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NEWS :朝鮮大学校に関する資料紹介 (1)朝鮮大学を建てる (2)「ある在日朝鮮社会科学者の散策」( 
└ 2017-04-18 10:00

昨日、宮塚利雄先生主催の学習会があり、そこで話をさせていただきました。テーマは朝鮮大学校でしたが、その場で資料として配布させていただいたものをここでも紹介しておきます。(誤字を直し多少表現を変えました)

朝鮮大学校に関する資料紹介
三浦小太郎

 朝鮮大学校が、戦前ドイツのバウハウス様式の絵協を受けた日本の建築家、山口文象のデザインであること、また彼自身が積極的に建設にかかわったことは、本人が認めている事実であるが、現在ではあまり知れていないようである(少なくとも私の出会った20代、30代の人たちは、丹下健三や黒川紀章の名前は知っていても山口の名前すら知らない人がいた)。これは現在インターネットでたやすく読める情報であるが、当時の時代背景を生々しく伝える文章であるためここに紹介する。

(1)朝鮮大学を建てる  川添 登
(「RIAの総帥山口文象」=『建築家・人と作品』1968井上書院より引用)

 現在、日本に在住する朝鮮人は約六〇万で、その約三分の二、つまり四〇万が北鮮系(中略)すでに小学校から高等学校まで彼らは独自に学校をつくり、自分たちの子弟をそこで教育してきた。そして大学をつくることが、彼らの夢だった。北鮮の金日成政府も在日北鮮人のこの願いを重視し、その建築費を日本の朝遵あてに送ってきていた。大学ともなれば少なくとも数千坪の敷地が必要である。(中略)朝鮮の責任者たちは、北区に、練馬区にこの敷地を求めて奔走していた。

 しかし、うまくいっていた話も、ひとたび彼らが北鮮の人であることがわかった瞬間に、それは失敗におわるのであった。そこで彼らは韓国人をよそおって、土地集めにかかったが、それも公安庁の調達でもとの杢アミとなった。どのようにしても、数千坪の土地を獲得することはできないのだった。このような無駄な努力が約二年間つづけられ、その間、在日北鮮人からはつるし上げられるし、本国からは督促の命令が何度もくだり、朝連本部の人たちは苦境に立たされていた。

 けれども金日成政府が、その苦境をまったく知らなかったわけではない。彼らは、それを熟知していた。たまたま文部省の要人で東大の文学部を卒業したものがあり、彼はかつての友人である山口文象を思い出し、山口は建築家ではあるが、信頼できる男だから相談してはどうか、と朝連に知らせたのである。

 相談をもちかけられた山ロは、深く期するところがあり、熟慮の末彼が信頼するある人物に頼んで、名前だけの幽霊会社、トランジスターをつくると称する共和産業なるものを設立し、その人物が社長となった。この社長は、さらに信頼できる不動産業者を見つけ、この二人が土地の選定と買いしめをはじめた。トランジスターの工場となれば話は違う。都下小平町で、約六〇人ほどの地主がもっていた土地を、またたくまにまとめ、買上げることに成功した.(中略)設計が完成し、トランジスタ会社共和産業小平工場の入札が行なわれ、白石建設に落札、工事が着手されることになり、工事費約一億五千万円の半金七千方円が、工事契約と同時に白石建設に支払われることになったが、これがまた大変である。

 朝鮮の貨幣は、浅草の親和銀行で日本円にかえられるが、ここからすぐ支払われたら一べんに露見する。引出された七千万円はひそかにRIAの事務所に運ばれ、一時RIAの取引銀行におさめられ、そこから支払われた。すべてはこのように秘密裡に進められた。

 朝鮮総連の人びとも、このことは責任者の五名が知るだけであった。彼らは一人として、一度たりとも工事現場に姿を見せることはなかった。時たま、はるか離れた畠のなかから、彼らの夢の学園が建設されつつある有様を、望み見るだけであった。やがて工事は、ことなく終った。(後略)(ホームページ:建築家山口文象(+RIA)アーカイブス:制作・伊達美徳)

 この資料は、事実上文部省内部に北朝鮮協力者がいた可能性、そしてこの学校建築そのものが完全に違法だったことを明らかにしている。もちろんすでに時効であり、関係者もこの世のものではないが、東京都にはこの件に関する資料が残されているのならば何らかの情報公開を望みたい。(もちろん朝鮮総連および朝鮮大学校にはさらに詳細な「工作資料」が残存じているものと思われる) 

戦後の1950年代、トランジスタラジオは時代の花形だった。テレビ以前、人々はラジオから流れるニュースを聴いて時代を知り、音楽を聴くことが楽しみだったと思う。その工場をつくるといえば反対する人はいなかった。そして、ここでは文部省(当時)にも総連に協力した人がいたこともはっきり記されている。文部省内部にもその資料が残っているのなら今からでも公開してほしい。

(2)「ある在日朝鮮社会科学者の散策」(朴庸坤著 現代企画社)にはこのように記されている。
「朝鮮総連が結成された翌年、1956年4月10日、朝鮮大学校は北区十字の東京朝鮮中高の裏庭にある、崩れ落ちそうな建物の一部を借りて」スタートし「1957年4月、北朝鮮から教育援助費と奨学金が届き、大学の校舎建設にあてられた。」大学は1958年4月から4年制大学へと学生を改変し、新しい発展の道を歩み始めた。
 1959年6月、小平の玉川上水沿いの武蔵野の一角に新しい大学校舎が完工したという知らせが全国同胞コミュニティに届いた(中略)大学の小平校舎への移転は大学発展の重要な契機となった。」(引用終わり)

 そして、朝鮮大学教員だった朴はこの時期、妻である日本人女性と別れるように当時の朝鮮大学校教務部長から通告されている。朴は拒否したが、当時日本人や、また白系ロシア人と結婚していた朝鮮人教員は、朝鮮大学校学長をはじめ離婚し「民族的主体性」を守ることが一般的だった。朝大創設以後、学校の目標は法的認可に移った。

「総連が各種学校としての認可獲得を目指したのは、日本政府が朝鮮学校に対し正式な認可を与えない姿勢に固執しているので、私立学校法によって都道県知事の所轄慈幸とされている各種学校認可に的を絞ったのだ」(同書)これによって成功したのが美濃部都知事時代の朝鮮大学校認可。

「帰国運動で朝鮮総連は組織網を拡大し、学校数、信用組合数も拡大(中略)北朝鮮系の在日組織として地位を固めていた。しかし組織内部に目立たない変化が進んでいた。極秘裏に朝鮮労働党の在外前衛組織である「学習組」(朝鮮労働党政策学習会)が組織された。大衆団体である朝鮮総連を内からコントロールする非公然組織であった。総連は北の党統一戦線部の担当課を通じて支配され、人事権も運動方針の決定権、財政権までも失っていった。後に、この『学習組』は総連活動家の思想を点検し、批判と自己批判を行う場として利用された。(同書)

 このような中、1967年ごろから「金炳植事件」とされる暴力事件が多々朝鮮大学校を吹き荒れるが、本書著者ももちろんその被害にあっている。ただし、著者自身が最も後悔しているのは、1972年、金日成生誕60周年を記念し、朝鮮大学校学生を200人北朝鮮に送り込んだことだ。これは、朝鮮総連から直接、金炳職を通じて命令されたことだった。著者はこの時、厭がる学生やその両親を説得する立場だった。

この時のことを著者は NHKスペシャル『北朝鮮帰国船    〜知られざる半世紀の記録〜』(07年10月8日)にてこう語っている。これによって事実上、著者は総連を除名された。著者はなぜあのような発言をしたのかと批判を受け、北朝鮮や総連からもらったすべての賞状などを送り返し、同組織と決別する。この番組から朴の発言を引用する。

【元朝鮮大学副学長 パク・ヨンゴンさん】
 「『社会主義建設の先頭に立って君たちが自分たちの才能を十二分に発揮すればこれは君たち自身にとっても良いことであり、また朝鮮の建設にも役立つ』と。私はそれは本気でその通りだと思ってそういう説得をしました。」

(数年後に北朝鮮を訪問して)「自分が日本で書いたあの論文と自分の頭の中で描いたあの社会主義、これがほとんどなかったということ。言うなれば自分があれほど模範的な社会主義建設を想像したものとは遠く及ばない現実が目の当たりにあったので、大きな大きなそれこそ衝撃と落胆と言い知れぬ悲哀、こういう様々な心情に陥ったわけであります。」

「彼らの置かれている現状をかなりたくさん見ました。彼らは自分たちの希望通りの大学にも行けなかったし、仮に大学を卒業しても自分たちの希望する職場にも就けなかった。そういう状況に置かれていました。帰国した学生に対して本当にこれは消すことのできない罪を犯したなと、そういう思いで・・、悩み続けました・・。」

「ただ誤った体制であるということが明らかになった時点でも・・、必ずしも私は勇敢に立ち上がることができませんでした。だけども最後の人生を送るには反省と同時につまり正しく自分の一生をまとめたい、こう思っています・・。」(引用終わり)
 このような声を無視し続ける限り、朝鮮大学校も、そして、朝鮮学校の全ても存在意義はない(終 文責;三浦小太郎)
 






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