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北朝鮮最新情報 :60年前の北朝鮮捕虜「今こそ北への幻想捨てるべき」 
└ 2013-06-18 10:30

60年前の北朝鮮捕虜「今こそ北への幻想捨てるべき」

韓国戦争に北朝鮮軍の一員として参戦し、捕虜になった後、韓国と北朝鮮のどちらも選ばず、第三国のインドに渡ったヒョン・ドンファさん(左)が13日、ニューデリー市内の自宅で一生を振り返った。

 インド・ニューデリー在住のヒョン・ドンファさん(81)は、韓国戦争(朝鮮戦争)終了後に第三国行きを選んだ北朝鮮軍捕虜76人のうちの1人だ。停戦60周年を迎え、ヒョンさんは本紙との電話インタビューに応じ「少し前まで韓国では若手政治家や一般国民の間に北朝鮮に幻想や漠然とした期待を抱く人が少なくなかったが、今はほとんどいないようだ。統一韓国については心配していない」と語った。

■「収容所はまるで戦場だった」

 1932年に咸鏡北道清津市で生まれたヒョンさんは、平壌の寺洞軍官学校を経て、韓国戦争当時は北朝鮮の朝鮮人民軍中尉として参戦した。作戦途中に米軍の爆撃で2度も重傷を負い、53年10月に家族のいた地域が韓国軍に占領されたと聞き、韓国軍に投降した。ヒョンさんは「今も昔も北が嫌だった。金日成(キム・イルソン)は存在感がなかった。今でこそ北が英雄に仕立てあげたが、当時はスターリンの操り人形にすぎなかった」と語った。


 釜山にあった捕虜収容所に移送されたヒョンさんは「収容所もまるで戦場だった」と振り返った。親共産主義と反共産主義に分けられた捕虜が毎日互いを殺し合った。53年6月18日に李承晩(イ・スンマン)大統領が国軍憲兵隊を使い、反共捕虜約2万7000人を釈放したが、ヒョンさんがいた将校収容所の門は開かれなかった。将校以外の反共捕虜が全て脱出し、収容所が空になったという情報は翌日になって知った。

 ヒョンさんは、7月27日に停戦協定が結ばれた後に釈放されたが、韓国行きを選ばなかった。理由は南側には親戚がいないと思ったからだという。家族が南側に越境し、母と兄弟が韓国に住んでいるという事実は1964年になって知った。自ら国軍に投降したため、北朝鮮に向かうことはなおさらできなかった。

 当初は米国に近いメキシコに向かうつもりだった。メキシコに定着した後、米国に渡り勉強がしたいと考えたからだ。収容所を転々とする間も米誌「リーダーズダイジェスト」を手に入れ、英語を学んだ。しかし、メキシコ政府から入国を認められなかった。代わりにインドを選んだが「数カ月だけ滞在する経由地」程度に考えていたインドに60年近くも住むことになろうとは、当時は想像しなかった。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/17/2013061701023.html






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