クロッシング 

└ 2008-07-02 07:02

脱北者の真実に迫った映画









姜哲煥・安赫共著『北朝鮮脱出』上 

└ 2008-07-02 06:44

『北朝鮮脱出〈上〉』地獄の政治犯収容所 (文春文庫)
姜 哲煥 , 安 赫 共著  池田 菊敏 訳

九歳の夏、家族とともにいきなり耀徳政治犯収容所に幽閉され、十年にわたり地獄の苦しみを味わった姜哲煥。好奇心にかられて密かに中国を訪れ、帰国後一年余り同じ収容所で辛酸をなめた安赫―これまで秘密のヴェールに包まれていた北朝鮮の政治犯収容所の恐るべき実態を、二人の青年が初めて白日の下に晒した衝撃の手記。


書評『宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作』(高沢皓司著 新潮社) 

└ 2008-07-01 08:17

評者:三浦小太郎
本稿は、RENK機関誌「RENK」16号(98.11.22発売)に掲載したものです。それ以降、八尾恵証言、2002年小泉訪朝などの流れなどで既に内容的には古いものになっているかもしれませんが、あえて本書の古典的な意義を評価して発表時の文章にはほとんど手を加えていません。98年の時点での私の書評としてお読みください、三浦)


独裁を否定していたはずのよど号犯の退廃

「『よど号』亡命者」――1970年のハイジャックで北朝鮮に飛び立った9名の赤軍派。60年代末、新左翼運動の行き詰まりの中、運動の新たな展開を夢見て行動した彼らの終着点は、金日成体制と主体思想への全面的な「帰依」であり、日本人拉致事件を含む北朝鮮の国家犯罪への荷担であった。かつてはこの「よど号犯」の代弁者的役割を果たし、数年前から自己批判の後彼らの思想・行動を告発する側に身を投じた高沢皓司氏が、これまでの「よど号犯」批判の集大成としてまとめたのが本書である。こうしてよど号犯の全体像を読み直すとき、本書は、拉致事件の真相のみならず、かつての新左翼運動の本質的な弱点と、左翼政治運動が陥りがちな精神の退廃を教えてくれるものとして、大変興味深い資料となっている。
新左翼運動は、反帝国主義(資本主義)と同時に反スターリン主義(反共産党独裁)を全面に掲げていた。にもかかわらず、「ウルトラ・スターリン独裁主義」とも言うべき北朝鮮体制の賛美に行きついてしまったのは何故か?
赤軍派のハイジャックは、次のような目的と思想の下に実行されたはずだった。
「我々の大部分は、北朝鮮に行くことによって、それ自身を根拠地化するように最大限の努力を傾注すると同時に、現地で訓練を受け、優秀な軍人となって、いかなる困難があろうとも日本海を渡り帰日し、前段階武装蜂起の先頭にたつであろう。我々の大部分は、北朝鮮に断乎渡るのである。そして断乎として日本に帰ってくるのである。……いかに国境の壁が厚かろうとも」(19ページ、田宮高麿、出発宣言)
既存の社会主義国に渡り、そこを世界革命の根拠地にとする。この「国際根拠地論」は、当時の新左翼運動にしばしば見られた発想である。アメリカの極左派ウェザーマン派は、キューバに軍事訓練と根拠地を求めたし、ヨーロッパの新左翼も過剰なほど中国の文化大革命に傾倒した。しかし、こうした発想は、実は過激に見えて極めて後ろ向きなものであった。
赤軍派の国際根拠地論は、それまでの日本国内での「武装闘争」がことごとく失敗した後に打ち出されたものである。当時の日本国内に「武装闘争」の基盤などないにもかかわらず、中国やラテン・アメリカの革命のやり方をそのまま実践しようとしたのだから、失敗は当然だった。現在の日本において革命とは何なのか? 日本国民が今何に満足し、何に対して不満を持っているのか? 自分たちの新左翼運動が失敗し行き詰っているのは何故なのか? 赤軍派はこうした難問にこそ答えるべきだったが、実際には彼らは、当時隆盛を極めた第三世界革命論や民族解放闘争に寄りかかり、日本での閉塞状況を直視することに耐え切れず、外部に目を向けることによって問題が解決できるという幻想にかられたのである。これは一見インターナショナリズムに見えて、実は現実逃避に他ならない。 
さて、平壌で彼ら赤軍派を待っていたのは、ひたすらに主体思想を詰め込まれる「学習」の日々だった。高沢氏はこれをはっきりと「洗脳」と呼んでいる。
「現実は直視しなければならない。なぜ、国内組織は拡大、強化できず、逆に破壊していっているのか。それはわれわれの内部に根本的な誤りがあるからではないのか。(中略)私が感じていたのは、人民大衆の力、同志の力、ひいては自分自身の力に対する不確信である。チョソン革命の歴史と現実を見るにつけ、それとの鮮やかな対照をなして、この思いが大きくなっていった。(中略)われわれが、「世界同時革命」『世界革命戦争』『世界武装プロレタリアート』など、やたらに『世界』を連発していたのも、日本革命をわれわれ日本人民自身の手で最後まで責任をもって貫徹しようという立場が極めて弱かったからである」(小西隆裕、89ページ)
「(前略)私は、自分が主観的には人民のためにといいながらも、結局は狭いセクト利害からだけ物を考え、行動してきた自分の分派主義的傾向についてまず自己批判した。(中略)さらには自分に主体がなかったことに強く自己批判した。/ある意味では、当時の私たちは誰よりも主体的にということは言っていた。(中略)だが真に主体を打ち立てるということは、すべてに主人らしい態度を堅持することであり、自分の運命に責任を持つという立場からすべてに対処していくことである。しかし、私は日本の運命をどれほど深く考え、責任的に発言し、行動してきただろうか。自分の狭く浅い経験からだけ思いつきを発言し、実践してきたのではないか」(田宮高麿、96ページ)
「よど号犯」の足跡を思う時、これらの「洗脳結果」はあまりにも痛ましい。高沢氏はこの「洗脳過程」を次のように説明している。「思想教育は毎日の日課になっていた。(中略)ひたすら教育されたのはチュチェ思想のみである。(中略)1日の授業が終わると、決まって討論の時間があった」「教授や指導員たちの気に入る答は一つだけであり、それ以外の答え方をした者には、再び同じ学習が繰り返された。(中略)何度でも同じ学習を繰り返し、そうすることによって自分が気に入る答え方が他にないことを知らせた。(中略)本心からではなくても、やがて彼ら(よど号犯)は指導員が気に入るような答え方を探すようになった」「彼らもまた納得のいかないながらも、チュチェ思想にのっとって模範的な解答をし、消化不良の部分は気持ちの奥にしまいこんだ。しかし、それはやがて彼らの自己を引き裂き、自己を解体した。(中略)異貌の思想を受け入れさえすれば、この虚しさから脱出できる。それだけではない、新しい価値と評価を手にすることができる。彼らは、そこにただ一点の光明を見た。(中略)もはや反抗する者はいなくなり、指導員の教えは砂が水を吸うように彼らの中に入っていった」(95ページ)この「洗脳」が弱い自我にとっていかに効果的か、我々は新興宗教や自己啓発セミナーの隆盛によって知っている。
考えてみれば、北朝鮮という国で生きていくためには、この洗脳を受け入れるしかないことも事実である。しかし「よど号犯」がこの「洗脳」を受け入れていく過程では、それ以上に彼ら自身の思想的脆弱さが大きく作用していたと思われる。先に引用した彼らの手記は、たとえ北朝鮮政府の厳重な監視下に書かれた(された)ものとはいえ、あまりにも無残で「非主体的な」ものである。「現実は直視しなければならない」「自分に主体がなかった」「人民のためといいながらも、結局は狭いセクト利害ものを考えていた」等々、一つひとつを取ればもっともな問題提起をしていながら、なぜ安易にチュチェ思想ごきのものにその答えを求めていくのか? 「現実」を直視するためには、まず「現実」と衝突しなければならない。今、北朝鮮で自分たちが洗脳教育を受けている現実。自分たちが人民からまったく隔離され、北朝鮮の宣伝する「人民像」を抽象的に押しつけられている現実。こうした現実と格闘しなければ「主体的」に考えることは不可能である。彼らが「現実を直視」しなかった誤りを認めながら、さらに非現実的な妄想にのめり込んでいった悲喜劇は、やがて真の悲劇をもたらす。

「結婚作戦」と岡本武の謎

連合赤軍の「あさま山荘銃撃戦」による壊滅は、「よど号犯」たちの日本帰国の夢を完全に打ち砕いた。「国内に何の力もなくなれば、われわれの要求(軍事訓練を受けて革命戦士として帰国する)がチョソン側に受け入れられるはずがない。わたしは茫然とした気持ちを抱かざるをえなかった」(小西隆裕、107ページ)高沢氏の分析によれば、この後「よど号犯」はより一層金日成主義への傾斜を深める。「人民不信にもとづいた闘争の過激化、突出化は決して革命的なものにならない。大事なのは人民を信じることとチュチェ思想にもとづいた革命的世界観だ」――これが彼らの連合赤軍事件に関する総括だったという。
1972年5月平壌を訪問した日本人記者団は、金日成との記者会見の後、「よど号犯」たちとも会見した。彼らの発言は、無残なほど金日成と北朝鮮に対する賛美に満ちあふれていた。1977年、「よど号犯」は一斉に平壌で結婚する。この結婚は「妻」たちの談話と異なり、彼女らはほとんどが北朝鮮・金日成の熱烈な支持者であり、北朝鮮によって「花嫁候補」として選ばれて平壌に招かれた人たちだった。彼女らは「“チュチェの花嫁”、“首領様の花嫁”」であり、結婚、出産は「彼らの思想改造の最後の仕上げとして、金日成に絶対の忠誠を誓わせること」、また「子どもの誕生は組織の人員を増やす」という意味があった。
その他にも、「よど号犯」にとって妻子の存在は重要な意味を持っていた。「妻子は同時に彼らが海外の活動に出されるための『人質』にもなった。実際、彼らが単独で北朝鮮を出て、海外での活動を活発に始めるのは、子どもたちが誕生してのち、70年代末になってからである」(169ページ)平壌の「日本人寄宿舎=日本人村」で、北朝鮮の庶民にとっては夢のような生活を送る一方、「よど号犯」は金日成・金正日の指示による工作活動に着手していく。
本書第13章から20章にかけて記された、日本人拉致事件への「よど号犯」とその妻たちのかかわりは、おそらく本書の最も注目を集める部分だろう。拉致犯罪について高沢氏は現地の貴重な証言を交えながら、細部にわたって綿密に証拠固めをしており、「よど号犯」の工作活動とその犯罪性に関する最もまとまった報告となっている。その中でも私が最も衝撃を受けたのは、拉致事件だけではなく、かれらの「反核運動」へのかかわりだった。私自身、80年代初頭の反核運動に対しては、核廃絶という理想を信じ、好意的に感じていた面がなかったとは言えない。後日、この運動が多分に中立を装いながら、スターリン主義国家、ソヴィエトに有利な方向に誘導されていたことを知り、自分の不明を深く恥じたこともある。
しかし、この運動に「よど号犯」がかかわり、反核宣言文に主体思想をすべりこませたり、若者を親北朝鮮勢力としてオルグしていたことまでは知らなかった。一見政治的中立に見え、異論を唱えにくいテーマ(反戦、反核、平和、人権、飢えた子供たちをすくおう等々)を持った運動が、実はもっとも悪しき独裁政治に利用されてしまう。これは常に注意しなければならない問題の一つだ。
ところで、この反核運動に対してもっとも積極的に動いたとされる岡本武が、他のメンバーと対立し、「日本人村」から切り離され、ついには北朝鮮からの脱出を試み、おそらくは収容所幽閉を余儀なくされる。岡本が船を奪って海上から脱出しようとし、巡視艇に追いつかれて威嚇射撃を受けるシーン(384ページ)は、北朝鮮からあと一歩で逃れることができなかった岡本の無念が伝わってくるようだ。
この岡本武の妻、福留貴美子さんは、「よど号犯」の妻の中で、おそらくただ一人の「拉致被害者」である。岡本武が、最後にはメンバーと対立し、ついには粛清されていったのは、おそらく福留さんは、他の思想的にも北朝鮮シンパである妻達と異なっていたこと、彼女にとっては到底信じられない主体思想や、受け入れがたい工作活動を押し付けられることに心底からの抵抗感を抱いていたことだろう。この妻の精神が、いつか岡本武の「洗脳」を解くことに繋がったのが、逆に二人にとっては悲劇をもたらしたのではないだろうか。福留さん救出を日本政府が本格的に取り組む事は、よど号犯による世界的な工作活動解明・それを命じた北朝鮮政権の犯罪性を暴くことにも繋がるはずである。日本政府は福留さん拉致事件究明、救出に全力を挙げる事が北朝鮮に大いなる打撃を与える事をどこまで認識しているのだろうか?
岡本の粛清によって、これ以降「よど号犯」は完全に金日成・金正日の道具となり、思想的には退廃を極めていく。「自主日本」「人道帰国」「尊憲」「民族」――これらはすべて、主体思想を都合よく引用し、日本国内に極右から平和主義者までに連帯を呼びかけ、その内部に北朝鮮シンパを作る為に、彼らが日本向けに発する宣伝活動である。
1995年12月、リーダーの田宮が「病死」した。「よど号犯」たちの思想と行動は新左翼運動の最悪の一例として、歴史に名を留めるだろう。彼らは反スターリン主義から出発し、主体思想に落ち込んだ。人民のために戦うつもりが、独裁者の道具となった。国際主義の理想を掲げながら、まがいものの民族主義に行きついた。人間の解放を求めたはずが、拉致という形でかけがえのない多くの人生を踏みにじった。彼らは、うわべだけの反スターリン主義、反独裁を唱え、民衆の解放を求めながら、結局現実の民衆と出会うことにも、彼らのごく普通の心を理解することもしようとはしなかった。今現在の日常を生きているごく普通の人々のささやかな喜びや悲しみには眼もくれず、「革命」の為に人々を踏みにじる主体思想に屈服し、北朝鮮で飢えと抑圧下にある民衆の事を想像しようともせず、留学生活や国外旅行を楽しむ同じ日本の若者を「それよりも革命に献身する事が意義ある人生なのだ」という傲慢極まりない思想で人生をもてあそんだ。何故このような精神の退廃が起きるのか、これはよど号犯問題を超えて、政治運動の人間精神に与える闇の問題として、常に見直さなければならない重要なテーマである。

吉田金太郎と、高沢氏の「祈り」

本書の最終部では、従来、「よど号犯」の中で一人早く病死した吉田金太郎の死の謎についても記述されている。情報不足のためだろうか、この部分のみ、何故か高沢氏の文章には、やや明瞭さが欠けている。それでも高沢氏はさまざまな情況から、吉田金太郎がおそらく主体思想を受け入れなかったために、「スパイ」として「スケープゴート」にされたのではないか、と推論したのち、次のように記している。「彼のしなやかな感性が、たぶん、最終的なところで、金日成主義の《嘘》を見抜いていたのである。朝鮮人民中に入ってみなくては、と普通の常識で考えたはずである。(中略)吉田金太郎は、ただ人々と同じ暮らし、同じ苦しみと喜びを、自分も生きることを選ぼうとした。それが、彼の感性だった。空論や観念を必要としていたわけではない。そこから彼は日本の運動と『革命』を考えようとした。その意味ではハイジャッカー9人のうち吉田金太郎だけが、あの頃の時代の意識を上がりつめ、本当に日本のことを考え、労働者と『人民』の側で、最後まで非転向を貫いたのだと思わずにはいられないのである」(518ページ)おそらく、これは高沢氏の「祈り」である。かつての「同志」たちの退廃の中に、ただ一人でも「非転向」を貫いた人、初心と理想を失わず、独裁政権に抗した人がいてほしいという、「祈り」と「希望」の言葉である。
「(ごく普通の)人々と同じ苦しみと喜び」を自らの「観念、理想、思想」に織り込むこと。それのみが観念を空論にしないのみならず、観念を一層研ぎ澄まし、自らの思想を深みへ、そして高みへと導いていくのだということ。逆説的ながら、「よど号犯」の事例が我々に教えるものは、そうしたことだと思う。

(ページ数は、初版本によるものです、現在の文庫版とは異なります、ご了承ください)



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書評 ユン大日「『北』の公安警察」(講談社) 

└ 2008-07-01 08:11

評者:三浦小太郎

北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。
元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務めるユン大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。
金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁)
金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。
本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。
金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(百四十一頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。
そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。
私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすらナチスの人種差別法と職務に従って黙々と事務的にユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。
北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。
しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示している。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、北朝鮮に残る家族の身に危険が及ぶので、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。
そして、著者はアメリカに証言者として招かれた二〇〇二年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。


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書評「北朝鮮に消えた友と私の物語」(萩原遼著 文芸春秋) 

└ 2008-07-01 01:06

評者:三浦小太郎
初出:RENK機関誌「RENK」17号(99.3.1発売)

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」共同代表の一人、萩原遼氏の最新作である。
本書は私にとって、同氏の三部作(他の二作は『朝鮮戦争』『ソウルと平壌』いずれも文芸春秋)の中で最も強い印象を受けた。これは書物としての客観的な評価や、著者の主張への共感とはまた違う。率直に言って、本書は様々な問題提起の書である。戦後の在日朝鮮人運動や済州島問題を考えて行く上で、重要な視点を示されたように思う。同時に、戦後の運動(在日側、日本側共に)の根本的な問題がどこにあったのかを感じさせるものとなっている。


本書は著者の少年時代の記述から始まる。戦争直後、日本がまだ貧しい「アジア」の国だったころ。
貧しさが人を美しくする。清らかにするなどの言葉は、一度も貧困を味わったことのない人間の言葉である。貧しさは人を惨めにもすれば、性格を歪めることもしばしばである。しかし、貧しさの中でしか奇跡的にしか生まれない友情もあれば連帯もおそらくあるのだ。著者と済州島からの密航者、尹元一(ユン・ウォンイル)少年との出会いと交友はそのことを確かに教えてくれる。
辛く苦しい生活に耐えながら、尹少年の吟じる在日詩人の詩を唱和するシーン、尹少年がおそらく父に内緒で、窮迫している著者の家に正月のお餅を届ける姿、「オンチ・コール」こと定時制高校の合唱団時代の思い出。そして、1950年代半ば当時、共産主義や共産党がいかに「希望の象徴」であったかがわかる幾つものエピソード。
今なら「コミュニズムは歌う明日を約束する」という言葉に感動していた、若き著者と友人たちを笑うことはたやすいだろう。今や共産主義のみならず、ありとあらゆる「主義」や「理想」を語ること自体、冷笑をもって迎えられる風潮さえある。しかし「歌う明日」が一切信じられなくなったからといって、それを進歩だとか賢くなったとか言うのもまた虚しいことだ。「歌う明日」を求めようとする精神は、決して冷笑されるべきものではない。コミュニズムに変わる何かを見つけようとする努力こそが必要なのだ。
とはいえ、著者たちの牧歌的な日々は長くは続かなかった。生活苦、日本での生活の行き詰まり、共産党内部の矛盾……。尹元一は、恩師である良心的な日本人教師の勧めもあって、北朝鮮への「帰国」に運命を賭ける。今でもその教師は深い後悔のうちに生きているという。


日本共産党に入党後、1972年に赤旗特派員記者として平壌に赴任してからの仔細は、是非本書に直接当たられたい。社会主義朝鮮を信じていたはずの著者ですら、赴任直後からひしひしと感じた抑圧・密告体制。行方不明の尹元一。元済州島の少年ゲリラであり、今は著者と同じく「守る会」の共同代表である金民柱氏、本名金竜南(キム・ヨンナム)の帰国した兄弟の悲劇。ここで注意を引くのは、当時赤旗の記事にするための平壌市民の生活ルポを行うために著者がデパートや商店を回って品物の値段や品揃えを取材した時のことである。
「当時の労働者の平均賃金は70ウォン、日給に直すと約2.4ウォン。ところがビール一本0.85ウォン、タバコ20本入り1ウォン、うどん一杯0.5ウォン。合計2.35ウォン。一日働いてタバコ一箱買い、昼食にうどんを一杯食べ、夜ビールを一本飲めば一日の稼ぎはとんでしまう」
「肉類はそれこそ目玉が飛び出るほど高い。豚肉一キロ3.2ウォン。牛肉一キロ3.6ウォン。ニワトリは一羽5.28ウォン。まる二日分の日当をはたいてもニワトリ一羽も買えない」
「ありふれた日用品も途方もなく高い。(中略)東京の物価は世界一高いと言われて久しいが、北朝鮮の物価はその何倍もする。(中略)にもかかわらず、当時の日本の新聞報道は一様に「物価は安い」と書いている。一体何を見ているのか」(162〜163ページ)
70年代初頭の平壌ですらこの有り様だったのだ。ご参考までに「一体何を見ているのか」の典型例の一つを紹介しよう。著者より数年後に平壌に訪れた小田実の記述である。
「大雑把に言って、夫と妻が働いて、大体月々150〜160ウォンから200ウォンを稼ぎ出すことはさして難しいことではない。(中略)食費が大体、子供3人の5人家族で月々80〜100ウォンというのが、あちこちの家庭で聞いてみた平均値だった。これでどの程度の食事ができるかということになるが(中略)だいたい日本の普通の家庭で今食べている位の食事はしている。アパート群の一階の商店へ行っても、牛肉、豚肉、鳥肉、魚、野菜、果物は豊富にあって(中略)値段の方も手頃なものに見えた」(小田実『私と朝鮮』筑摩書房、1977年)。
現在この二つを読み比べれば、余りにも無残な小田の言葉は、彼がいかに北朝鮮政府の宣伝に操られたかを露呈している。


金日成個人崇拝の強要、7.4南北共同声明への評価、よど号ハイジャック犯の受け入れ問題等々を巡り、日本共産党と北朝鮮政府=労働党は次第に対立関係に入る。
とりわけ、金日成が手放しで礼賛した、南北両国による7.4共同声明について、著者は「アメリカの『デタント』戦略に丸め込まれ、ベトナムを孤立させるもの」として批判したことを記している。当然にも、こうした日本共産党の姿勢はいたく北朝鮮を怒らせた。
ここで私なりに7.4声明を巡る当時の状況について考えてみたい。
「朝鮮統一を①外部勢力の依存や干渉なしに自主的に解決する、②平和的方法で実現する、③民族的大団結を図る」
本書にも引用されているように、これが1972年の7.4南北共同声明の大要である。韓国には韓国の思惑もあっただろう。韓国がベトナムに派兵していたことも重要なポイントだった。また、同年の東西ドイツ基本条約成立の影響もあるのかもしれない。実際、突然盛り上がった対話ムードがこの後急転直下で冷却化していく過程には、今なお謎の部分が多い。
しかし現代朝鮮半島史を振り返れば、北朝鮮が言う「外部勢力の干渉を排し、自主的に解決を」とは、常に韓国からアメリカ軍を撤退させ防衛能力を弱めるために持ち出す美辞麗句であったし、「平和的方法」「大団結」「対話」等の言葉は、平和交渉のポーズをとりながら、軍備の拡張、武装ゲリラの侵入や対南工作を準備する際のセリフである。
私は、日本共産党がこれに反対したことは結果的には正しかったと思うが、北朝鮮が「デタント=ベトナム孤立化」というアメリカの策略に乗ったという解釈は一面的な気がする。むしろ、北朝鮮はこの時点では武力による統一に絶対的な自信を持っており、アメリカを刺激せずに韓国から立ち去らせるために、この共同声明に合意したのではないか。事実、これ以降70年代を通じて、北朝鮮はますます国際テロに走るようになる。工作員やよど号犯を通じた忌まわしい拉致事件も含めて……。
ともかく、かつてはあこがれの国だった北朝鮮は、著者に恐怖と幻滅しかもたらさなかった。帰国運動を見直そう、楽園とよばれた北朝鮮の真実の歴史を明らかにしようという、著者の旅がここから始まる。


北朝鮮がいつ頃から変質したかには様々な意見があるが、『楽園の夢破れて』(関貴星=カン・キソン著、亜紀書房)や『帰国船』(鄭箕海=チョン・ギヘ著、文芸春秋社)によれば、最初期の帰国者にとっても既に「凍土」であったことは明らかである。しかし、経済的にも政治的にも大きく悪化していくのは、確かに1967年を境とする。
著者は1967年5月の朝鮮労働党中央委員会第4期15回総会を「金日成親子のクーデター」と呼び、『朝鮮労働党略史』や『金正日書記の人間像』など北朝鮮側の著作を読み解くことによって、67年に何があったのかを追求していく。金日成の政治は一貫して自分より業績や才能のありそうな人間を抹殺して行くものであり、粛清は50年代から日常茶飯事であった。しかし、そうした国内事情だけでなく、60年代半ばからの国際的情勢もまた、北朝鮮に大きな影響を与えた。
64年、ソ連のフルシチョフが失脚し、社会主義堅持を謳うコスイギン体制が出現。中国で吹き荒れる文化大革命の嵐。ベトナム戦争の激化。当時の混迷する社会主義陣営の中、北朝鮮は独自の理論と政策を打ち出す必要に迫られていた。そして1967年5月25日、金日成が行った演説「資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリア独裁の問題について」において、事実上の「主体思想宣言」が行われる。
「我が国の北半部では、既に搾取階級と全ての搾取制度が清算され、新しい社会主義制度が確立されており、(中略)全人民の政治的・思想的統一が達成されました。搾取社会では搾取階級と秘搾取階級、支配階級と被支配階級の階級的対立と闘争が基本的な社会関係でありますが、社会主義制度の勝利した我々の社会では、労働者階級と協同農民、勤労インテリの団結と協力が社会関係の基本になっています。(中略)
もちろんこれは、我々の内部に敵対的な要素がないということではありません。社会主義の下でも階級闘争は続けられます。社会主義での階級闘争は、何よりもまず外部から潜りこむ敵対分子や覆された搾取階級の残存分子の破壊活動に反対し、ブルジョワ的、封建的な反動思想の流入に反対する闘いとして現れます」(同演説)
このデタラメな認識から、どれほどの悲劇が生まれたか、これ以降の北朝鮮現代史が証明している。既に「搾取制度が清算された社会主義社会=金日成独裁体制」を守るために、少しでも「敵対的」と見なされる人間、「外部から潜りこむ敵対分子」「搾取階級の残存分子」は否応なく摘発される。中でも日本からの「帰国者」は、この論理からいってまさに典型的な「敵対分子」「残存分子」であった。帰国者は単に生活難に悩むだけではなく、明確に敵対階層と見なされ、相次ぐ逮捕、収容所送りの対象となっていく。
この「金日成のクーデター」前後からの北朝鮮史を、中ソ対立、ベトナム戦争、フルシチョフ時代とその終わり、プラハの春、文化大革命、ニクソン訪中、新左翼運動の高まりといった当時の現代史、そして何よりも韓国現代史と照らし合わせて分析していくことが、今後大きな研究のテーマとなっていくだろう。もちろん、本書はこのテーマに有益な一石を投じている。


帰国運動とは何だったのか? この重い問いに今もなおはっきりとした結論は出ていない。本書はあえてこの問題を朝鮮総聯議長・韓徳銖と金日成の「陰謀」に基づくものと提議し、朝鮮戦争後不足した労働力、技術、外貨を求めていた金日成の要求と、有力な在日朝鮮人活動家を北に追放し、かつまた北朝鮮政府のお墨付によって在日運動を一手に握ろうとした韓徳銖の策謀が、まんまと成功したものと分析している。実に説得力のある議論である。
少なくとも、帰国運動に関する第一の責任が、朝鮮総聯と金日成にあるという前提を見失った論議は、無意味であるということを再確認させてくれる。もちろん張明秀氏が述べるように、日本赤十字を初めとする日本側の棄民政策という側面を忘れてはならないことは、言うまでもない。「日本側の責任」が何であり、どこまで問われるべきなのかは、日本人の「戦後責任」の問題でもある。
1955年3月、民戦(在日朝鮮統一民主戦線)第19回中央委員会が東京港区の芝公会堂で開かれた。これが在日朝鮮人運動の「路線転換」を決定することになる。
「韓徳銖は、『在日朝鮮人の運動が日本革命に従属させられ、その手足になるという誤りを犯していたから、今こそこれを転換しなければならないという。その方向は独立国家公民の立場、すなわち朝鮮人民共和国公民の立場で、直接自ら祖国の統一独立と権利を守る方向』に向けるべきだという。彼がこれまで主張してきた金日成と祖国に直結せよという論である」(343ページ)
こうして韓徳銖は、日本共産党への従属傾向を持った民戦の活動方針を批判し、日本共産党の指導下で戦い疲れていた活動家の疑問や不満に訴えることによって、在日運動のヘゲモニーを握ることとなる。この部分には共産党員としての著者の苦渋が滲み出ており、押さえた語り口の中に、当時の運動の挫折への複雑な思いが込められた名分となっている。
そして著者は、韓徳銖の主張の一面正しさを公平に認めつつ、次のように述べる。「そもそも自国の在外国民の運動を、外国の党に委ねるということ自体に誤りの根本原因があった。金日成と朝鮮労働党は、それを第二次世界大戦後十年間も放置してきた。日本共産党も同様である。韓徳銖はその誤りに気づいていたのなら、なぜ自分が金日成と朝鮮労働党に進言して、早く是正しなかったのか」(344ページ)
韓徳銖の欺瞞性を鋭く指摘した部分である。しかし私は別の視点を提起してみたい。戦後の在日朝鮮人運動、そして日本人運動との連帯の失敗の最大の原因は、ここでいう「自国の在外国民」という存在の難問をついに解き得なかったことにあるのではないか。
確かに、「在日」は帰化しない限り制度的には北朝鮮もしくは韓国の在外国民である。だが、それは「自国」に運動を指示されなければならない、あえていえば操られ翻弄されなければならない、ということではないはずだ。在日朝鮮人は、戦後すぐに結成された朝聯(在日朝鮮人聯盟)の運動、また後に民団へと続く建青(朝鮮建国促進青年同盟)の運動の中で、後にも先にもないまったくユニークな運動を繰り広げた。
その多くは、左右のイデオロギー対立や勢力争いで消耗し、みるみる輝きを失っていくが、朝連が民戦を経て朝鮮総聯に、建青が民団になっていく過程とは、実は日本の戦争直後の状況の中で未来を切り開こうとした自立した在日の運動が、次第に朝鮮半島の二つの「自国」に管理され、利用され、その対立図式に振り回されていく過程でもあったのである。
在日は、決して単なる「在外国民」として捉えるべきではなく、敢えて言えば、本国からも日本人政党からも自立した運動を展開する姿勢が必要だったのである。在日朝鮮人運動は、この視点を持つことができなかった。そして同時に、その自立した運動を妨げ封殺したのは、GHQ、日本政府、排外主義勢力、そして在日の見方面をしながら同化を押し付けたり、自らの政治目的に利用しようとする左右の日本人政治運動家たちであったことを忘れてはならない。
帰国者をあの収容所国家に旅立たせたのは、直接の責任は韓徳銖であり、間接の責任の一つは日本での在日運動の挫折であった。RENKに参加する者として、この時代の教訓は、いくら強調してもし過ぎることはない。本書のもう一つの大きなテーマである済州島決起の問題についても、あの悲劇の本質には、韓国の地域差別、格差の問題と共に、済州島独自の状況に根ざした自立した闘争が戦われず、「北朝鮮=南労党=外からの指導者の視点」が導入されたことが、根本的な矛盾をもたらしたのではないだろうか? これは、単に当時の状況論だけで語るべきものではない。「前衛」という概念の魔力がもたらす悲劇である。


最後に述べておく。本書には実に残酷だが、大変印象的なエピソードがある。著者は初恋の女性との中を、ある民青のエリートによって引き裂かれる。この時の悔しさから、著者は次のように記している。
「革命も近いと勉強もほっぽりだして活動に打ち込んでいる彼ら(学生党員―引用者)に、私は到底同調できなかった。T(民青のエリート―引用者)に卑劣な手段で婚約者を奪われるという体験から、日本共産党も一般の世間と同じ様にどろどろの人間関係の世界だということを知っていた。
それにひきかえ学生党員は、日本共産党をあたかもこの世に実現した理想世界のように思い込んでいた。そんな彼らを私は、内心で冷笑していた」(66ページ)
著者は、共産主義を貧しく差別された人々の解放をもたらすものと信じ続け、また北朝鮮の宣伝を一度は信じながらも、金日成のウソを鋭く見抜くことができた。
それが可能だったのは、どんなに理想を語る党派であろうと、その中に潜む偽善を見逃すまいという視点を、このエピソードに示される体験から確かに学んでいたためだと思う。



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