twitterで「News」「北朝鮮最新情報」の更新をお知らせしています。
http://twitter.com/hrnk1


NEWS :新たな「小田実」の出現 小倉紀蔵編著「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店) 
└ 2012-09-26 08:43

この本を入手(ちゃんとアマゾンで買いました)のは実はごく数日前です。多少内容は知っていましたが、まず小倉紀蔵京都大学教授の文章を読んで、あ、これはかって寺尾五郎の「38度線の北」そして小田実の70年代の著作「私と朝鮮」につながる、知識人が自分の観念におぼれる典型的な北朝鮮讃美のパターンだなと思いました。

こういうと、天国(?)の寺尾氏も小田氏も、また編著者の小倉氏も抗議するでしょう。自分たちは北朝鮮の体制を讃美しているのではない、ちゃんと批判的に観た上で、それなりの価値も認め、かつ、見逃されがちな北朝鮮側の視点に立って、日本の極端な北報道に対し新たな視点を提示しただけなのだというはずです。多分ご本人はそのつもりなのですよ。寺尾氏の「38度線の北」もまた、実はよく読むと北朝鮮の当時の貧しさなどはちょっとずつ書いてはいるんです、決して礼賛ではない。しかしその背後に「貧しくとも、社会主義・共産主義の北朝鮮の方が長い目で見れば日本、韓国などの資本主義より発展するのだ」というイデオロギーがあって、その視点から今現在の北朝鮮の問題点はすべて相対化され、些細な問題に過ぎないとされて行くんです。100%のウソや宣伝は逆に説得力がない。わずかな真実を入れることで逆に宣伝力を強めているのがあの本。

小田実氏も同様、北朝鮮がイデオロギーで一元化された独裁国家であることは一応認めるんです。その上で、彼が紹介された一部北朝鮮民衆(もちろん完全な確信層)が金日成を尊敬していることを持って、この独裁は民衆に支持されている、と決めつけてしまう。その後、北朝鮮は確かに一元化されたイデオロギー国家かもしれないが、少なくとも国民は勤勉で金日成は正しい方向を見ている、日本は民主主義とは言うが実は資本主義的価値観で一元化されているではないか、アメリカべったりではないかという、まあお決まりの図式が出てくる。相手方の欠点を一応見た(ふり)をしたうえで、結局北朝鮮独裁を正当化し、そこで苦しんでいる人たちは無視する論理です。

これが小倉紀蔵氏にも全く同じ信条と論理が受け継がれています。もちろん小倉氏は、寺尾氏や小田氏のような贖罪史観はうすく、また左翼幻想は全くと言っていいほど持っていません。しかし、小倉氏のこれまでの朝鮮半島研究は一定の成果を上げた良質なものと思いますが、この本では、自ら研究対象である朝鮮思想の伝統と北朝鮮現体制を結び付けたいという意思から、曲がりくなった思考の末結局独裁体制を正当化する論理に陥っています。

小倉氏の文章から引用します。訪北し、平壌市民と話をしたのちの印象です。平壌市民が、金正恩の徳をたたえ、私たちは幸福だとあった人すべてが言うのを聴いて、小倉氏はこう書きつけます。

「まず重要なのは、北朝鮮の政権内部における権力構造が一枚岩であるかどうかはわからないが、少なくとも金正恩第一秘書と人民との間には、隙間がないということである」(31ページ)

そして、ここで小倉氏も寺尾氏、小田氏と同様、一応付け加えてコメントします。

「もちろん北朝鮮社会とて、多様な人々が存在しているのだから、その人々の世界観は多様である。(中略)統治機構に不満のある人民もおそらくたくさんいる」(同)

ここから論理は一気に飛躍します。

「しかし、公的な場所では統治について常に同じことをいうに違いない。しかもそれはだれかが暴力的に抑え込むわけではない。人民が自主的にそう考え、その結果、すべての人民が同じ考えに到達するのである。」(32ぺーじ)

この文章の矛盾に小倉氏は気づかないのでしょうか。人民が自主的に考えて、同じ結論に自然に至る社会というのは、それこそカルト宗教で子供のころから洗脳された国家くらいしかありえず、北朝鮮はある意味それに最も近い体制なのです。しかし、続く小倉氏の文章は、自らその体制の「カルト性」を明確に語っているのですが。

「人々を、『個』にさせない、というのがこの国の統治の方法である。誰もが強制しないのに、みんなが自主的に考えたら同じになった、という回路をきわめて重要視する。だからそこから逸脱する存在は許されないし、そもそも原理的にそんな存在はいないのだ」(33ページ)

これがいかに恐ろしい言葉なのか、おそらく小倉氏は認識していないでしょうが、これこそ、北朝鮮独裁政権が政治犯収容所を正当化するための論理なのです。これをさらに薄く引き伸ばせば、脱北者はすべて反逆者であり存在してはならない人たちだともなります。つまり、北朝鮮では個の存在は認められないので、基本的に人権とか個人の自由とかには本質的な価値はありません。そして、今の体制から逸脱するものは許されず「原理的にいない」からこそ、「逸脱した」とみなされた政治犯(正確には政治犯ではなく「みんな」と少しでも意見が違うだけの存在)は、一家すべてが、場合によっては友人までもが「存在」そのものを否定されて山奥の社会から隔離された収容所に送られるのです。

この後小倉氏はいろいろなことを書いていますが、正直、引用するのも気の毒なほど事実に反することも書かれています。一例を挙げれば、主体思想は奴隷の思想ではない、金日成の現地指導は「慈愛あふれる」ものだったとありますが(38ぺーじ)それでなぜ農業が破たんし飢餓が襲ったのか説明してほしいものです。もっとも、この現地指導は小田実も絶賛していましたが・・・

私は小倉氏が悪しき意図で北朝鮮を擁護したとは思いません。氏なりの朝鮮半島への愛情も、また北朝鮮をパッシングする報道への批判もあり、またアジアを欧米流の民主主義や自由の思想の観点からだけで批判する姿勢に対し、東洋学者として一言違う視点を対峙したいという学者としての意志もあるのでしょう。この思いは同書の44ページ「スピリチャル・パズル」の章によく表れています。

しかし、金日成とそれ以後の北朝鮮であれ、毛沢東時代の中国であれ、あえて言えばすべてアジア的な専制政治にスターリン主義が悪しき結合をしたものです。スターリンの中にロシア帝国の独裁改革者、イワン雷帝の幻影が、毛沢東の中には中華帝国、もしかしたら秦の始皇帝の姿が垣間見られたように、北朝鮮独裁体制も確かに儒教や朝鮮文明の家父長制や朱子学などの影響があることは確かでしょう。しかし、それは全体主義と結合したとき、最悪の面しか現れません。自由、人権、民主主義といった思想は、欧米由来のものであれ何であれ、少なくとも北朝鮮や中国の独裁よりははるかに普遍的な価値を備えており、人間を幸福に導く思想であることは明らかです。

小倉氏は、自由や民主主義は相対的な価値であるとして、では前近代社会の江戸時代は今より劣っていたと言えるのかという趣旨のことを述べています。私は、江戸時代に比べて現在が絶対的に幸福だとか、価値が上だとかの観点はもちません(個人的には今から江戸時代にタイムスリップして住めと言われたら断りますけど)。しかし、それは前近代的社会の話です。その時代を今の価値観で裁くべきではないという姿勢と、北朝鮮自身が存在している現代社会の価値観を北が受け入れなくてもよいということは別次元の問題です。

小倉氏は今収容所で強制労働されている人々に対して、また中朝国境をさまよう脱北者に対して「原理的にそんな存在はいない」と言い切れるのでしょうか(三浦)






HOME

守る会

組織
呼びかけ
会則
入会のご案内
脱北者あしなが基金
帰国事業訴訟支援

NEWS

北朝鮮最新情報

デイリーNK、開かれた北朝鮮放送等の情報です。

帰国者の証言

音声・動画ファイル

集会案内

守る会および関係諸団体の集会の案内です。

声明

守る会の声明です。

かるめぎ

守る会の機関誌「かるめぎ」を紹介します。

光射せ!

守る会の理論誌「光射せ!」を紹介します。

北韓人権

北韓人権市民連合ニュースレターの紹介

資料集

書籍/映像紹介

リンク集

過去ログ

旧ホームページのすべてを収蔵しています。ただし、一部古くなっている情報もありますので、疑問の点はお問い合わせ下さい。

光射せ!


News RSS

 

管理

This site is powered by CMS Designer.