北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 | 戻る

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」への参加の呼びかけ

 日本での差別と訣別し、「社会主義祖国」建設に自らを捧げようとの希望に胸を膨らませて帰国した在日朝鮮人は、約10万人とされる。しかし、彼(女)らを待ち受けていたのは「楽園」ではなかった。悲鳴ににた、助けを求める手紙が日本に多数送られている。そして多くの人々が行方不明になり、日本にいる家族を含め肉親たちは真相を知るすべもないまま、いま胸を痛め苦しんでいる。

 「スパイ」という烙印を押され、裁判もなしに処刑され、あるいは収容所・労働教化所・炭鉱送りにされた者もいる。収容所送りは本人だけではない。配偶者の一方の成分が良く、それを救うための離婚勧告を拒んだ場合、幼子を含む家族全員が送られるのである。死ねば遺体は「山の向こうに棄ててこい」とゴミのごとく扱われ、墓さえないケースも伝えられている。

 「人権は普遍的である−誰でもどこにいても同じく保障されなければならない不可譲の権利である−」。この命題を否定する者はまずいない。現に日本においても、日本をはじめ世界各地の人権侵害に反対する様々な運動がある。在日朝鮮人への民族差別撤廃運動、韓国の「政治囚」の救援、南アのアパルトヘイトに反対する運動、東ティモールの人権侵害を批判する運動、ミャンマーの軍事独裁政権による人権抑圧、中国の「天安門事件」に抗議する運動などなど。

 しかし、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)におけるこのいたましい人権侵害は、これまで日本でほとんど取り上げられてこなかった。それはこの事実が世間に知らされなかったためもあるが、知る立場にあった者が「社会主義北朝鮮への幻想」や「党派性」あるいは「迎合」から、この問題への取り組みを抑圧・抑制したせいでもある。それに加えて、残された家族への迫害が予想されたため、日本で生活する遺家族もこの問題を声高に叫ぶことができなかったという事情がある。

 そうしている間にも、「北」の人権抑圧は強まりさらに多くの人々が経済的困窮に加えて、ゆえなく処刑されたり「山送り」になったりしてきた。いわば「人質」を取られている日本の遺家族も、これ以上の犠牲者を出すことにもはや耐えられなくなり、勇を鼓して真実を語るようになった。そうすることが死者に対する生者の義務であると考えて‥‥‥。彼(女)らの証言は1991年頃から印刷物に載りはじめていたが、この必死の訴えも「北」に人権のまなざしを向けることのできない者には届くことがむずかしかった。

 ようやく昨1993年11月7日に実現した「証言集会」において、6人の遺家族が生々しい証言を行うことにより、日本での運動を具体化する一歩が踏みだされることになった。証言された迫害はいたましいものであった。そしてその迫害は、人民を互いに監視させ密告を奨励する体制により支えられていた。

 このような証言を聞き、実態を知った以上、沈黙を続けることは許されない。失われようとする命を守ることは、人間としての義務である。「北」の囚われ人は法の保護も受けず、奴隷のような扱いをされている。北朝鮮はすでに国際人権規約を批准し、基本的人権を守る約束をしたにもかかわらず。

 われわれは、「帰国者の生命(いのち)と人権を守る」という目的で会をつくることにした。北朝鮮全体の人権状況は、昨年のアムネステイ・インターナショナル報告書にもあるように深刻である。われわれはまず北朝鮮に、人権を尊重し人権抑圧をただちに中止するよう求める。

 また帰国事業を直接推進した朝鮮総聯に、帰国者の「北」での現状を調査し日本に住む家族に正確に知らせるなど、帰国者の生命と人権を守る立場に立つよう求める。われわれは日本に住むものとして、日本にいる遺家族と手を携え、救援活動に取り組んでいきたい。

 思えば、戦前の植民地支配により、朝鮮人を日本へ渡航せしめるとともに、のちの南北分断のもとをつくった。戦後日本に残った朝鮮人への差別が彼(女)らが「北」への帰国を選ぶ大きな動機となったことは間違いない。日本政府からみれば、「厄介払い」だったとも言える。このような帰国運動を日本の政党・団体・自治体・赤十字などが後押しし、日本の友人たちが祝福した歴史を省みなければならない。

 われわれは呼びかける。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る一点で協力しあおう。とくに日本人と在日朝鮮人は力を出そう。人間を愛するすべての人々よ、向けよう、人権のまなざしを、人知れず坤吟する多くの「北」の帰国者たちに!(1994.2.20)