮からの脱出である。

奴隷精神を解放し脱北を決意させたのは
希望と意志の芽生えと外部からの情報だった

申東ヒョク自身、収容所内で二人の人間と運命的な出会いをしたことが、意識の変化と脱出につながった。一人は彼が秘密監獄に投獄され酷い拷問を受け死の直前にまで行った時、その傷を手当てし、何よりも生まれて初めて、彼に「希望」という概念を教えてくれた同じ獄中の老囚人、金真明だった。拷問で受けた火傷が化膿し、高熱を発している申東ヒョクを、老人は親切かつ適切な看護で一命を救った。

20年以上もこの監獄にいる老人は、自らのことは一切語らなかったが、デユマの大作「モンテ・クリスト伯爵」に描かれる獄中のファリア神父を思わせるような老賢者である。看守達もこの老人には一定の敬意を払っていたようで、おそらく党派闘争で追放された元労働党幹部ではないかと思われるが、申東ヒョクに、この獄をいつか出る事が出来るという希望を失うな、とそれだけを何度も語りかけ励ましてくれた。申東ヒョクは、両親にも与えられなかった意志と希望の力をこの人物から受け取ったのだ。

もう一人は、元平壌テコンドー殿堂(北朝鮮の国技館)技術課長の朴勇哲である。彼は平壌で恵まれた生活を送り、金正日と握手したことまである人物だったが、やがてある党幹部と対立し、地位を追われた。その後家族で脱北して中国にいる朝鮮族の親族を訪ね、1年半を過ごした後、北朝鮮の全人代選挙に投票するため自ら国内に戻った。韓国への亡命などは全く意識に無く、単に自分を追った北朝鮮社会から一時遠ざかりたかっただけなのだろうが、直ちに一家は逮捕され、朴勇哲は申東ヒョクのいる完全統制区域に送り込まれてきたのだ。

その彼の口から聞かされる収容所の外の話、特に中国の話は、申東ヒョクにとって余りにも衝撃的なことだった。中国に行けば白米や肉のスープ好きなだけ食べられる、ゆっくり眠る事が出来る、それだけで申東ヒョクは脱出しよう、中国に行こうという「人生の目的」が初めて与えられたのだ。喩えどのようなささやかな要求であれ、あるいは単なる好奇心であれ、今自分が閉じ込められている牢獄の外を夢見た瞬間から、人は完全な奴隷ではなくなる。

そして外部情報以上に重要なのは、朴勇哲の収容所内でも決して萎縮しない豊かな精神から、申東ヒョクが大きな人間性を感じ自らの精神を目覚めさせた事だ。朴勇哲は、収容所内では禁じられている、それ以前に存在もしていない「歌」というものを始めて歌い聞かせて教えたのもその一例である。朴は脱出に失敗し死ぬが、成功した申東ヒョクの精神に永遠に生き続けるだろう。それは単なる恩人としてではなく、彼の犠牲の上に今の申東ヒョクの自由があるのであり、全ての収容所政治犯に自由をもたらすまで決して朴勇哲の生命が安らぐ事はないという申東ヒョクの精神への鞭としての存在である。

北朝鮮の民衆が必要としているものは、何よりも外部からの情報と、状況を自らの力で切り開けるかも知れないという希望のありかであることを彼の体験はまざまざと示している。そして、そのいずれも、私達外部の力を持ってしか中々もたらされる事はないのが現実だ。外部からの情報流入は、VOA、李民復氏のバルーンプロジェクト、金ソンミン氏の北韓自由放送、そしてわが国のしおかぜ放送などが行っており、今後も様々な創意工夫が考えられる。そして、この収容所に対しては、北朝鮮をテロ国家として日本自らが認定し、拉致のみならず収容所への人権査察やその廃絶を求めていく事、その事自体の情報を北朝鮮国内に伝えていく事が、収容所による北朝鮮民衆の恐怖支配に必ずひびをいれ、その精神を解放していくはずだ。

愛という言葉すら知らない世界
日本こそ北朝鮮を「テロ国家認定」せよ

 愛する、優しい、温和、慈悲、善良、嬉しい、平和・・・
申東ヒョクは収容所の中では、これらの言葉を聞いたことが無かったという。ここ日本ではいずれもが、やや偽善を纏いがちなこれらの言葉は、本来、人間が生きていくうえで、最も価値のある概念だったはずだ。そしてまた、絶望、抵抗、不幸、悲観、苦痛といった言葉も知らずに生きてきた。これらは全て、希望や愛、自由や人権が存在する社会でしか逆に生まれ得ない概念なのだ。2006年、韓国に亡命した申東ヒョクは、これからは北朝鮮政治犯収容所の解放のために運動を続けたいという。

このような人間性の破壊が続いている事は、東アジアの恥と言うべきである。そして、この収容所には、帰国者、日本人妻も収容されている可能性は高く(安明哲は著書で、収容所で日本人妻が拷問を受けた事例を語っている)日本国にとっても決して他人事とは言い切れない。何よりも、隣国の独裁体制、全体主義体制を黙認した事が、実数も定かではない日本人拉致事件に繋がった事を想起するとき、この体制が自由と民主主義を基本理念とし、融和を価値とする日本国とは共存し得ない事は明らかである。

日本国政府は、そして生命と人権の価値を重んずる私達国民は、このような人間性破壊の収容所を一日も速く解体するために、国際的な人権査察団の派遣を早急に北朝鮮に求める時である。核査察では北朝鮮は様々な交渉術を使い、中国政府は上海コミニュケの形で米朝の両論併記の形でとりあえずの解決を図ろうとしている。しかし、核問題でどのような妥協案が示されようとも、北朝鮮政府が他国民に拉致と言うテロ行為を行い、国内で自国民をこのような収容所でその人間性までも破壊している以上、北朝鮮は断固としてテロ国家(テロ支援国家ではなくテロ国家)であり、全体主義・収容所国家である。拉致被害者や日本人妻と言うこの体制による直接の被害者を有しているわが国日本こそ、議員立法や国会決議の形で、北朝鮮を堂々と「テロ国家・収容所国家」と宣すべきときではないか。アメリカがテロ支援国家を外すか否かを議論するよりも、まずは日本国が国家意志を示すときである。

その時こそ、現在の6者協議の欺瞞的構造には楔が打ち込まれ、民主主義対全体主義という、誰の目にも明らかな対立構造が生まれるはずだ。そして我が日本国内の政局でも、少なくとも外交問題に関する限り、人権擁護と国家主権の立場に立つ政治家と、無原則の融和主義、そして「恥ずべき平和」を選択する政治化との、真の政治的価値観の区別が明瞭に表れるときではないだろうか。
収容所を脱出できずおそらく命を絶った朴勇哲は、申東ヒョクに、国連で収容所のことは問題になっているらしいから、近い将来きっとこの収容所はなくなるだろうと希望を持って話したと言う。この一人の犠牲者に答える事が出来なければ、国連のみならず、自由と人権の価値を重んじ、全体主義に反対する私達全ての敗北であり恥である。(終)



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