日本映画『キューポラのある街』(1962年公開)が帰国事業をその複線として描いていることはよく知られていますが、実際にこの映画、もしくはDVDなどをみた人は今となっては意外と少ないのではないかと思います。今、本作品はDVDで販売されていますので、もし興味のある方は是非一度ご覧になることをお薦めします。
映画のストーリーをこのような場で説明する事は味気ないものですし、未見の方に先入観を与えるのもなんですので余り詳しくは書きませんが、1962年公開の作品で、しかも当時の労働組合讃歌の色合いがかなり強いもので、その部分はまあ古くなったといっても仕方がないでしょう。しかし、まず目を見張るのは、当時としては当たり前だったのですが、日本がまだまだ戦後の痛手から立ち直れない『貧しいアジアの国』だった時代の街並みと、多少図式的とはいえ当時の日本人の人間関係の深さです。映画としての評価は別として「3丁目の夕日」が、これに較べればいかに作り物であるかがよく判ります。
ここで描かれる帰国事業は、勿論、当時の左派、帰国事業賛成の立場から、ここ日本では未来が見えない、差別され底辺で生きるしかない在日朝鮮人家族が、希望を求めて北朝鮮へ向うシーンとして描かれます。その家族の一人は、この映画の主人公で、貧しいながら懸命に働いて勉強と仕事を両立させようとしている女子高生ジュンの同級生として描かれています。そして、ジュンが現実の困難に押しつぶされそうになっているとき、旅立つ彼女の一通の手紙が、主人公を立ち直らせる所は中々感動的。
実はこの映画、私はある脱北者一家に見せたんです。「帰国事業を誉めているところはともかく、映画としてはとても感動的」といってくれたんですが、その後の感想が「まるで北朝鮮の映画みたい」といわれたのは(誉めたつもりなのだろうか・・・)ちょっと驚きました。余り詳しく聞きませんでしたが、まあ簡単に言えば、労働者をすごくたたえているところとか、仕事は助け合い組合がしっかりしていれば楽しいとか、資本家は悪いやつだとか、もう北朝鮮の政治図式そのものと思ったみたいです。『でも、お金持ちの子どももいい人として描かれている所は違うし、日本の映画のいいところですね』とは言ってくれましたけど、なんか複雑な心境になりました。
この映画自体は、私は吉永小百合の最高傑作だと思います。私はそれほど彼女の映画は見ていませんが、おそらくこれを越える作品はないと思う。今はもうありえなくなったある時代の日本の風景をきちんと捉えているところが、この映画の最大の価値だと思います。そして、ここで描かれた日本は、たとえ貧しくても、いさかいはあっても家族がきちんと成立し、近所づきあいがあり、人々が濃密な人間関係の中で支えあって生きていた時代。貧しい国というのはそうしなければ生きていけませんからね。在日朝鮮人や日本人妻が、多く60年代初頭に帰国事業で北朝鮮にわたり、北朝鮮という「凍土の収容所共和国」で数十年を耐えていた間、ひたすら懐かしんだのは、この時代の日本なのです。
彼らが北を脱出し、ここ日本にたどり着いても、もうこの時代の人間関係はありません。それは必ずしも悪い事ではなくて、私達は、お互いが干渉せず、家族や人間関係に縛られない自由な社会を目指し、作り上げてきたのです。しかし、それが同時に、どれほど人間を孤独にしているか、疎外感を味合わせているかを、肌身に感じている存在の一つが、この日本に住む脱北者たちです。彼らを『飢餓の国から日本に来て、最低限の支援をしているのだからそれだけで満足すべきだ』と見なさずに、どうか日本政府は暖かい視線で、彼らに就職支援や日本語学習、社会教育などの手を差し伸べていただきたいと思います(三浦)
謹賀新年 あけましておめでとうございます。
今年も北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の活動に対し、ご支援、また問題点へのご指摘など、どうかよろしくお願いいたします。
今年は丑年ですが、朝鮮半島には「ネギをうえた人」という民話がございます。その民話によれば、かって貧しい村があり、そこでは飢餓の余り人間同士が牛に見えて殺し合い、その肉を食べる事もあるほどの酷い状態になっていました。そして、余りの惨状に耐えかねた一人の若者が村を出て旅に出ますが、そこで、ネギなどの農耕をしているおかげで飢えから免れている人々とその村に出会います。
若者はそのままその豊かな村で暮らすことも出来ましたが、故郷を救う為、ネギの根などを持って戻り、人々にこの作物を植えて育てようと呼びかけますが、既に飢餓で正常な判断が出来ない村人達は、その若者を牛だと思って殺してしまいました。
しかし、若者の持ってきたネギは、彼が死んでも、その大地に根付きました。やがて人々はこの野菜がおいしく食べられるものである事を知り、作物を育て蓄えることを学んで、村は飢えから逃れる事が出来たのでした。村人達は若者のおかげでネギがもたらされたことには気づかず、若者の名前もその業績も名をとどめる事はありませんでしたが、村は豊かな生活を送る事ができるようになりました。
この民話自体は農耕文化の起こりや、それに基づく犠牲神のイメージを表しているのでしょうが、私は今の北朝鮮を思うときこの民話が大変印象的に思い出されます(記憶に辿って書いているのでかなり脚色されているかもしれません、興味のある方は岩波少年文庫「ネギを植えた人」をご覧あれ)。この若者に、北朝鮮から脱北したのち、単に自分の生活を守る事を考えるだけではなく、故郷の人々を救う為に言論活動や証言を続けている人々、また、危険を犯して内部映像や情報を入手してくる人々、また、決して名をとどめる事はなくても、脱北者を密かに救援している人々などの姿が、この民話と重なって見えてくるのです。
今年こそは独裁政権の民主化と、北朝鮮の人々の幸せが実現する事を祈って、新年のご挨拶に代えさせていただきます。
制裁決議、北朝鮮貿易に影響なし 米研究所が報告書
【ワシントン20日共同】ピーターソン国際経済研究所(ワシントン)は19日、2006年10月の北朝鮮核実験を受け、国連安全保障理事会が制裁決議を採択したが、主要貿易国の中国、韓国と北朝鮮の貿易関係に「目に見える影響は出ていない」とする報告書を発表した。
北朝鮮の貿易総額のうち、対中貿易が占める割合は3年前に50%を突破、韓国との貿易の約2倍に上っている。北朝鮮の「命綱」である中国が北朝鮮との大幅な貿易制限を控えているため、制裁の完全履行が妨げられているといえる。
国連加盟国は制裁決議に基づき、北朝鮮との大型通常兵器、ミサイルや大量破壊兵器関連物資、ぜいたく品の取引を禁じられている。しかし、同研究所のマーカス・ノーランド上級研究員は「核実験は外交上、破局的な結果をもたらすとみられていたが、大した懲罰は科されないという北朝鮮の読みが正しかったのかもしれない」と指摘。挑発行動を抑止するため、制裁を厳格に履行する必要があると述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008122001000325.html
この記事は私(三浦)は運動の反省も込めてきちんと受け止めなければならないと思います。正直『経済制裁』を日本画決行すればたちまち情況が開けると考えてしまった時期が運動の側になかったとはいえない。しかし、特に中国の基本的な貿易ラインが変わらない限り、制裁が即時かの金独裁体制に打撃を与え、崩壊に導く事ができるわけではない。
だからといって『制裁に意味はない』『制裁は解決につながらない』などという論理は全く間違っています。経済制裁は日本単独でもボデイブローのように効いている。これを弱めればかの体制を助ける事になる事は疑いを得ない。しかし、より重要なのは「制裁」だけでは、即時の効果が現れるかどうかは確証はない。
『制裁』+脱北者支援、北朝鮮への人権改善要求と人権査察、さらには、中国に対する明確な抗議「拉致犯罪国家であり全体主義体制である北朝鮮に対し支持をやめない以上、我が日本は中国に対し抗議し、経済支援・交流を制限せざるを得ない。また、難民条約に違反し、脱北者を保護しない中国は国連安保常任理事国の資格はない」という姿勢を日本が打ち出してこそ、初めてこの制裁は生きてくる。同時に、6者協議の場は既に核問題を巡る茶番劇に終始している以上、むしろ日本は「6者協議脱退」をちらつかせてこそ議論のイニシャチヴを握れる可能性もある(実際に脱退しなくてもいいのです、拉致問題、脱北者問題、人権問題が議論されないのならばこれ以上参加の意義はない、という姿勢を見せるだけでいい)。
経済制裁を意味あるものにする為には、日本は様々な形で中国に揺さぶりをかけるべきであることを、逆にこの記事は示しています。同時に「核実験は外交上、破局的な結果をもたらすとみられていたが、大した懲罰は科されないという北朝鮮の読みが正しかったのかもしれない」というのはある意味当然。中国、ロシア、アメリカはいずれも核保有国です。核拡散を防止する事は勿論必要ですが、それはあくまで外交交渉の問題であって、国民世論も、国内の野党も、また自国民が餓死しても全く痛痒を感じずに独裁権力を守るためだけの外交をすればいい金正日政権は、外交においては民主国家よりフリーハンドなのです。
日本政府は制裁を緩めては成りませんが、制裁以外のあらゆる手段、特に国際的に説得力を持ち得る人権問題を打ち出した、対北、そして対中国の圧力をかけていくことが必要です。
12月14日集会冒頭で、チェリスト江原さんによる感動的な演奏が聴けたカタロニア民謡「鳥の歌」ですが、その歌詞はクリスマス・ソングでもあるようです。勿論、民謡というのはいろいろな歌詞で歌われる事がありますので、これが唯一のものではないかもしれません。
鳥の歌
こよなく幸せな夜 至上の光が
輝き染めるようすをみて
鳥達は歌いながら祝いにつどう
甘やかな声たずさえて
鳥達は告げる 「イエス様がお生まれだ
われらを罪から救い給い
喜びを与え給うために」(濱田滋郎訳)
ご存知のように、今世紀最大のチェリストの一人であり、忘れられていたバッハの「無伴奏チェロ組曲」を発掘した功労者でもあるパプロ・カザルスは、共和国スペインを軍事クーデターと内戦の中で倒したフランコ政権に抗議して亡命します。
第2次世界大戦下、亡命中のカザルスはナチス軍将校に演奏を求められましたが「何故貴方はドイツでの演奏をお断りになるのですか?」と問われ、「スペインで演奏できないのと同じ理由です。」と答えています。さらに「ああ、貴方は誤解されています、ヒトラーは偉大な人物で芸術家を尊敬していますよ」というナチスからの誘いにも「それはあなた方の意見であって、私には私の意見があるのです」と明確に拒否しました。
カザルスは、第2次大戦の終結は、フランコ軍事独裁政権の打倒につながると信じていましたが、英米政府の姿勢はむしろフランコに好意的でした。これに抗議したカザルスは、戦後、チェロの公開演奏を限られた場以外では行わないという、およそ演奏家としては自らに最も厳しい行動を取りました。
そのカザルスが国連で演奏したとき、最後に取り上げたのがこの「鳥の歌」でした。「スペインの民謡の鳥の歌を弾きます。鳥は空を飛んでいきます、『平和、平和』と鳴きながら」という曲目紹介とその後の演奏は、今も語り継がれています。
『平和』というのが単に戦争のない情況を示すだけのものならば、当時のスペインは『平和』でしたし、フランコ政権下で経済復興が進んでいた面もありました。そして、かってのスペイン共和国は様々な矛盾を抱えており、その後果たして激動の時代を乗り切れたかどうかはわかりません。しかし、カザルスにとって、民主的に生まれた政権を暴力で倒す事は許されず、また内戦下での血生臭い殺し合い、そして共和国政府内で起きたスターリン主義者たちによる内ゲバと弾圧(これはジョージ・オーウエルの「カタロニア讃歌」他に詳しく描かれています)を体験した彼は、スペインに民主主義が復活し、言論の自由が守られ、何よりも独裁体制が倒れない限り、真の「平和」とは見なさなかったのです。
朝鮮半島は、今は休戦状態であり、戦争がおきているわけではありません。しかし、北朝鮮では、金正日全体主義体制のもと、言論の自由どころかちょっとした政府への不満を述べただけで強制収容所に送り込まれ、また誤った政策のために産業は崩壊、餓死の危機が続いており、拉致被害者はいまだ囚われの身です。そしてこの冬、零下20度にまで下がる雪と氷の中朝国境を、脱北者たちは生きる為に超えてゆき、そして中国では逮捕と強制送還に怯えて暮らしているのです。このような状態が「平和」ならば、それは『恥ずべき平和』というべきではないでしょうか。
今回は少し北朝鮮とは違うテーマでしたが、「鳥の歌」の素晴らしい演奏に触発されて書かせていただきました。
尚、個人的な趣味ですが、「鳥の歌」を含むチェロ曲集はたくさんのCDがありますが、私はこの演奏がお薦めです。
白鳥 夢のあとに/チェロ名曲集 ミッシャ・マイスキー(チェロ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=2577914
12月14日、会場に足をお運びいただいた方、また、同時中継でネットライブの放送を見てくださった方、まことにありがとうございました。
この集会を来年に向けつなげて行きたいと思っております。
この集会の模様は、ネットライブ下記ページにて見る事が出来ます。
是非一度クリックしてみてください
http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
また、アジア人権人道学会にも報告があります
http://d.hatena.ne.jp/asiajj/
そして、当日も申し上げましたが、批判も勿論結構です。参加された方は、何か感想などございましたら、ブログをお持ちの方は是非ご自分のブログなどでお書きになってみてください。
尚、今回の集会が出来たのは、まず第一に川島明治大学准教授のご尽力あってのものです。第2に、当日私たちの手に余る地道な準備や管理を行ってくださったボランテイア学生さんの力によるものです。このような試みを学内で行うのは想像以上に様々な困難や煩雑な事務手続き、当日のスタッフが必要であり、その殆どを引き受けてくださった川島先生並びに学生諸子にこの場を借りて感謝いたします。