帰国事業訴訟

帰国事業で北朝鮮に渡り苦痛を受けたのは、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が現地の実態を説明しなかったためだとして、2003年に脱北した大阪府在住の千葉優美子さん(高政美さん)が2008年6月13日、朝鮮総連に慰謝料など1100万円の支払いを求め大阪地裁に提訴しました。守る会では、千葉さんの訴訟を支援していきます。大阪地裁に提出された訴状は、こちらのWord書類をダウンロードしてご覧下さい

 

裁判支援のためのご寄付は下記にお願いします。

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口座名「守る会訴訟支援」   
口座番号 「00920-7-134220」


朝鮮総連を提訴するため大阪地裁に向かう千葉さんら


結審しました。
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訴状 ■高政美さん陳述書 ■山田文明陳述書 ■裁判ニュース

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訴訟支援ニュース:裁判ニュース第8号 
└ 2010-06-02 14:27

帰国事業訴訟の裁判ニュース第8号が発行されました
ぜひご一読ください
三浦



裁判新聞08.pdfをダウンロード

訴訟支援ニュース:帰国事業訴訟ニュース7号、5月26日に大阪高裁で結審 
└ 2010-05-09 11:33

5月26日(水) 午後1時15分
場所:大阪高等裁判所 別館 72号法廷(7F)にて、帰国事業訴訟の結審が行われます。
多くの方々のご参集をよろしくお願いします

裁判新聞07.pdfをダウンロード

訴訟支援ニュース:ある帰国者の悲劇(3)長席浸瓠ζ本人妻小池秀子さんの北朝鮮からの手紙 
└ 2009-07-12 11:18

ある帰国者の悲劇(3)長席浸瓠ζ本人妻小池秀子さんの北朝鮮からの手紙

1936年、朝鮮人の父と日本人の母との間に生を受けた長席浸瓩蓮1961年、日本人・小池秀子さんと結婚。東北大学に進学し、大学院で生物学を専攻しました。この若き科学者は、「考えに考え抜いた末」妻、秀子さんを伴い、1962年2月11日、北朝鮮に渡りました。

長席浸瓩蓮∨鳴鮮の苛酷で不自由な生活の中でも、科学者として懸命に生き抜こうとした。必要な学術書や研究機材を求めて、氏の手紙には書籍や機械を送って欲しいと言う訴えが目立ちます。秀子さんは不足する日用品を控えめに求めつつ、辛い日常生活を耐え忍ぼうとする姿が手紙からうかがえます。日本のご家族も、手紙に求められる数倍、数十倍荷物も北に送り続けたようです。

しかし、長席浸瓩亮蟷罎砲△襪茲Δ鵬拱はしばしば遅れるだけでなく、書籍以外の日用品は、送ったごく一部しか一家の手元には届かないことがしばしばでした。浩平氏の手紙も、しだいに年月を経ると共に疲労と苦汁を滲ませるようになっていきます。そして1967年、「あわれにも小生完全な廃人となりました」「一家は満身創痍の形で出るのは苦笑とため息だけです。」という意味深な言葉を残して、長席浸瓩らの消息は途絶えてしまうのでした。

 1973年の秀子さんの手紙には、「子供たちと3人と4人ぐらしになってもう7年になります。」とあり、この67年にお二人を残酷な運命が引き裂いたことは明らかです。この後、秀子さんからの手紙もやがて途絶えてしまいます。浩平氏のご両親は悲しみのうちに他界しました。

 長席浸甍豌箸両誕を求めて、浩平氏の妹、長さんと人権団体はアムネステイ・インターナショナルに訴えましたが、それに対する北朝鮮政府に解答は、「浩平氏はスパイ容疑で逮捕された後、1974年に脱獄と国外逃亡を試みたため、一家全員を射殺した。」という荒唐無稽のものでした。67年に浩平氏に何が起こったのか、その後秀子さんと子供たちがどんな運命をたどったのか、現在はまだだれにもわかりません。そして帰国者の悲劇は、今も尚進行中なのです。

 この長席拭⊂池秀子両氏が日本に送った書簡のうち、入手できたものは「長席拭⊂池秀子書簡集」として1999年、パンフレットの形で三浦が発行しております。守る会は近い将来本書簡集の復刻を考えておりますが、同パンフレットより、長席浸瓩虜の所入手しえた最後の手紙を紹介します。

1967年9月27日
 封筒宛て先  日本国新潟市寺山国道通り  掴楕人
  差し出し住所  朝鮮民主集人民共和国
          咸鏡南道咸興市咸興医学大学生理学講座  長席
 
前略 期の後新潟では皆さん何のお変わりもなく御元気でお過ごしの事と思います。
当方は小生の病が一進一退で、朝鮮では職場を六ヵ月以上病欠すると自動的の社会保障になり(職場はやめなければならぬ)一月二本金で約二千二百五拾円を支給されてくるす事になります。そういう訳であわれにも小生完全な廃人となりました。いかに健康の為とはいえ真に口惜しい毎日です。

あわれなのは小生よりも愚妻と子供で、愚妻は三人の年子を連れて職場にこの十月から出る事になりました。その上九月二十五日の新聞で知ったのですが、モスクワで朝日会談が談判決裂したとの事でもう御両親様からの援助も期待する訳にもいかなくなり、本当にこれから小生等親子五人、一体どうしたらこの苦境を打開することが出来るかと我身のだらし無さを歯がゆく思う此頃です。

帰国船のなくなる以上は、もう十年も父上母上とはお会い出来ないだろうし、淋しさ心細さが一入の気持ちです。先日来御手紙した如く毛布(千二三百円の物)百枚位かサッカリンニ、三百㎏位を何とかして貰えませんか。特にサッカリンは大して荷も大きくなく(日本の十〜二十倍になる)そう高くもないからいいと思うのですが。御承知の様に武士は喰わねどの気持ちで、今まで計算機など国の為になるものだけを父上に御援助頂いて来ましたが、そういうものは小生の生活には何の助けにもならないので、現在の小生の様な立場になると他の帰国者の様にサッカリンでも送って貰って置けばよかったと思うのです。

妻や子は、ボロを来てまづい物を食べても、国の為革命と労働者階級の為にと思って頑張って来たのですが、梨花という二番目の子はクル病で病的骨折で片輪になってしまうし、小生も健康を害すし妻も関節を病むしで、今や浩平一家は満身創痍の形で、出るのは苦笑とため息だけです。勿論人生は長いのだし、一時の病気の為に革命の理想を忘れるような小生ではないつもりですが、何とか現在の急場をしのぐには先に書いた様に、父上母上の御袖にすがるしかない訳です。

どうか御無理でしょうが、本帰国事業の終る十一月迄に何とか小生の勝手をお聞届け下さってご援助くださるよう伏してお願い致します。
末筆ながら御一家のご健康を祈りつつ

草々不備
長席
御両親様(一部句読点を打って読みやすくしてあります:三浦)


訴訟支援ニュース:ある帰国者の悲劇(2) 千葉優美子さん 
└ 2009-07-12 11:16

ある帰国者の悲劇(2) 千葉優美子さん

高政美(日本名千葉優美子)さんは、1960年9月23日、大阪市で、父高キョンスン、母金玉先(オクソン)の次女として生まれました。しかし、父は1962年死亡、母は朝鮮総連の「3人の子供を連れて、どうして生活していけるのだ、北朝鮮へ行けば心配なく生活できますよ」と勧められ、その説明を信じて帰国を決断しました。帰国の為新潟に赴いた高さんは、そこで養父となる金コングゥンを紹介され、新潟で半年ほど暮らした後、1963年10月18日の第111次船で北朝鮮に帰国しました。

しかし、北朝鮮の清津港に着いた途端、豊かな国だという総連の宣伝がうそだったことに気づいた兄、金ビョンシ「船から降りない、日本に帰してくれ」といいました。一家は清津の帰国者招待所に送られましたが、それでも日本に帰してくれといい続ける兄は、一人切り離されてどこかに連行されていってしまいました。

1968年5月頃、原告は家族と共に、帰国直後に引き離された兄に会いに行きましたが、兄は第49号病院という精神病患者が入院する施設に収容されていました。兄は、床は汚物だらけの酷い部屋に押し込められており、まともに立つことも出来ませんでした。その後、1971年頃兄の死亡通知が届きました。

1976年3月はじめ、父が突然行方不明となりました。そして8月30日、夜、だれかがドアをたたき「父を連れてきました」といいました。母がドアを開けると、そこには見知らぬ男に連れてこられた父の姿がありました。父は髪の毛が真っ白になり、骨と皮ばかりにやせこけていました。

父は「自分達の野心の為なら、人の命など虫けらほどにも思わないのが北の為政者達だ。わしは今度全面否定して奇跡的に釈放されたけれど、多くの人がひどい拷問に耐えられなくて、やってもいないことをやったと認めてしまった。この半年の間、わしは、いままで想像したこともない一生忘れられない体験をした。帰国者たちは、北朝鮮為政者たちの釣の餌に過ぎなかった。」と語りました。

父はスパイではないかという疑いを掛けられ拷問を受けたのでした。父はこの後はただ黙々と働き、晩年は羊を飼い、その毛や肉を売ることで生活していきました。父は一人でいるとき、自分が総連に騙されて大勢の人を北朝鮮に帰国させたことを、自分の許されない罪だと、羊に語りかけることもありました。

 ただ、高さん一家には、日本の親族から多くの支援が北朝鮮に送られていたこと、仕送りも豊富だった事から、比較的帰国者の中では豊かな生活をしていました。高さん自身、1976年新義州第1師範大学に進学し、1980年大学卒業後、1980年から1982年まで新義州第2師範大学体育学部球技講座で、また1985年から1996年まで平安北道新義州市体育大学芸術体操講座(現在の平安北道体育団)で講師を務めています。また1980年に平安北道新義州市医学大学病院医師であった李ヨンホンと結婚し、1982年には娘が、1984年には息子が生まれました。

しかし、九〇年代飢餓の時期に、高さんにとって決定的な経験が訪れました。1995年5月、大学からの緊急連絡を受け、餓死した人達の死体の処理を35日間に亘って強制されました。作業は学生達が動員され、昼のうちにあちこちの死体を駅前旅館のある部屋に運んでおいて、夜になるとその死体を教育部管理下の教習林に埋める作業でした。

吐き気をこらえながら、学生達と共に遺体の処理をする中、高さんはこの北朝鮮体制に深い疑問を抱くようになりました。さらに、高さんの知人の帰国者が外貨稼ぎで処罰され、高さん一家自身も疑いをかけられて教師の職を解任され、山奥に一家が追放されることになりました。これ以上北朝鮮で生きていくことに希望を失った高さんたちは、2000年12月1日脱北しました。その後も、一度は北朝鮮に送り返され、自殺を決意するなど酷い体験を幾つも経た後、2003年再度脱北に成功、2005年、子供たちと共に日本領事館に保護され、日本入国に成功しました。


訴訟支援ニュース:ある帰国者の悲劇(1)榊原洋子さん  
└ 2009-07-12 11:14

ある帰国者の悲劇(1)榊原洋子さん 
 
榊原洋子さんは誕生まもなく、広島に住む在日朝鮮人である金容徳、崔花子夫妻のもとに養子として入りました。正確な誕生日はわかりませんが、一九五〇年二月四日の旧暦に当たる日の日柄が良いという理由で同日を出生日として届けています。両親は土木作業員などを熱心に働き、生活を支えていました。

ところが、一九五九年母が脳出血で倒れ、自宅で寝たきりの状態となり、当時九歳の榊原さんには看病や介護が出来ず、父親が看病に専念するしかなかったため、仕事に余り行くことができなくなり、一家は次第に貧しくなっていきました。

同年一二月から北朝鮮への帰還事業が始まり、家に朝鮮総連の人々がやってくるようになり、熱心に北朝鮮帰国を両親に説得しました。北朝鮮に帰国すれば、職業、住居は斡旋してもらえ、学費、医療費は無料といわれ、学校に支払う給食費にも悩むようになっていた榊原さん一家は、ついに帰国を決意、一九六一年五月二十六日、新潟から北朝鮮に旅立ちました。

北朝鮮の清津港に着き、すぐに総連の宣伝がうそであったことに気づきました。榊原さん一家は咸鏡北道鐘城郡下三峰里に送られて農業に勤しむことになりました。父は全く農業の経験はありませんでしたが、北朝鮮では職業選択の自由は全くありませんでした。母は寝たきりの毎日でした。

翌年一九六二年の二月か三月の冬、父親が突然いなくなり、大騒ぎになりました。総出で捜索したところ、三日目に山中で見つかりましたが、精神に異常をきたしていたのです。慣れない重労働の農作業、幹部からの圧力、現実への幻滅、自責の念などからでしょう。

榊原洋子さんは一九六二年四月に下三峰中学に入学、一九六三年九月漁郎郡會門里へ移り、十月中学校(十月はロシア十月革命にちなんだ学校の名前)へ転校、一九六五年三月同中学校を卒業し、漁郎農機械技術学校に入学しました。しかし六七年三月寝たきりだった母の容態が悪化して学校どころではなくなり、結局学校をやめて働くことにしました。

勉強熱心で成績もよかった洋子さんは、里にある幼稚園に教養員(保母)として就職することが出来ましたが、経たない四月六日、とうとう母は死んでしまいました。その後洋子さんは一九六八年四月、漁郎人民学校(小学校)の教員になり、その仕事や誠実な性格が評価され、一九七一年四月、清津師範大学に入学することができました。

しかし、貧しさから結局大学を続ける事はできず、七二年に中退することになり、後は労働者として生きていくしか道がありませんでした。榊原さんは金策市の成津製鋼所に勤め、その後一九七五年、金策市大補修事務所に移りました。

しかし、一九七六年建設工事の基礎用の石を集めよという指示が金策市行政委員会から人民班に下され、朝四時半からの「社会労働」に参加して石を運んでいたところ、積み上げてあった石が崩れ落ち、直径五十センチメートル位の石が榊原さんの腰を直撃しました。榊原さんは気を失い、病院に運ばれましたが、病院には薬も乏しく充分な治療は受けられずに、事故後2ヶ月は起きられず、今も榊原さんは後遺症が残っている状態です。

一九七七年、同じく帰国者の金基哲と結婚(夫はその後一九九八年死亡)翌年五月長男明俊、八一年長女明心が生まれました。
一九九四年七月八日金日成が死んだ後、北朝鮮は急激に飢餓が訪れました。榊原さんの家でも九六年に夫が病気になり、薬をたくさん使い、九七年三月にはお金がすべてなくなってしまいました。僅かな仕送りで生き延びるのが精一杯でした。

二〇〇三年二月末、息子の金明俊が失踪、密かに脱北して韓国に亡命しました。榊原さんも、このままではどうにもならないと判断し、十一月二二日未明豆満江を渡り、北朝鮮を脱出しました。一九六一年五月二八日、清津港に到着してから四二年五個月二五日目のことでした。





■訴訟を伝える新聞記事

帰還事業めぐり脱北者女性が朝鮮総連を提訴 大阪地裁

 北朝鮮への帰還事業で同国に渡った後、苦痛を受けたのは「地上の楽園」とうたって事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の責任だとして、脱北者の女性が13日、朝鮮総連に慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
 訴えたのは大阪府八尾市に住む韓国籍の高政美(コ・ジョンミ)さん(47)。
 訴状によると、大阪市出身の高さん一家は1963年、「北朝鮮へ行けば心配なく生活できる」などとする朝鮮総連の宣伝を信じて帰還事業に応じ、在日朝鮮人の母親ら7人で北朝鮮へ渡った。しかし、母は早朝から夜遅くまで建設用の石集めなど過酷な労働を強いられ、養父はスパイ疑惑をかけられて拷問された。高さん自身も学校で「チョッパリ(日本人の蔑称(べっしょう))」と呼ばれ、服を脱がされるなどのいじめを受けた。
 結婚後の95年には、餓死した人の遺体処理に従事させられた。翌年、金を貸した男性が外貨稼ぎで問題を起こして連帯責任を負わされた後、2人の子どもとともに00年、脱北を試みて失敗し、強制収容施設で殴るけるの拷問を受けた。03年に中国経由で脱北に成功し、05年7月に日本に戻った。
 高さんは提訴後に記者会見し、「朝鮮総連は大うそをついてだまし、組織的な誘拐をした。責任をとるべきだ」と泣きながら訴えた。
 帰還事業をめぐっては、62年に脱北した韓国在住の男性が01年6月、朝鮮総連に損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。しかし、同地裁は民法上の債権を請求できる権利は時効(10年)で消滅したとして請求を棄却し、最高裁で確定した。今回の提訴で高さん側は、05年3月に中国にある日本の在外公館で保護された時点から起算して請求できると主張している。
 提訴後、朝鮮総連は「同じような訴えを棄却した判例がすでにある。今回の訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外のなにものでもない」とのコメントを出した。 朝日新聞6/13

 

「帰還事業は組織的な誘拐」 朝鮮総連提訴の女性

 大阪市出身の在日朝鮮人二世で、北朝鮮へ渡った後、脱北した高政美(コ・ジョンミ)(通名・千葉優美子)さん(47)=大阪府=が十三日、帰還事業をめぐり、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に慰謝料などの支払いを求めて提訴後、大阪市内で記者会見した。北朝鮮での苦しい生活を涙ながらに証言し、今も自由を奪われて暮らす帰還者や日本人妻の救出を訴えた。

 高さんは一九六三年、家族に連れられて北朝鮮へ。だが、「日本帰り」を理由に迫害され、学校で服を脱がされるいじめに遭った。朝鮮総連は「地上の楽園」と宣伝したが、兄は政治犯収容所で命を奪われ、母は過酷な労働を強いられた。今は亡き両親は「許せない」と悔しがったという。

 高さんは二〇〇三年に脱北し、〇五年三月に日本に戻った。現在は韓国籍。会見では「大うそで人々をだまし、組織的に誘拐した」と総連を批判し「(帰還者らは)恐ろしい毎日を必死に生きている。助けるのが一番の望みです」と述べた。

 在日朝鮮人の帰還事業は一九五九年、日朝の両赤十字が共同で開始。兵庫県からの約七千人を含む約九万三千人が海を渡った。(高田康夫)神戸新聞6/14

 

「『地上の楽園』は虚偽宣伝」 脱北女性が朝鮮総連を提訴 大阪

 「地上の楽園」などと虚偽の宣伝がなされた帰還事業で北朝鮮に渡り、強制収容所などで肉体的、精神的苦痛を受けたとして、脱北した大阪府在住で韓国籍の千葉優美子さん(47)=韓国名・高政美=が13日、帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取り、慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。国内在住の脱北者が帰還事業をめぐって提訴するのは初めて。

 脱北者を支援する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(三浦小太郎代表)によると、国内在住の脱北者は約170人。今後も同様の訴訟を検討しているという。

 訴状によると、千葉さんは3歳だった昭和38(1963)年、両親とともに帰還事業で北朝鮮に渡り、政治的な理由で父や兄が強制収容所に入れられた。千葉さん自身も8年前に脱北を試みて失敗、収容所で拷問を受けた。2度目の脱北で成功し、平成17年7月に日本に入国した。

 千葉さんは「朝鮮総連は北朝鮮を『地上の楽園』と称し、実情を秘して在日朝鮮人を誤信させた」と主張。帰還事業は在日朝鮮人を労働者や人質として利用するためのもので、「囚人や奴隷と変わらない生活を強いられた。脱北失敗後は殴るけるなどの激しい拷問を受けた」としている。

 帰還事業をめぐっては平成13年、韓国在住の男性が朝鮮総連に損害賠償を求める同様の訴訟を東京地裁に起こしたが、脱北から約40年が経過していたため「損害賠償請求権が時効で消滅している」として棄却、敗訴が確定している。

 賠償請求権は損害や加害者を知った時点から3年間行使しないと消滅するが、千葉さんの代理人の弁護士は「千葉さんは日本入国後3年が経過しておらず、時効にはあたらない」としている。

 朝鮮総連の話「同じような訴えを棄却した判例が既にある。今回の訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外のなにものでもない」

産経新聞大阪6/13

 

「騙して誘拐した」 朝鮮総連提訴の女性 涙の訴え

 多くの在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った帰還事業の開始からまもなく半世紀。大々的に宣伝された「地上の楽園」とかけ離れた生活を強いられた脱北者の千葉優美子さん(47)が13日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)への提訴に踏み切った。帰還者の中にはいまだ安否すら判明していない人が多い。支援者は「訴訟を機に救出活動の関心を高めたい」としている。

 千葉さんは提訴後、大阪市内で記者会見。朝鮮総連について「人をだまし、組織的に誘拐した。人権と自由を無差別に奪った悪魔みたいな団体だ」とたどたどしい日本語で批判。「私1人の問題ではない。今も強制収容所の中で必死で生き延びようとしている人がいる」と涙ながらに訴えた。

 千葉さんは昭和38(1963)年10月、両親ら家族7人で新潟県から北朝鮮に向けて出航。「何の心配もなく生活できる」と朝鮮総連構成員に説得され、両親が帰国を決断したという。

 船が北朝鮮の清津に着いたとき、10代半ばだった兄は、人々のやせ細った体つきやみすぼらしい服装、老朽化した建物などを見て落胆し、「日本へ戻りたい」と訴えた。このため北朝鮮当局に連行された後、強制収容所に送られ、1971年に死亡。父もスパイの疑いで収容所送りとなり、拷問を受けたという。

 千葉さんも96年、外貨稼ぎをめぐって処罰された帰還者の知人男性に金を貸していたとして責任を問われ、山中に追放を命じられた。「もううんざりだ」。すでに結婚して長男と長女の子供2人がいたが、脱北を決意し2000年11月、子供らと中国側に脱北。しかし、03年に強制送還され、収容所に入れられた。約5カ月間ろくに食事を与えられず、殴るけるの激しい拷問が続いた。

  「地上の楽園」どころか生き地獄のような日々。「死んでも北朝鮮から脱出する」と決心し、一時的に釈放されていた03年11月、長男と一緒に脱北、中国に残っていた長女とも合流して日本に入国した。

 日本に住む脱北者の中には親族らを北朝鮮に残してきた人が多い。千葉さんの家族もまだ北朝鮮にいる。今回の提訴で実名を公表したことで、さらに迫害を受ける可能性もある。脱北者を支援する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の山田文明副代表(大阪経済大准教授)は「帰還者救出は停滞している。この状況を打破するため、千葉さんは相当の覚悟で提訴に踏み切った」と話した。産経新聞6/13

 

朝鮮総連:大阪の脱北女性が損賠提訴「帰国事業で苦痛」

 帰国事業で北朝鮮に渡った後、強制収容所に収容されるなどして肉体的・精神的に苦痛を受けたとして、日本に脱出した大阪府の女性が13日、事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に1100万円の賠償を求め大阪地裁に提訴した。日本在住の脱北者による提訴は初めて。

 訴状によると、女性は大阪市生野区出身の在日朝鮮人2世、高政美さん(47)。両親は韓国・済州島出身。62年に父親が死亡し、母親が総連関係者から「北朝鮮に行けば心配なく生活できる」と説得され、3歳だった63年に母親と兄、弟らと北朝鮮へ渡った。

 日本に戻ることを望んだ兄は強制収容所に入れられ死亡。さらに高さんは外貨稼ぎで処罰された知人の連帯責任を理不尽に負わされ、00年に子どもと中国へ脱出したが強制送還され、強制収容所で拷問を受けた。03年の脱北は成功し、日本に戻った。訴状で「北朝鮮が『地上の楽園』と宣伝し、帰国事業を積極的に推進したのに、生活実態の説明義務を怠った」と主張している

 帰国事業を巡っては、01年6月にも元在日朝鮮人の男性=韓国在住=が「北朝鮮で強制就労させられた」として朝鮮総連に賠償を求める訴訟を起こした。東京地裁は「既に民法上の時効が成立している」として請求を棄却、上訴したが最高裁で敗訴が確定した。【川辺康広】毎日新聞6/13

 

朝鮮総連:大阪の脱北女性が損賠提訴「帰国事業で苦痛」

 帰国事業で北朝鮮に渡った後、強制収容所に収容されるなどして肉体的・精神的に苦痛を受けたとして、日本に脱出した大阪府の女性が13日、事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に1100万円の賠償を求め大阪地裁に提訴した。日本在住の脱北者による提訴は初めて。

 訴状によると、女性は大阪市生野区出身の在日朝鮮人2世、高政美さん(47)。両親は韓国・済州島出身。62年に父親が死亡し、母親が総連関係者から「北朝鮮に行けば心配なく生活できる」と説得され、3歳だった63年に母親と兄、弟らと北朝鮮へ渡った。

 日本に戻ることを望んだ兄は強制収容所に入れられ死亡。さらに高さんは外貨稼ぎで処罰された知人の連帯責任を理不尽に負わされ、00年に子どもと中国へ脱出したが強制送還され、強制収容所で拷問を受けた。03年の脱北は成功し、日本に戻った。訴状で「北朝鮮が『地上の楽園』と宣伝し、帰国事業を積極的に推進したのに、生活実態の説明義務を怠った」と主張している

 帰国事業を巡っては、01年6月にも元在日朝鮮人の男性=韓国在住=が「北朝鮮で強制就労させられた」として朝鮮総連に賠償を求める訴訟を起こした。東京地裁は「既に民法上の時効が成立している」として請求を棄却、上訴したが最高裁で敗訴が確定した。【川辺康広】毎日新聞6/13

 

「朝鮮総連は悪魔」「収容所は人間の動物園」…脱北女性会見詳報

 「地上の楽園」と偽りの宣伝にだまされて北朝鮮に渡り、肉体的、精神的苦痛を受けた脱北者、千葉優美子さん(47)。13日に帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に損害賠償を求めて提訴した千葉さんと代理人の藤森克美弁護士による、大阪司法記者クラブで行われた会見のやり取りを詳報する。

 −−提訴に踏み切った思いは

 千葉さん「日本に戻って約3年になりますが、家族や私の命を助けてくれたことに感謝しています。北朝鮮にいるときは、両親に北朝鮮のことを聞き、どうなってしまうのかといつもおびえ、朝鮮総連が許せないという思いでした。自分たちも人間なのに、人をだまして連れてきて組織的に誘拐したのではないかと。その責任はどうやってとってくれるのか、毎日考えていました。こうして訴えられるようになるまで何十年もかかった。もう半世紀近くたっているが、収容所にいるときも本当に恐しくて、あしたは生きていられるかといつも不安で毎日必死で生きております」

 「私1人の問題ではなく、今も収容所の中で必死で生き延びようとしている人がいる。すでに北朝鮮で亡くなっている人もいますが、天国から見守っていてほしいです。朝鮮総連は人権と自由を無差別に奪った悪魔みたいな団体。だからこそこんな大きな問題になった。日本語がよくできなくて…。みなさまのご理解よろしくお願いします」

 《ゆっくりとした口調で話す千葉さん。日本語はたどたどしい》

 −−提訴したことで、今もまだ北朝鮮に残っている人にどういう影響があればいいと思いますか

 千葉さん「この裁判をきっかけにして、まず本質的に正しい裁判所の判断をいただいて、まだ北朝鮮に残っている日本人を救うことができるようになるのが願いです」

 −−正しい判断をもらって北朝鮮という国も含め、北朝鮮に残された人も助かればということですか

 千葉さん「はい、そうです」

 −−朝鮮総連が被告ということですが、帰還事業は日朝の赤十字社の合意があってなされた経緯があり、被告を朝鮮総連に絞っているのは

 藤森弁護士「本当は北朝鮮政府も被告にしたいところですが、国交がない。難しい問題です。今後、国交正常化でも図られるようなことがあれば検討してみたい」

 −−日本政府と赤十字社も連帯責任も考えられると思いますが

 藤森弁護士「それは現時点では無理だと考えています」

 −−それは何かひっかかることがあるということか

 藤森弁護士「赤十字社は当時帰還する在日朝鮮人の方から何度も了解を確認しているんです。私たちはそもそもだました大本はどこかということを重視している。赤十字社や日本政府が個々の人をだましたかというとそうは考えていません」

 −−この裁判を通じて、赤十字社も政府も自分たちが当時取った行動などを正しかったのか検証してもらえたらと思いますか

 藤森弁護士「そうですね。ジャーナリストの方々にもぜひ取り上げていただいて」

 −−当時はマスコミも「地上の楽園」を報道してそれで信用した人もいますが

 藤森弁護士「それも赤十字社や政府と同じですね。だました根源ではないと」

 −−現在家族の安否は

 千葉さん「兄弟や親戚(しんせき)がまだ北朝鮮に残っています。両親はもう亡くなっています」

 藤森弁護士「千葉さんの夫はどうしたという質問もよく受けますが、千葉さんそれも答えてくれますか」

 千葉さん「夫も日本から帰還した人です。朝鮮語が全然できずに苦労しました。医師をしていましたが、患者に自分の血をたくさん献血して、その影響で病気になって1986年に死にました」

 −−北朝鮮に家族を残したままで、今回実名で提訴した心境は、心配だけれども身をもって訴えるということですか

 千葉さん「そのとおりです」

 −−北朝鮮でどういう生活をしていたか

 千葉さん「本当に言葉にできないくらいですけど、1971年ごろ、日本から来た人はとてもいじめられて…。学校に行ったらたくさん生徒が集まって髪の毛をひっぱられたり、服を破られたりしたときは、日が暮れるまで待ってパンツ1枚だけで家に帰ったこともあった。先生にも言ったけど日本の服を着てくるからそうなるんだといわれた。母に話しても仕方がないと泣くばかりで」

 《千葉さんはあふれる涙をハンカチでぬぐいながら続けた》

 千葉さん「万景峰号という船で北朝鮮に渡ってから私たちの人権はなくなっていました。兄は(1963年に)船が着いたときに『日本に帰りたい』と行っただけで(北朝鮮当局に)連れて行かれた。兄のいる収容所に行ったときは人間の動物園のようだった。私たちに罪はないのに北朝鮮に行っただけでなぜこんな目にあわなければならないのか。毎日毎日泣きながら過ごしました。私は、だました朝鮮総連を許すことができません。みなさんの力を貸してください」

 帰国事業を巡っては、01年6月にも元在日朝鮮人の男性=韓国在住=が「北朝鮮で強制就労させられた」として朝鮮総連に賠償を求める訴訟を起こした。東京地裁は「既に民法上の時効が成立している」として請求を棄却、上訴したが最高裁で敗訴が確定した。【川辺康広】産経新聞6/13

 

 

 

 

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