美濃部 亮吉  金日成首相会見記(雑誌「世界」1972年2月号) 

└ 2016-04-10 10:44

金日成首相会見記(雑誌「世界」1972年2月号)

美濃部 亮吉

[編集部まえがき] 東京都知事美濃部亮吉氏は、さる十月二十五日から約三週間の日程で、朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国を訪問した。この旅行はさまざまな面で関心を呼び、大きな波紋を招いた。しかし、最も注目さるべきは、美濃部氏が東京都知事としてはじめて公的に朝鮮民主主義人民共和国を訪ね、金日成首相と二度にわたって会見したことであろう。とりわけて、その会見内容は、これからの日朝関係の展望においてきわめて重要な意味をもつものである。本誌は、朝鮮民主主義人民共和国および美濃部知事のご厚意を得て、その会見記録の全文を掲載することができた。
 なお、第一回の会見は、十月三十日、平壌市の中心部にある朝鮮民主主義人民共和国内閣庁舎で、昼食会をはさみながら約四時間半にわたって行われた。第二回は、翌三十一日昼、美濃部知事の宿舎、モランボン迎賓館に金日成首相が訪ねておこなわれ、この昼食会には、金第一副首相および美濃部知事に同行した小森武氏らが同席した。
 会見記録中の小見出しは、編集部の責任による。

一九七一年十月三十日
午前十時―午後一時十五分
於 平壌市 万寿堂議事堂

 金首相 日本の記者のみなさんは、はじめての訪問なので写真をたくさんとるようですね。
 美濃部 これからひきつづきもっと訪ねるようになるでしょう。
 金首相 それはよいことです。たばこをどうぞ。
 美濃部 わたしはたばこを吸わないもので……
 金首相 わたしはまず美濃部先生を団長とする一行のわが国訪問をありがたく思います。きょうこうしてあなたに会えたことをたいへんうれしく思います。
 わたしはあなたがたとは初対面ですが、在日本朝鮮人総聯合会の韓徳銖(ハン・ドクス)議長と金炳植(キム・ビョンシク)副議長を通じて、あなたがたが在日朝鮮公民の事業に多くの支援をよせておられることをよく知っています。わたしはあなたと初対面ですが、あなたがたがわれわれの親友である韓徳銖議長とは旧知であり、親友であるため、日本人民の使節であるあなたを単に東京都知事としてばかりでなく、親友として迎えます。たいへんうれしく思います。
 このたびのあなたがたのわが国訪問は、朝鮮人民と日本人民との親善をつよめる上で大きく寄与することと思います。
 話しあいに入る前に、まずわれわれの同志を紹介します。(同席の幹部を紹介したあと)
 健康の具合はいかがですか。
 美濃部 ありがとうございます。わたしたちは貴国に到着してからいろいろ配慮していただき、たいへん気持ちよく、健康にすごしております。いま東京は、空気もよごれており、水もにごっておりますが、みんな平壌(ピョンヤン)の清潔さと美しさに驚嘆しております。
 金首相 それはどうも。

訪朝の目的――美濃部知事

 美濃部 わたしはこのたび貴国を訪問することになりましたが、実は、五年前、わたしが東京都知事になったときから、できるだけ早く朝鮮民主主義人民共和国を訪問しようと考えていました。そうしてやっとこのたび貴国訪問が実現しました。今度わたしは三つの目的をもって訪ねて来ました。ひとつは、戦前に日本が朝鮮人民にたいしておかした数多くの過ちについて心からお詫びすることです。
 わたしは一千百万の東京都民と、そして一千百万都民と志を同じくする日本国民を代表して、朝鮮民主主義人民共和国を代表しておられるキム・イルソン首相に心からお詫びの気持を申上げるものです。これが、わたしのこのたびの訪問にあたっての第一の目的です。
 二つ目は、東京と平壌、日本と朝鮮民主主義人民共和国はきわめて近い距離にあります。このように近い両国であるにもかかわらず、いまのところ日本から平壌に来るのに二〜三日もかかる不自然で非合理的な状態にあります。それで一日も早く両国の関係を政治面で正常化し、文科、経済など各分野での交流を進めることが、アジアの平和を確立するための大きな問題の一つになると思います。そのため貴国と日本との関係を正常化するうえで何らかの寄与はできないものかというのが二つ目の目的です。
 三つ目に申上げたいことは、わたしは、一九二五年に大学を卒業して以来約四十余年間マルクス経済学を勉強してまいりました。それ故にわたしは社会主義者であり、社会主義の実現を理想とする人間です。したがってわたしは戦争には絶対反対です。
 もちろんわたしは、キム・イルソン元帥がなされたような活動はできませんでしたが、日本国内でわたしのなしうることはやりましたし、反戦運動をやったという理由で二年間も獄中につながれたこともあります。わたしは今でも戦争には絶対反対であり、帝国主義に反対する立場にたっています。このような立場にたっているわたしとして貴国ですすめられていつ社会主義建設の早いテンポに非常な尊敬の念をいだいてきました。それで、直接自分の目で社会主義建設の状況を見たくもあり、また直接自分のからだで感じとってみよう、このように考えてきました。いうまでもなく、貴国と日本は社会主義と資本主義という体制の異なる国であります。しかし、貴国ですすめられている社会主義建設が多くの点でわれわれにとってたいへん参考になるものと考えますし、その実際を見ることができることをうれしく思います。
 一昨日からいろいろなところを参観しています。工業農業展覧館、キム・イルソン総合大学を参観しましたし、昨夜は、歌と舞踊を見物しました。わたしは、お世辞でいうのではなく、キム・イルソン首相の指導されておられる社会主義建設にはまったく頭がさがるばかりで、感心しています。
 金首相 ありがとうございます。
 美濃部 わたしといっしょに来た小森君とも話したのですが、資本主義と社会主義の競争では、平壌の現状を見るだけで、その結論は明らかです。われわれは、資本主義の負けが明らかであると話し合いました。
 これから残っている数日間に、できるだけたくさん見てまわり、非常にこんな状況にある東京都の建設にわれわれが利用できるものは、できるだけ利用したいという考えをもっております。わたしたちはいろいろと配慮していただいていることについて心から感謝の意を表するものであります。
 金首相 わたしはまず、あなたが朝鮮人民にたいし好意をいだいており、朝鮮民主主義人民共和国にたいし友好的で親善的な態度をいろいろ示されたことに謝意を表します。韓徳銖議長の報告によれば、あなたは東京都知事に就任して以来、帰国事業やとくに朝鮮大学校の認可問題について、朝鮮人民のためになる良いことをいろいろして下さったということです。そういうわけでわたしはあなたの仕事を高く評価するものであり、また、朝鮮人民にたいし親善と友好にみちた熱い心情を抱いていることをありがたく思っています。
 このたび、あなたがわが国を訪問することによって、両国間の関係をいっそう密接にすることができ、また、直接美濃部先生にお会いできたことをうれしく思います。
 わたしは、あなたがたのわが国訪問の目的について十分理解しています。
 われわれは、あなたがたのわが国訪問の目的を支持します。さきほど美濃部先生が、戦前に日本人が行ったことについて朝鮮人民に詫びるといわれましたが、日本人民としてはわれわれに詫びることはありません。日本人民が朝鮮人民を侵略したのでもなく、朝鮮を侵略したのでもありません。それはあくまで日本帝国主義反動集団のしたことであって、日本人民がしたものだとは考えておりません。もちろん、宗主国であったため、そのようなすまないという気持をいだくかも知れませんが、朝鮮人民も、日本人民も、人民はすべて善良でよい人民であるため、朝鮮人民と日本人民の間には、謝罪すべきこともなく、敵味方になるはずもありません。あるとすれば、日本帝国主義者がおかした犯罪的な行為があるだけです。これは過去においてばかりではなく、これからもありうることと思えば、朝鮮人民は日本人民と、過去にそうであったように今後とも親善的な関係を維持しなければならないと思います。われわれはこの問題について、このように理解しています。
 私は日本帝国主義に反対して数十年間たたかいましたが、日本人民に反対してたたかったことはありません。われわれはつねに日本の共産主義者、社会主義者たちと手をたずさえてたたかいました。
 さきほど、美濃部先生がマルクス主義者、社会主義者として活動してこられたといわれましたが、これはよろこばしいことであり、同志であると認めます。
 われわれはいまでも、わが国の人民に過去について話す時、日本帝国主義と軍国主義にたいしては、反対しなければならないといいますが、日本人民とはどこまでも親善関係をたもたねばならないと教育しています。そういうわけなので、あなたがたがわが国の各地を参観される過程で、朝鮮人民が日本人民の使節であるあなたがたをいかに熱烈に歓迎しているかを身近に感ずることができると思います。
 美濃部 キム・イルソン首相のお話しを聞いて大変うれしく思います。なぜなら、キム・イルソン首相が話されたように、東京都民もそうですが、日本国民の大部分が戦争に絶対反対し、平和を支持する人びとであると確信しているからであります。
 ことしの四月、わたしが再選された選挙のさい、第一に民主主義をめざす憲法を守るべきであること、第二に平和を守るべきこと、第三に佐藤内閣の軍国主義政策に反対しなければならないこと、この三つを中心スローガンとしてたたかいました。その結果、有権者の六五%がわたしに賛成投票しました。これは東京都民がいかに戦争を憎み、平和を愛しているかを示すものだと思います。しかし、国家としての日本は、平和をめざし、戦争に絶対反対する国だとはいえません。今日の状態からして残念ながらそうとはいえません。みなさんの指摘されるように、軍国主義的傾向がさまざまな面にあらわれているのは否定しえない事実であります。
 しかし、同時に戦前の情勢とはかなりちがっていると思います。戦前とかなりちがっているというのは、二つの点で申しあげられます。
 まず、戦後数十年間、日本国民の間に民主主義が広がり、民主主義を望み民主主義はいいものだと考える気持がつよまっていることです。それは、さきほども申しあげたように、戦争を憎む気持が日本国民の間に多いことをも意味しています。
 つぎに、日本社会党と日本共産党の支持をうけているいわゆる革新勢力が強くなり、革新的な地方自治体が県、市、村でたくさん生れていることです。これらの勢力は戦争に反対しています。これらが団結すれば、平和を維持するのに大きな力になると思います。このような情勢は、戦前にはなかったことです。いまは戦争勢力も存在しますが、戦争に反対し、平和を望む勢力も力をつけ強くなったことが、こんにちの実状であると思います。
 わたしは、革新的な自治体のなかでももっとも大きな存在である東京都の政治と行政を担当しているわけですが、日本の平和勢力と戦争反対勢力を拡大発展させる上で、東京都が重要な位置としめていると考えています。その意味でわたし自身は大きな責任を感じています。そして、わたしは、なんとしてでも、日本が戦争の方向に進まないようにしなければならないと考えています。
 このたび貴国と中国とを訪問するようになったのも、この二つの国が社会主義国であり、平和を愛している国であるため、これらの国の実態を東京都民と日本国民とに正確に伝えることが、日本国内の平和勢力を強くするのに寄与することになるものと考えたからであります。これも私の目的の一つにはいっているのです。
 金首相 まったくその通りです。われわれは、今日の日本人民が過去の日本人民でないことをよく知っています。したがって、日本人民が少数の反動分子、支配層の戦争策動と軍国主義的な戦争政策にたいしブレーキの役割を十分はたしうるし、またそれを破壊しうる力量に成長していることもよく知っています。
 われわれは、一貫して、日本人民が平和、独立、自主、中立をかかげてたたかっているのを支持声援しています。この点で、美濃部先生の所感はわれわれと完全に一致していると思います。
 われわれは常に、民主主義、中立、自主の道をめざす日本人民の闘争に大きな意義をみとめており、アジアで日本軍国主義が復活し再び侵略勢力として登場できないよう、これに反対してたたかうことが非常に重要なことだと考えており、それがアジアの平和に大きく寄与するものと考えています。とくに、日本の東京都民があなたのような、いわば、自主と独立を主張し、また帝国主義に反対する、そういう進歩的人士を東京都知事に推戴し、六五%以上の賛成投票をしたということですが、これは、東京都民がいかに平和愛好的であるかをよく物語っています。われわれはこの事実に感嘆しています。これはよいことだと思うし、こんごさらに団結して闘争をうまくおこなえば、日本軍国主義の侵略的行動を阻止することができると思います。あなたに賛成投票したのが六五%だということですが、実際にはもっと多いかも知れません。内心では賛成しながら棄権した人もいるだろうし、また圧力によって別の方向についていった人もありえます。このような人びとをみなあわせるならば、もっと多くなるだろうと思います。
 美濃部 いくらそうだとしても、キム・イルソン首相がうけておられる程の支持をうけることができません(笑)。
 金首相 とんでもありません。
 わが国は、社会主義国です。わが国の人民は、八・一五解放後二十年の間、民主主義的で社会主義的な教育を受けており、社会主義制度を熱烈に擁護しているので日本のように複雑な状況にはおかれていません。しかし反対するひとが全くいないとは思いません。世の中にそういう例はありません(笑)。
 美濃部 わたしには、反対者が全くいないように思われます。いくらか反対者はいるのですか?
 金首相 それはわかりません。
 この二十年の間に新しい世代が育ちましたが、この新しい世代は社会主義教育をうけているので、みなわが社会主義制度を熱烈に擁護しています。
 わが国にはいまだに統一戦線体が存在しています。民主党もあり、青友党もあり、他の党もあります。かれらとの統一戦線はうまくいっています。われわれは社会主義制度をうちたてましたが、この社会主義制度に反対する人びとは極めて少数です。
 帝国主義に反対する立場はみな徹底しています。帝国主義に反対しない人は一人もいないと思います。というのは、かつて朝鮮人民は被圧迫民族であったからです。このような点からみて、帝国主義に反対することでは共通しています、現在、社会主義建設においても、一致団結してすすんでいます。

社会主義建設の現状

美濃部 わたしは、自分の国である日本の東京にいる時は、わたしひとりを護衛するため朝から夜おそくまで何人ものガードがついています。そのため、わたしには自由に行動するゆとりがありません。
金首相 わが朝鮮民主主義人民共和国では、思想教育をまんべんなくりっぱにおこなっているので人民はみな団結しており、よくないことをするひとはごくわずかです。もちろん、いまのところ、わが人民の生活が裕福だとはいえません。しかし、わが人民は、食べるに困らず、衣服にこと欠かず、住む家があり、また学ぶ自由があり、治療をうける自由があります。いいかえれば職のないひとはひとりもおらず、衣食にこと欠くひともいません。そのため、お金にたいする関心があまりありません。食糧は無条件で与えるようになっています。もちろん、主食のほかに副主食をより多くとるかとらないかは、そのひとの生活にもよりますが、食糧は保障されています。着る物も保障されています。着る物に上等なものとそうでないものとの差異があるいはあるかも知れませんが、裸ですごしているひとはひとりもいません。また飢えているひともいません。働く条件がすべて保障されているので不安を抱くひとはいません。
またわが人民は夜は、戸締りしないで寝るのが普通であり、鍵をかけて寝るひとはいません。商店にもちょっと掛金をかけるだけで守衛はいません。わが国には泥棒はいません。
もちろん、いまのところ、わが国の商品の質は高くありません。それに供給も十分とはいえません。しかし将来豊かにくらせるということを十分に認識しているので他人をうらやんだりしません。
子どもたちも、父母のいない子はみな国で育てます。これらの子どもをみな中学校、技術学校まで通わせ、職場を斡旋してやります。
あなたがたが街にでてみればわかるでしょうが、靴みがきをする子どもはひとりもいません。たばこを売り歩く子どももいません。乞食はひとりもいません、なぜなら、そうする必要がないからです。われわれは、労働力が足りなくて心配です。ですからどうしてそうする必要がありましょう。他人のものを盗んでくるよりも、一時間だけ働けば生活が保障されます。わが国では働かなくても毎日米を四〇〇グラムずつ無条件であたえます。四〇〇グラムあれば生活が満足だとはいえませんが、暮らしてはいけます。
われわれは、農民から高く買い入れ、都市と工場の労働者階級に安い値段で供給します。農民から六五銭で買い入れ、労働者、事務員に八銭で供給します。食べる心配がないので悪いことをする必要がありません。
物価政策面でも、子どもと青年向けのものは安く売り、ぜいたく品は高く売る価格政策をとっているので子ども用の商品がでるとみんな買っていきます。そのため商店の品物が売り切れがちです。平均して、成人用の衣服より子ども用の衣服の方がずっと値段は安いです。五〇%も安いのです。こういう条件のもとでは不良な子どもがでるはずがありません。もっとも重要なことは、われわれが青年教育に力を入れていることです。父母が職場にでてはたらくため、夕方には先生が学校で子どもたちを組織的に教育し、復習もさせ家まで送ります。このような条件のもとでは不良な子どもがでるはずがありません。
さらに医者の区域担当制と人民班担当制が実施されているために、ここでも不平不満がでる余地はありません。
あなたはさきほど護衛する人のために自由に活動できないといわれましたが、きのう南朝鮮からきた同志のはなしによれば、南朝鮮の朴正煕が道を通るときにはサイレンをならし、三〜四時間も人民の通行を禁止するので人民の不満がつのっているとのことです。
われわれには、そういうことはありません。
わたしは歩きます。わたしは建設場へも歩いて行き、商店へも歩いていきます。しかしこれまでテロにあったことはありません。学校へも急にでかけたり、工場へもでかけます。しかしわたしを射つ者はいません。これまでわたしは事故らしいものにあったことはありません。それに人民は、わたしを射つ必要もありません。なんのためにわたしを射ちますか。わたしは人民のために服務しているので人民を恐れません。あなたもそうです。あなたが人民を恐れるのではなく、反動分子があなたを恐れるのです。
ここには反動分子がほとんどいません。わが国で反動分子がいなくなったのは、かれらをみな監獄に入れたからではありません。反動分子は戦争の時にその一部が南朝鮮へ逃げました。南朝鮮に反動分子がよりあつまってわれわれに反対しています。
ここにいた商工業者は、アメリカ帝国主義の爆撃によってみんな破産し、失業者になりました。われわれが共産主義、社会主義の政策をとって破産させたのではなく、アメリカ人どもがことごとく破産させました。そこで停戦後、かえって国が商工業者を助けてかれらの生きる道を開いてやり、協同組合を組織するようにしました。技術のある人は技術を提供し、知識のある人は知識をだして協同組合をつくるようにし、国ではかれらに長期貸付をおこなうことによって、かれらの生きる道を切り開いてやりました。そのためにかれらはわれわれに反対しません。
宗教者の礼拝堂もわれわれがこわしたのではなく、アメリカ人どもの爆撃のためすべて破壊されました。
宗教者たちは、はじめはアメリカのために祈りましたが、礼拝堂などを爆撃されてからは、アメリカに反対するようになりました。そのためかれらは「神」やアメリカために祈ることは全然しなくなったのですが、ではだれのために祈ったのでしょうか、朝鮮民主主義人民共和国が発展することを願って祈りました。
例をひとつあげましょう。ある宗教者の夫人が語った話を紹介します。夫は宗教家ですが、わが国の制度に反対しました。後退期に、アメリカ帝国主義が北朝鮮に残っていると原子爆弾をおとすというので、この脅かしとぎまん宣伝にのせられて彼は南に逃げました。
彼には、子どもがたくさんいたので暮らしもらくではありませんでした。それでおそらく毎日のように子どもを幸わせにしてほしいと「神」に祈りをささげたようです。
夫は逃亡しましたが、共和国ではその夫人の子どもたちに勉強をさせ大学にも行かせました。子どもたちはみな大きくなり成長しました。そこで夫人が子どもたちにむかってなんといったでしょうか。おまえたちの父親は「神」を信じ、アメリカを崇拝して南朝鮮へ逃げたけれども服一着くれたわけでもなく、おまえたちに勉強させることもできなかった、しかし、現在おまえたちは朝鮮民主主義人民共和国の社会主義制度のもとで中学校を終え、技術学校を卒業し、大学も出た。それだから永遠に朝鮮民主主義人民共和国を支持し、りっぱに生きなければならない、このようにのべました。この夫人もキリスト教を全く信じなくなりました。このようにわが国では、宗教者がいなくなりました。老人の間には、部分的に信者がいます。
この問題についてもうひとつの実例をあげましょう。ここから遠くないところに大同郡というところがあります。わたしは停戦後、復興建設のため一度そこをおとずれたことがあります。ところがそこには牧師が一人いました。いまの彼は熱誠者ですが、戦争前にはわが国の制度に反対しました。土地改革法令にも反対し、その他の民主改革にも反対し、そのうえアメリカのためにたえず祈っていました。戦争がおこって、一部地域から後退するさい、かれの家にアメリカ人がきました。かれは真っさきに信者をひきつれて旗をかかげ、アメリカ人どもを歓迎しにでかけました。かれはアメリカ人を「神」のように信じていたのですが、アメリカ兵は、はいり込むや否やジープの上からカービン銃でにわとりを打ち、婦女子を見ると、「ガール」、「ガール」と叫びながら追いまわし、ついには牧師の娘を凌辱しようとつかみかかりました、そのためかれは、アメリカを崇拝する思想をすっかりすてさりました。かれは、わが人民軍が反撃に転じた時、自分が以前にわが国の制度に反対していたことを告白し、これからはわれわれを支持するといいました。したがって宗教もわれわれがほろぼしたのではなく、アメリカ人どもがすっかり破壊したのです。そのためにわが国には礼拝堂がないのです。
イタリアやフランスからわが国を訪れる民主的な人たちが教会を見たいといいますが、わが国には教会がありません。
美濃部 儒教、仏教のお寺などもありませんか。
金首相 寺はあります。
美濃部 しかし、あまり見かけませんね。
金首相 儒教寺院は平壌市内にはなく、遠い農村に行けばすこしあります。農村には昔のままの家があります。ところがいまの人たちは儒教を信じません。過去、儒教を信じていた人たちもみな年をとりました。若い人たちはみな現代教育をうけているので、儒教には関心がありません。
もちろん、わが国は戦争によってひどく破壊されましたが、アメリカ帝国主義が犯したこのような罪悪のために社会主義建設はいっそうやりやすくなりました。
農村の協同化も、わが国では容易に行われました。あなたはマルクス・レーニン主義を研究したのでよくご承知でしょうが、ロシアでは協同化を実現するにあたって大きな難関にぶつかり、激しい闘争がくりひろげられました。このことは作家ショーロホフの『開かれた処女地』という小説によってもはっきりと知ることができます。この小説の内容をみると非常に複雑です。
われわれは、ロシアの複雑な闘争経験を参考にしました。ところでわが国には容易に行える条件が一つありました。それは、戦争によって農村が破壊されたことです。アメリカ帝国主義が農村にまで無差別爆撃を加えたために、富農がみな破産しました。したがって富農たちの敵はアメリカであって、われわれではなかったのです。そこで私たちは停戦直後、すぐに協同化の問題を提起しました。
わたしは一九五五年に四月に発表したテーゼで協同化の問題を提起しました。当時なぜ、わたしがその問題を提起したかといえば、農村がまったく破壊されたからです。
レーニンも、機械化がなされていなくとも協同化をおこなえば大きな力になるとのべたことがあります。われわれは、この点を考慮に入れ、富農が復活したあとで協同化を行なうよりも、みんなのくらしが苦しい時に協同化を行なう方がよいと考えました。当時、富農といってもなにももっていませんでした。もっているものといえば土地だけで、生産道具はありませんでした。われわれが一九五五年四月テーゼで協同化問題をうちだしたときある国ではわれわれに工業化も行わずに、どうして協同化ができるのかとひぼうしました。工業化水準の高いヨーロッパ諸国でさえ協同化を実現できないでいるのに、なんにもない朝鮮がどうして協同化を行なえるかといいました。
しかしわれわれは、かれらのことばに耳をかさず、教条主義をおかすわけにはいかないといいました。なぜならば、わが国農村の実情は、力を合わせてやる方がいっそう有利だからでした。一部の富裕な中農のなかには破産せずに残っているのもありました。しかしわれわれは、かれらを強制的に協同組合に入れたりはしませんでした。われわれはどこまでも競争の方法で進めました。われわれは、貧しい人びとから先に協同組合を組織するようにしました。当時は牛も、農機械もない条件のもとで力を合わせなければなりませんでした。青年たちそろって軍隊に入っていたので、農村には婦女子と老人しか残っていませんでした。
そのため力を合わせなければならなかったのです。国家では協同組合を組織する人たちを優先的に支援しました。銀行でも、かれらに長期貸付をおこない、個人農には短期貸付しか与えませんでした。
さらに税金政策面でも、協同組合からは少なくとり、個人農からは多くをとりました。こうするのには、合理的な理由があります。協同組合の人たちは生活が苦しいので税金を少なくし、ゆたかな富農には生活が楽なので税金を多く納めよというものでした。
国家ではトラクター賃耕所を組織して、協同組合に生産道具を供給し、個人農は牛で耕すようにしました。こうした結果、貧しい生活をしていた人びとで組織された集団の生活水準がいちはやく向上しました。このように協同組合は、個人中農よりもすぐれており、生活条件もかれらよりよくなりました。
美濃部 農産物は現物で分配をうけ、組合員たちが個別的に売るのですか。
金首相 分配をうけて売ります。農民たちは現物の分配をうけるほか、現金の分配もうけます。いいかえるならば、米も与え、その他の収入として現金を分けあたえるのです。例をあげれば、ある家で米四トンをうけとったとすれば、その中から自家消費分として一トン半か、二トンだけを残し、あとは国に売ります。各郡には収買所があり、里には収買商店があります。里収買商店では工業製品もあります。農民たちは、その商店に米を売り、工業製品を買います。これは強制的におこなうのではありません。買いつけは自由です。一部の都市には農民市場もあります。郡にも農民市場があります。大きな都市にはありません。郡には収買所があり、里には収買商店がありますが、価格は同じです。
農民にとって米が不足していれば闇市場が生まれますが、米が豊富なので闇市場がありません。国家市場ですべて買えるのに、どうして裏で高く買うでしょうか、裏で買う理由はありません。
われわれの商業政策は、工業製品の価格を都市、農村を問わず同じくすることです。同一の価格です。マッチ、たばこも価格が同じです。しかし、協同農場で農民か手工業的につくった一部の品物は、かれら同士で価格を定めます。
美濃部 工業においても私企業というものは全くないのですか。
金首相 私企業というより、協同経営があります。個人経営はありません。なぜかというと、先程ものべたように、個人企業がすべて破壊されたからです。都市という都市はすべて破壊されました。平壌もすっかり破壊され、三〜四軒の家しか残っていませんでした。商店も工場もすべて破壊されました。そのためにわが国の社会主義建設を比較的順調にすすめることができたのですが、このことが他の国と異なる特徴的な点です。
社会主義建設で商工業者たちがわれわれの恩恵をうけこそすれ、被害をうけたことはありません。したがってわれわれに反対する派はありません。商店、工場などが残っていたならば、われわれに反対する人びとが多かったでしょうが、そういうものがなかったので反対する人たちもいません。
協同経営をおこなう工場も国家の恩恵をうけています、日本から帰国した人たちの中にときたま個人資本をもってくる人もいます。その人たちも個人企業をしにくるのではありません。かれらは、自分たちがもってきた財産を国に売り渡し、その金を銀行に貯金しておき、利子だけでも一生暮らすことができます、一部のものは朝鮮総聯に寄付してくる人もいます。個人企業といえば、ただこういうものがあるだけで、新しく生れるものはありません。
われわれは、日本で企業管理をしていた人たちを企業所の支配人、あるいは副支配人に登用します。かれらは、みな適材適所ではたらいています。わが国では社会主義制度がこのような形で発展してきました。いうなれば農業の協同化も、都市における協同化も、他の国よりも順調にすすめられました。それは、われわれがかれらの利害をおかさなかったからです。そのため、かれらはわが国の制度と国家にたいして不満を抱いていません。

青少年に対する教育――三つの方向

美濃部 朝鮮と日本、あるいは社会主義と資本主義の間で一番大きな違いがどういう問題であるのかということですが、日本やアメリカなどでもそうですが、資本主義国では政治にたいする不信感が非常に強いものになっています。そのために結局は、アヘンを吸い、麻薬をうつという現象などが生じています。
ところが、いまキム・イルソン首相が言われたように、社会主義国、とくに貴国では首相を中心とした社会関係が確立されており、国民の政治への信頼がきわめて厚い。これが社会主義と資本主義間の差異、とくに貴国と日本との根本的差異ではないだろうかと思います。
ソ連も革命以後、反革命勢力が強くなり、レーニンは「一歩前進、二歩退却」とする戦術を使わざるをえなくなりました。しかし朝鮮民主主義人民局和国では社会主義建設が非常に円滑にすすめられています。これは実に驚くべきことであると思いますが、いま金日成首相のお話しをうかがってみると納得がゆきます。
わたしたちが特に感ずるのは、貴国の青少年たちが金日成首相と一体となり、朝鮮民主主義人民共和国の建設に全力をつくしていることです。日本やアメリカの青少年たちは、政治的関心が次第にうすくなっているか、全く無関心であり、はなはだしくは虚無的におちいる傾向があります。こうした傾向は資本主義が退廃していくのと関連しているものと考えます。ほんとうに憂慮せざるをえない傾向だと思います。このような点で、社会主義国、とくに朝鮮民主主義人民共和国をうらやましく思います。
金首相 ありがとうございます。わが国でおこなっている青少年たちにたいする社会主義教育問題について少しのべたいと思います。
青年が腐敗するのは必ずしも資本主義のもとだけではなく一部の社会主義諸国でもそうした現象がおきています。われわれは多くの国の共産党幹部に接触もし、話もするのですが、或る国の共産党幹部たちは、豊かになれば自然にそうなるのだといいます。
さいきん、ある共産党の代表が、このような話をしながら、わたしにたずねました。わたしは、そのような考えは正しくないといいました。いま社会主義諸国で青少年が堕落するのは、資本主義から社会主義へ移行する過渡期において文化、思想活動をりっぱに行わなかったために生じたものだとのべました。
ことしある国の代表団がわが国を訪問しましたが、われわれと教育の問題でいろいろと意見を交わして帰りました、この問題は、非常に重要です。なぜなら、世界に社会主義が建設される前に、世界革命をなしとげる前に、中途で社会主義国の青年が腐敗するのは非常に危険だと思われるからです。青少年にたいする教育をよくおこなわないで、これに注意を払わないと、青少年は腐敗してしまうと思います。
われわれは、物質生活の一面だけを強調するからといって社会主義建設がりっぱに行われるとは思いません。われわれが朝鮮労働党第五回大会でもいったことですが、資本主義から社会主義・共産主義に行く途中で二つの要塞をともに占領しなければなりません。つまり思想的要塞と物質的要塞を占領しなければならないとのべました。そのうちのひとつだけを占領したのでは駄目だといいました。このことについてはこれまでもいろいろのべてきました。
ある国の人びとは物質的生活さえよければすべてがうまく行くと考えています。マルクスやエンゲルスが示した共産主義の原理によれば、共産主義社会とは、自分の能力の限り働き、自分の要求するものがすべて与えられる、そのような社会だといいました。もちろん、人民が豊かな生活ができるように物質的基礎をきずくための建設をしなければなりません。そうしてはじめて人民が自己の要求をみたすことができます。しかし同時に思想的要塞を占領しないと物質的要塞を占領することはできません。
社会主義国で大学生がデモをしたり、労働者階級がストライキをしたりすることがありますが、これは思想活動をよくおこなわなかったところから生じたものだと思います。もちろん、これは社会主義国の恥です。
物質的要塞とともに思想的要塞をも占領するためには教育全般を強くおしすすめなければなりません。さきほどのべましたように、わが国では青少年教育についてだいたい三つの方向をあたえています。ひとつは、過去の苦しい生活を忘れてはならないということです。過去、地主や資本家に圧迫をうけていたこと、また帝国主義侵略をうけたことを忘れてはいけないと教育しています。
今の青年たちはわらじがどんなものであるかを知りません。
美濃部 日本もそうです。
金首相 以前、私は軍隊にいって試験をしてみたのですが、小隊長たちが小作料が何であるかも知りません。これは祖国解放戦争後のことです。
新しい世代は小作料も知らず、わらじも知らず、わらぶき家も知りません。
これはなにを意味するでしょうか、過去の貧しかった生活を知らないことを意味します。そして過去に抑圧され、侵略されたことも知らないのです。いまわが国では「血の海」を公演しています。これはあなたがたに反対するものではありません。これを通してわれわれは日本帝国主義者が朝鮮人民を虐殺した蛮行について教育するのです。これは日本人民に反対するためのものではなく過去を忘れないようにするためのものです。
二つ目には、社会主義制度の優越性をもって教育することです。社会主義制度の優越性と社会主義愛国主義思想で教育します。これに共産主義道徳教育をあわせておこないます。利己主義、個人主義、個人享楽主義、機関本位主義、地方主義、分派主義、資本主義社会と封建社会のあらゆる余毒を取除くためあらゆる社会主義的愛国主義教育をおこないます。
三つ目には、南朝鮮を忘れないように教育します。以上にのべたことが、われわれの教育方針です。これとともに共産主義未来にたいする確信と信念で教育するようにしています。
われわれは、すべての活動に必ず思想教育を結びつけます。この前、日本の記者とも話したのですが、われわれは全民教育を実施しております。われわれは、国の手で十七歳まで、九年制義務教育を実施するだけではなく、高等教育をうけていようが、いまいが関係なく、全党が学習し、全人民が学習し、全国家が学習し、全軍が学習する制度をうちたてました。
美濃部 いわれる通り、過去を忘れないようにするということは大切なことです。日本でも、広島長崎に落ちた原子爆弾がどういうものであり、東京を焼夷弾で焼けばどうなるか、したがって再び戦争が起きてはならず、平和を破たんさせてはいけないといったことで青少年を教育しなければならないのですが、現在日本の文部省が実施している教育政策をみてみるならば、キム・イルソン首相のいわれたこととは全く逆に、過去のことは早く忘れてしまえ式に教育しています。学校の教科書をみても現に爆弾についての資料を次第に削除していますし、戦争に関する資料もできるだけ簡単にしなければならないといっています。こうした現状についてわたしは、非常に不安でなりません。というのは、これは日本を軍国化することと結びつきはしないかと思われるからです。
金首相 その通りです。

日朝友好と「日韓協定」

美濃部 キム・イルソン首相が導いておられるこのようにすばらしい国が日本のすぐ隣にあるという事実を日本国民と東京都民に知らせることは、日本を平和の道に進ませるもっとも大きな要因になると思います。こうした面からみて、できるだけ日本と朝鮮民主主義人民共和国間に国交関係が正常化できることを願い、もしそれがいますぐというわけにはいかないとしても経済、文化、体育などの分野において交流しあっていく事業はどうしても実現したいと思います。わたしは帰りましたら政府と話をしてこのことの実現につとめたいと思います。
こんどの訪問に際しても、努力すればある程度のことが実現できるということが改めてわかりました。このたびわたしが朝鮮民主主義人民共和国に来るときも、新聞記者の皆さんが是非一緒に行きたいと希望を提出したのですが、その際、日本の記者が貴国を訪問する以上、朝鮮の記者のみなさんも日本に行けるようにしなければならないとのべ、そのことを外務大臣に強く申し入れて説得しました。もちろん外務大臣が充分に答えたとは申せませんが、かなり考え方に影響を与えたと思っています。わたしはこんど帰りましたら、貴国と日本との交流を促進するためにできる限りの努力を払おうと思っております。
金首相 ありがとうございます。日本と朝鮮との国交樹立問題はわれわれにも興味ある問題だと思います。しかしこれには重大な難関がひとつあります。佐藤内閣のときだと思いますが、日本と南朝鮮の間に「日韓協定」が締結されたことです。その協定の第三条には朝鮮半島での唯一の「政府」は「大韓民国」であると指摘されています。これは佐藤内閣の侵略性を示すものであり、朝鮮にたいする内政干渉と見なすことができます。朝鮮が分裂している条件のもとでどうして「大韓民国」だけが唯一の「政府」となりうるでしょうか。もちろん「それ」にはこれが国連の決定によるものだとしていますが、国連というものはアメリカ帝国主義の指図のもとにうごく機構であります。
ですから国交を樹立するための運動とともに「日韓協定」を破棄する問題がともなわなければならないと思います。だからこそ南朝鮮の大学生や進歩的な人民が「日韓協定」に反対してたたかいました。わが朝鮮民主主義人民共和国政府声明でも「日韓協定」を認めず、無効であることを言明しました。もちろんそれが軍事同盟の性格を帯びるものではありません。しかし朝鮮半島での唯一の政権を「大韓民国」であると認めたことは内政干渉であり、「大韓民国政府」の「勝共統一」、つまり「北進統一」を手だすけすることになります。だから、それは、ひそかに侵略性を含んでいると考えられます。朝鮮半島における唯一の政府が「大韓民国」であるというのですから、朝鮮民主主義人民共和国を消滅させなければならないということにつながるのです。したがって、日本の反動内閣が三十八度線を鴨緑江の外におし上げなければならないといっているのは偶然ではないと思います。
わたしがあなたと日本の親友のみなさんにのべたいことは、「日韓協定」を破棄し無効にすべきだということです。なぜなら、それがわが国にたいする内政干渉であり、「大韓民国」の侵略性を助長し、わが国の分裂を永久化しようとするものだからです。もちろん信念にもとづいて一部の人は南朝鮮と取引きをし、また一部の人は朝鮮民主主義人民共和国と取引することができると考えています。進歩的な人士はわが国を訪ね、反動的な人びとは南朝鮮に行くでしょう。そうすることは信念上の問題から当然なことだといえます。
しかしわれわれは「日韓協定」第三条を朝鮮にたいする内政干渉だとみなすからこそ、朝鮮民主主義人民共和国と国交を樹立するためには「日韓協定」を破棄しなければならないと思います。
「日韓協定」を破棄しなければ、一八九四年に南朝鮮で農民運動が起きたとき、日本帝国主義者が「治安」を維持するという口実で、南朝鮮農民の運動を鎮圧するために入ってきたような条件をつくってやるのと同じことになります。
わたしは、日本の記者と話をしたときには、この問題にこれほどまでに深くたちいりませんでした。しかしあなたが進歩的であり、社会主義にもとづき、社会主義を志向する親友のひとりであるので、またこのような事実を日本人民と日本の親友に知らせる必要があると思い、お話するわけです。
朝鮮を承認する問題はまだ時期尚早です。
二つの朝鮮をつくってはなりません。われわれはこれに反対します。いま国交樹立のための運動を展開することも必要ではあります。われわれは日本でおこっているこうした闘争を支持し歓迎します。と同時に「日韓協定」で「大韓民国」を唯一の「政府」としたことを破棄するようにしなければなりません。
往来問題についていうならば、われわれは全面的に歓迎します。以前に帰国同胞を乗せた第一船がついたとき、一本の記者が大勢やってきました。そのときわれわれがまず譲歩して入国させました。その後日本政府はわが国の記者が日本に入ることに反対しました。はなはだしくはわが国の赤十字代表が日本の東京に行くことまで拒んでいます。新潟港の帰国船のまわりでだけ動けるようにし、他所には行けないようにしています。もちろん、だからといってわれわれは、日本の反動内閣がとっているのと同じような行動をするわけにはいきません。しかしながら、あなたもいわれたように、いつまでも一方的であってはなりません。それは、わが国の体面にかかわる問題です。日本の記者や人士は、わが国を自由に訪れ、われわれの方からはひとりも行けない、このような不平等な条件に甘んずるわけにはいきません。
それに、日本政府がとっている態度でいまひとつ正しくないことは、日本にいる居留民団の人たちには南朝鮮に往き来できるようにしながら、総聯の幹部は朝鮮に往き来できないようにしていることです。これは国際法上からしても正しくありません。日本にいる朝鮮民主主義人民共和国公民には、どうして自分の祖国に往来する権利がないというのですか。日本にいる韓徳銖議長は、日本で朝鮮民主主義人民共和国を代弁しており、積極的に支持するわれわれの同志であるのに、かれにまったく会わせようとしません。ですから、このように不平等で一面的な外交がどうしてできましょう。わたしは「朝日新聞」編集局長、「共同通信」記者と話したときには、ここまで深くはふれませんでした。問題を正しくとらえるならば、当然かれらに祖国に往来できる権利があたえられなければなりません。
日本の記者にもいいましたが、日本人がわれわれを恐れる理由はありません。共産主義の文献とマルクス主義の書籍は、日本で自由に出版されています。わが国から何人かが行って宣伝したところで、どれほど宣伝ができるというのでしょう。それに、ほかの国の共産主義者の入国は認めながら、どうして朝鮮の共産主義者の入国だけを禁止するのか、これは日本の反動政府が南朝鮮反動どもと結託してわれわれをまったく無視しようとするものであり、「勝共統一」のための共謀、さもなければ助長であるといえます。
日本は南朝鮮にたいしては「大韓民国」とよびながら、朝鮮民主主義人民共和国にたいしては、朝鮮民主主義人民共和国という呼称をつけずに北朝鮮としています。
日本がこのようにいろいろと差別待遇をする目的は、南朝鮮かいらいと結託して「日韓協定」第三条を朝鮮人民にむりやりにおしつけようとすることにあります。
最近、少しはよくなってきたようですが、これはあなたがたや日本の進歩的政党、社会団体と人民の闘争によるものだと思います。あなたがたは全権代表ではありませんが、東京都知事という地方全権代表としてこのたびわが国を訪問するようになったことは、朝鮮人民と日本人民との関係をいちだんと発展させるのに大きく寄与するでしょう。
われわれは、記者の交流、文化人の交流、また経済交流にも反対しません。しかし、われわれの方で、これを無理に要求はしません。互恵、相互主義の原則にもとずいてすすめられるならば、大いに歓迎します。

日朝交流の展望――経済・文化

美濃部 いまキム・イルソン首相が話されたことはまったく正しいことだと思います。私個人としては「日韓協定」が非常に不合理であり不当なものであることについてはよく知っております。また、総聯の人たちから、朝鮮民主主義人民共和国、即ち祖国との往来の不自由さからくる切実な問題についてもよく聞いております。わたしはこの不当な事態をなくするということにまったく賛成です。わたしはこういった事態を改善して自由な往来を少しでも実現できるよう一生懸命に努力したいと思います。
ところが佐藤反動内閣というのでしょうか、自民党保守内閣というのでしょうか、彼らは朝鮮民主主義人民共和国に対して不当な態度をとる以外ないのです。わたしはこれが実情だろうと思います。こうした事態を一日も早く解消しなくてはならないということは当然でありますが、最近になって情勢は若干好転しつつあるのではないかと思います。また、中国が国連で自己の正当な権利を回復し、中華人民共和国が唯一の正当な政府として認められました。こうした論理は朝鮮にも拡大されていくはずだと思います。すなわち朝鮮民主主義人民共和国も朝鮮を代表する唯一の正当な政府であるという考え方がつよまるのではないかと思うのです。
そうはいっても「日韓条約」がすぐさま廃棄される可能性はきわめて少ないので、そのことの実現にいたるまでには一定の時間がかかるだろうと思います。しかし辛抱強くわたしたちは努力したい、努力すべきだと思います。
そうした「日韓条約」廃棄までの段階として、文化、経済、新聞記者の交流、そして在日朝鮮人の人たちの往来の自由などを実現し、その積みあげで条約の廃棄までもってゆく。今回のわたしたちの訪問も、その第一歩です。
このたび日本の記者が貴国に入国できるようになったことに際してはすでに政府の約束をとってあり、朝鮮民主主義人民共和国の要人をお招きして、その方の訪日を受ける場合、その方に随行して記者がくるといえば、日本政府も承認せざるをえないと思います。このような方法で徐々に交流していき、やがては「日韓条約」を廃棄するところまでにもってゆきたいと思っております。
金首相 ありがとうございます。われわれはそれがすぐにできるとは考えていません。これも革命闘争ですから長期性をおびており、ながいあいだにわたってたたかわなければならないと思います。
美濃部 いうまでもないことですが、佐藤内閣が倒れたからといってすぐに万事が解決するというものではないでしょう。
金首相 その通りです。
美濃部 佐藤が問題なのではなく、保守党自体の性格が問題だと思います。
金首相 そうです。わたしは日本の記者たちに佐藤が倒れようが、第二の佐藤が登場しようが、それは日本内部の問題であるので関与しないといいました。問題は、佐藤でなくても反動的な政策を実施するのが正しくないのですから、朝鮮民主主義人民共和国にたいする政策自体を改めるようにたたかうことが重要であると話しました。
現在あなたがたがかかげている平和と民主主義、独立と中立のためにたたかうというスローガンは全面的に正しいものであり、また将来そうなるだろうと思います。民主的で中立的な日本を建設するのは、絶対に必要だと思いますし、われわれはそれを全面的に支持します。これは非常によいことだと思います。
わが国の事情については、すでに新聞記者たちにくわしくいっておきましたが、もっと知りたいことがありましたら聞いてください。
美濃部 昨夜わたしたちが音楽や舞踊の公演をみて考えたことです。日朝両国間で、一番交流しやすいのは、貴国の万(マン)寿(ス)台(デ)芸術団を招請し、同時に日本の芸術団を貴国に送ることです。これがいちばん実現しやすいのではないかと考えてみました。それをいつ頃実現さられるかと考えてみたのですが、首相のお考えはいかがでしょうか?
金首相 日本から招請さえあれば行かれると思います。この問題は「朝日新聞」編集局長がきたときに出されたと記憶していますが、かれは、具体的に百二十名ほど招請するといっておりました。これについて合意をみたとの話もあります。もしも日本が招請するならば、わが方は行く用意があります。われわれは、軍隊を送るのではなく、民間芸術団を送ろうというのです。万寿台芸術団は民間芸術団ですが、この芸術団を送ろうと思います。
美濃部 日本の芸術団を帰国に派遣する問題については、どうお考えでしょうか?
金首相 それに反対はいたしません。
美濃部 それが難しいとすれば、日本側の問題だと思います。
金首相 わが方には問題はありません。
このたびの訪問の機会にあちこちみて下さい。われわれは、いまも建設をさかんにおこなっています。人民生活をいっそう高めるため、いろんな方面で建設をどんどんしております。いたるところで建設がすすめられている状況を目にされるだろうと思います。今のところ、われわれには、いろいろな面で不十分な点がたくさんあります。それでいま大々的に建設する闘争をくりひろげております。
美濃部 現在はどの部門の建設に力を注いでおられますか。
金首相 まず電力工業部門、すなわち発電所の建設に多くの力を注いでいます。水力発電所と火力発電所などをたくさん建設しています。それに外国と契約して製鉄所も大きなものを建設しています。わが国では原油化学工業が十分に発達していません。いままでカーバイト化学工業を発展させてきましたが、六カ年計画の期間には原油化学工業に中心をおいて建設しています。いま主に化学工場をたくさん建設しています。原油加工工場もたくさん建設しています。
もっとも重要なのは、軽工業建設をさかんにすすめていることです。もともとわが国には軽工業の基礎がありませんでした。解放後、大いに力を注ぎはしたのですが、需要をみたすだけの軽工業には発展しませんでした。現在、軽工業を大々的に建設しています。
現在、日本の商人や外国の企業体がきて契約を結ぼうとしていますが、さいきん、アメリカのドルの価値が落ちているので、下手に契約すれば価格の上で損するのではないかとためらっているということです。そこでわれわれは日本のような国が、なにゆえドルを基本にしているのか、日本の貨幣とわが国の貨幣で直接計算することもでき、あるいは、小国ではあるが同様の少ないスイス・フランなどを標準にすることもできるのではないかといいました。
しかし、彼らはドル建てでやってきた習慣のせいでそうなのか、ドルで取引きしようといっていました。その後どうすすめられているのかはわかりません。
現在ドルの動揺がはげしく、危機が生じたため、ニクソンは「新経済政策」なるものを発表しました。日本はドル危機の影響をうけて相当苦境におち入っているようです。
現在、わが国は日本と小規模の取引は、たくさんしておりますが、大きな取引はまだ始められていません。われわれは自分で製作できない大型のものは、大部分ヨーロッパ諸国から買入れています。たとえば、発電機も大型のものはわが国でつくれないので、ヨーロッパの資本主義国から輸入します。小型のものはつくっているのですが、大型のものはまだつくれません。化学工場設備も大きなものはヨーロッパの国から買ってきます。日本との取引きがうまくいき、日本から買入れるようになれば、運賃も安くつき、お互いに好都合です。ところが、これがまだ解決されないので、大きな発展を見ることができずにいます。まえに日本に記者が書いたのを読んだのですが、朝鮮は近くて遠い国だといっていました。事実そのとおりです。
美濃部 おっしゃるとおりです。もし工場設備などを日本側が輸出する方針をとるとすれば、貴国では、それをうけ入れるものと考えてもよろしいでしょうか。
金首相 うけ入れますよ。
美濃部 わたしには、財界人の中にも知人がいますから、その人たちとよく相談してみましょう。
金首相 わが国の技術者たちは、日本から設備を買入れればヨーロッパ諸国から買入れるよりもよいともいっています。たとえば、昨年わが国は紡績工場設備を日本からとヨーロッパの国であるドイツから買入れましたが、日本から買ったものがヨーロッパから買ったものより、はるかによいといいます。ドイツのものが自動化の水準が高いという点もありますが、日本のものがわれわれの背丈に合うようにできているのであつかいやすく、便利だということです。また、文字も、われわれが日本語を教えるわけではないけれども、日本語に漢字がたくさんまじっているので、見るのに便利だそうです。われわれは日本の機会を買入れることに反対ではなく、賛成です。それを好んでいます。政府もそれを支持するつもりです。
美濃部 日本側がそれに見合って買入れる物資としてば、鉱物資源などがどうかと思うのですが……
金首相 鉱物資源も輸出できますし、わが国が生産するものは何でも提供することができます。われわれは大きな制限をもうけていません。というのは、わが国からこれらを買っていけないようにしたとしても、それは、日本軍国主義が復活するのを制限することができないだろうからです。買っていったにしても、何パーセントにもなりません。そのため、われわれは大きな制限をしないわけです。日本政府は戦略物資だといっておそれ、わが国にたいする輸出制限の措置をいろいろとっているようです。そうだからといって、わが国の経済建設を妨害することなどできるわけがないでしょう。
美濃部 おっしゃるとおりです。
金首相 それでは少し休んで昼食をいっしょにいたしましょう。
美濃部 ありがとうございます。

[以下は午餐会にて]
「義務教育を十年制に…」

金首相 わたしはながい演説をしようとは思いません。わたしは、美濃部先生と御一行のみなさんをいま一度、熱烈に歓迎するとともに、朝・日両国人民間の親善強化のため、美濃部先生と御一行のみなさんの健康を祝して、乾杯したいと思います。
美濃部 わたしはただ「ありがとうございます」という一言で、あいさつにかえさせていただきます。
金首相 魚の刺身はお好きですか?
美濃部 日本の刺身に似ていて、大変おいしいですね。わたしは、キム・イルソン首相がまだ山にいらっしゃった一九四〇年を前後にして約三年ばかり平壌(ピョンヤン)におりました。その当時の平壌と現在の平壌とは比較にもなりません。様子ががらりと変ってしまいました。
金首相 停戦になってから初めのうち、われわれは復旧建設の仕方をよくわかりませんでした。しかし、最初の街を建設し、つぎに二番目、三番目の街を建設していくうちに、だんだんとよくなりました。技術者もいなかったので、建設の途上で学び、実習しながら実践を通して少しずつ、改善していきました。
もともと、日本人は朝鮮人に技術を教えませんでした。日本統治の時期に、法律や医学を学んで弁護士や医者になった人は少しいました。しかし、その法律というのが天皇をあがめる法律なものですから、いまではなんの役にもたちません。朝鮮人の技術者はほんとに何人もおりませんでした。二十名ぐらいだったでしょう。いや、二十名にもなりませんでした。十五、六名いただけです。それも日本にいっていた人たちです。朝鮮にいた人は、技術を身につけることができませんでした。また、社会科学を学んだ人も少々おりましたが、それは改良主義社会科学なものですから、やはりいまでは役にたちません。
現在われわれは、自国の大学の先生をもっており、自国の技術者によって工場を運営しております。われわれは、民族幹部の養成に多くの力を注ぎました。
日本統治の時期、平壌に大同工専というのがありましたが、学生数はせいぜい二〜三百人にすぎませんでした。
美濃部 朝鮮の軽工業はどうですか。
金首相 北半部にはもともと軽工業基地がありませんでした。沙里院(サリウォン)に小さな紡績工場がありましたが、そこには五百錘しかありませんでした。南朝鮮には釜山(プサン)と仁川(インチョン)などに大きな紡績工場がありました。しかし、われわれには基礎もなければ、技術者もいないという、非常に困難な条件から出発した関係上、軽工業製品の質が向上しませんでした。技能、技術の指導が難点でした。
中国では上海、天津などに以前から軽工業が発展していました。中国にはある程度の技術者がいました。わが国とちがって、中国は完全植民地ではなかったので、民族的手工業があったのです。社会主義諸国の中で中国の軽工業製品がもっともすぐれています。
われわれは、六カ年計画の期間に軽工業を発展させようと思っています。
美濃部 製紙工業は以前からあったのですか。
金首相 製紙工業も、もともとありませんでした。日本の統治時期、王子製紙というのがありましたが、その生産能力は一千トン以下でした。現在では外国の力も借りて少しやっています。われわれは、いまフィンランドと契約を結んで製紙設備を買入れようとしています。ところがフィンランドでは大部分木材を原料としています。しかし、われわれは木材を建設に多く使わなければならないので、これも問題です。
美濃部 貴国には天然資源が豊富だということを聞いております。でも石油がないのがいちばんお困りではないのでしょうか。
金首相 石油がないから困るということはありません。われわれは、原油を中国からも買入れ、ソ連からも買入れます。さらに、エジプト、クウェート、イラクなどのアラブ諸国からも買ってきて使います。
わが国にない資源は、原油、コークス炭、ゴムです。
美濃部 工業農業展覧館を見て、貴国では人造ゴムを生産していることを知りました。
金首相 人造ゴムを生産するにはしていますが、大規模に生産しているわけではありません。六カ年計画の期間に大々的に発展させようと思っています。
美濃部 わたしたちは、昨日キム・イルソン総合大学を見学しました。ところで、キム・イルソン総合大学の学部が別々にわかれていて、いわば部分別大学になっているのですか。
金首相 いいえ、そうではありません。総合大学には専門学部がみな総合的にあります。この総合大学では、高い水準の理論と技術を学びます。総合大学のほかに工業大学があります。それに、各部門別に機械大学、軽工業大学なども別にあります。わが国には、道ごとに医学大学、農業大学、師範大学、教員大学、共産主義大学があります。共産主義大学というのは、党の働き手を養成する学校です。それに、鉱山の多い道には鉱山大学があり、炭鉱の多いところには石炭大学があります。このように地方によって水産大学もあれば、林業大学や海洋大学もあります。
美濃部 義務教育は九年制ですか?
金首相 そうです。わが国では勉強することが法的義務となっていて、勉強をしなければ国家的制裁をうけます。いまわれわれは十年制義務教育に移行する準備をすすめています。
美濃部 その九年間はどう区分されているのですか。
金首相 人民学校が四年間で、中学校が五年です。今後十年制を実施するようになると、人民学校を五年、中学校を五年にする方法もあり、あるいは人民学校を四年、中学校を六年にする方法もあります。われわれは、いま試験的におこなっているのですが、五年と五年にするのがいいのではないかと考えております。
美濃部 貴国には民族的な演劇がさかんなのですか。
金首相 現在おこなわれているのはみな民族的なものを基礎にしたものです。昔のものは封建色があり、当時の上層の者たちが好んでいたものです。われわれは現在、民族的形式に革命的内容を盛った芸術を発展させています。そこでは社会主義的リアリズムの方法に依拠しています。
美濃部 平壌には劇場が多いのですか。
金首相 多いですよ。
美濃部 映画館も多いですか。
金首相 映画館も多いですよ。市内にあるもののほか、工場や企業所、機関が所有しているものもたくさんあります。
美濃部 上映する映画は貴国の映画だけですか。外国映画は上映しないのですか?
金首相 外国の映画のなかでもいいものは上映します。テレビでも放映しています。外国映画は主に革命的なもの、教育的な意義のあるもの、歴史ものなどを上映します。外国との文化交流計画にもとづいて上映しています。
美濃部 首相が事務室で執務される時間はどれくらいですか。
金首相 わたしは昔から朝早く起きる習慣がついています。朝五時には起きます。出勤時刻は八時半ですが、それまで自宅で待っていて事務室に出かけます。夜早く帰宅したときには六時間ぐらい眠りますが、遅くなったときには四、五時間ぐらいしか眠れません。
わが国では、幹部はだいたい夜遅くまで働いてます。労働法令では、八時間労働制を規定していますが、幹部はもっと働きます。労働者はそうではありません。かれらは、八時間働いて家に帰ります。しかし、工場でも幹部は責任があるので早くは帰れないのです。
美濃部 首相は、工場や農村によく出かけられると聞いておりますが……
金首相 よく行きます。そうしてこそ、官僚主義や主観主義をおかさずにすみます。社会主義国で執権党が官僚主義と主観主義をおかさないためには、指導的立場にある働き手たちが工場や農村に出かけなければなりません。そうしてこそ、大衆の意見を聞くことができます。
ことしわが国では豊作にめぐまれましたが、天候がとくによかったから豊作になったのではありません。昨年、黄海南道で道党拡大総会がありましたが、そこへ幹部が出かけました。われわれは、この総会に当地の農民を参加させました。すると、農民のなかから田植えを五月二十日までに終えれば、一町歩あたり一トンないし一トン半を増収できるという意見が出されました。
党政治委員会ではこれを全国的に普及することにして、今年はその通りやってみました。その結果、豊作になったのです。これは、農民の意見を聞きいれた結果です。技術者とももちろん相談しなければなりませんが、それだけでは駄目です。革命というものは大衆のためのものですから、大衆の中に入って大衆とともにおこなわなければなりません。
金一第一副首相 首相が煕川工作機械工場の労働者の中に入って指導された結果、昨年に二千五百台しか生産できなかったこの工場がことしは年産一万台の水準にあがりました。
金首相 美濃部先生は、総聯の活動にいろいろと協力してくださっているようですが、今後ともいっそうのご協力をお願いします。
美濃部 できるだけのことはしたいと考えております。
金首相 われわれは韓徳銖議長に総聯が日本の法律に触れるようなことは絶対にしないようにといっております。それに、朝鮮人だけが団結するのではなく、日本人民ともよく団結しなければならないと強調しています。総聯の重要な活動は、祖国統一のための活動であり、在日同胞が朝鮮民主主義人民共和国を支持するようにすることです。それとともに、民族権利を擁護するための活動、とくに子弟の教育活動をりっぱに行なうことが重要です。美濃部先生は、朝鮮大学校の認可問題でわが国に広く知られています。先生は、今後とも、総聯の活動に協力してくださるものと信じます。もちろん、総聯自身が法に違反したなどというぬれ衣を着せられないように注意しなければなりませんが、あなたがたのような日本の進歩的な人たちがよく協力してくださればと思います。
美濃部 できるかぎりの支援を惜しまないつもりです。ところで、さいきん憂慮されるのは右翼学生らが総聯系の学校の学生に暴行を加えるという事件がひんぱんにおこっていることです。東京では近ごろこうした事件が少し減っていますが、大阪ではしばしば起こっているようです。
金首相 民族教育問題は重要な問題です。民族を形成する上で言語と文字は基本をなします。われわれは、韓徳銖議長と金炳植副議長が、つぎの世代に民族語を忘れないよう教育する事業を立派におこなっていると思います。この事業のため日本にいる同胞、とくに商工人たちが少なからぬおかねをだしています。
美濃部 よいことですね。
金首相 われわれは、美濃部先生の中国訪問問題を中国側に提起したのですが、すぐ返事がこなかったものですから、大使館を通じてちょっとあたってみました。すると、周恩来総理は、総聯の意見を尊重するといいながら、すでに東京に招請電報を送ったと知らせて来ました。われわれは、このことを大変うれしく思います。
美濃部 お力ぞえを下さいましてありがとうございます。
金首相 美濃部先生は、わが国の人民に非常にすぐれた人物として知られています。このたび、先生が反動どもの策動をはねのけ、わが国を先に訪問し、ついで中国を訪問するようになったことを、われわれは非常にうれしく思います。

一九七一年十月三十一日
十二時―十四時三十分
於 モランボン迎賓館
(知事主催答礼昼食会)

金首相 わたしは、この招待所に一年あまり来られなかったのだが、(壁にかかっている万景(マンギョン)台(デ)の風景画を指差しながら)あの絵はいいですよ。なかなかいい絵ですよ。
美濃部 あの絵をはずせば映画がみられるようにできています。昨夜、ここで『新しい朝鮮』という映画をみました。ところで、この建物はいつ建てられたものですか?
金首相 十五年ほどになります。一九五五年か五六年に建てました。成員の数が少ない代表団は、ここに多くとまっていました。いままで、スカルノ、シアヌーク、モディブ・ケイタ、コスイギン、周恩来など、多くの人がとまっていました。日本から飛行機にのって直接わが国にきたのはスカルノだけです。
美濃部 そのほかにもう一つあるのではありませんか。(笑)
金首相 それは、まっすぐにきたのではなく、ソウルを経てきました。あの事件当時、あなたがたも複雑だったでしょうが、われわれにとっても予想もしなかったことが起こりました。思ってもいなかった人たちがきたのに、日本の外務省からは送り返してほしいといってきました。われわれに、日本の警察の役割をはたしてほしいといってきたので、われわれは、それを認めることはできませんでした。直接きたのなら別ですが、途中で日本の飛行場に降りた時もどうすることもできなかったものを、われわれに捕えてほしいといいました。それは、無理な要求です。自国の警察でさえつかまえることができず、また、ソウルに降りた時にも、その飛行機がそこへ行くことがあらかじめ通報されていたにもかかわらず、どうすることもできなかったのに、われわれにたいして捕えてほしいといってきました。
その学生たちは、われわれにとってなんの必要もない人たちです。かれらがわれわれになんの必要があるでしょうか。なんの必要もありません。しかし、われわれは人道主義の立場から、かれらを送り帰すことはできませんでした。送り帰せば、かれらは日本の警察に逮捕され、監獄生活を送るようになります。かれらのうち二人が少しよくないだけで、そのほかは、みなすなおな者たちです。将来、両国間の関係が正常化されれば、かれらも日本に帰るでしょう。われわれは、かれらに君たちを逮捕しないという保障をとりつけてから、送り帰してあげるといいました。かれらの家族からわたしあてに手紙も送ってきますが、なかには、わたしがみる暇がないため、書記がそれをみて学生たちに送る場合もあります。
かれらは、軍事訓練をさせてほしいといいましたが、われわれは、そんなことはさせないといいました。朝鮮民主主義人民共和国をまもるのには朝鮮人だけで十分だから、かれら九名の手を借りるまでもありません。もしも、かれらがわれわれの銃を見たいというのなら、見せてはあげようといいました。われわれは、かれらが要求する本はみな与えており、ラジオも自由に聞くようにさせています。東京の放送もみな聞けます。
われわれにとっても、かれらの将来の問題が心配の種です。
美濃部 みなさん方には大変ご迷惑をかける問題です。
金首相 われわれがかれらを送り帰せば、日本で裁判にかけられるだろうし、そうかといって、こちらにいつまでもおいておいても、なんになりますか?すでに二年あまりの期間がすぎました。かれらが年をとれば、家族のこともいっそう心配になるでしょう。
美濃部 『よど』号事件に際してキム・イルソン首相がとられた措置は、大変適切で、しかも人道主義的な措置でした。ですから、日本国民の大部分は、キム・イルソン首相に感謝しております。
金首相 それはどうも。
小森 わたしは、日本をたつ時、ある日本の婦人からキム・イルソン首相宛の手紙をあずかってまいりました。それで、わたしがその手紙を首相にお渡ししてほしいとたのみましたが、お受けとりになりましたでしょうか。
金首相 わたしは、その手紙を昨夕みました。その女性がまだ生きて達者に暮らしているのを知り、大変よろこんでいます。
小森 中流の生活を営んでいます。
金首相 帰って会いましたら、わたしが感謝していたと伝えて下さい。
小森 必ずお伝えします。
金首相 わたしは思いだせなかったので、家族にたずねたところ、だいたい思い出せたとのことです。
わたしも記憶があいまいですが、その女性の写真をみたところ、間違いないようです。
解放直後、われわれ朝鮮人のなかに、日本人にたいする悪感情をいだいて、よくないことをした人も多少いました。
その当時、その女性が、わたしの家の近くに住んでいましたので、家にきて仕事を手伝ってもらい、一緒に過しました。さらに、その女性がわたしの息子の名前もおぼえており、また、私の弟についても話しているところからみて、間違いないようです。お帰りになりましたら、よろしくお伝え下さい。
小森 その女性は、首相のことを「金将軍」とお呼びしています。わたしが貴国にくる前に、そのひとが、わたくしのところにきまして、キム・イルソン将軍にこの手紙をとどけてほしいとたのみました。彼女は、二十五年前にあったことだといいながら、こういうことを話してくれました。彼女は、その当時、自分が日本でいちばん偉いのは天皇陛下だといったことがありましたが、キム・イルソン将軍は、それは間違っている、とおっしゃったというのです。二十五年たった今日になってみて、その時のキム・イルソン将軍のお言葉が正しく、自分の考えていたことが間違っていたことが確認されたといいながら、このこともお伝え下さいとたのんでいました。
金首相 ありがとうございます。
疲れませんか?
美濃部 わたしたちは少しも疲れておりません。
金首相 あまり緊張しないようにして下さい。
わたしも外国を訪れたことがありますが、行けば方々につれてゆかれるので、疲れる時が多いです。招待者のいうことを聞かなければならないし、行くところにはみな行かなければならないので、疲れた時が多々あります。しかし、あなたは、不便なことがあれば、いつでもおっしゃって下さい。そうすればあなたのいわれる通りにしてあげます。散歩なさってはいかがですか。コスイギンは、歩いてチェスン台に登りました。ここは反動派もいないし、空気もいいです。汚れた空気がありません。
美濃部 東京にいる時にくらべれば、本当に楽しく過しております。この迎賓館も都知事の公邸にくらべれば、本当に立派ですし、食事もおいしい。空気もきれいですし、水も澄んでいます。東京では、わたしは、いろいろな問題で悩んでいたのですが、こちらへきてからは大変愉快に過しております。
金首相 ありがとうございます。あなた方が満足しておられるので、招待者としては大変うれしいです。
それに、食物で口に合わないものがありましたが、おっしゃって下さい。そうすれば、ほかから料理士を呼んでも作ってあげることができます。
美濃部 どうもありがとうございます。
ところで、わたしたちがこちらへ来る直前に、東京都内では、ゴミ処理問題が大問題になっていました。東京では、毎日一万三千トンのゴミが出るのですが、これをどう処理するかというのが大問題なのです。わたしは、いまや東京のような大都市では“ゴミとの戦争”を宣言しなければならない時期にきたといったのですが、わたしが出発したあとに、その問題がどうなったのかが心配です。汚水は、下水道を通して流して処理していますが、ゴミが問題です。ゴミ処理のために利用してきた東京湾の埋立ても、すでに限界にきており、しかもゴミの増加率は急速です。もちろん、焼却炉をつくればよいのですが、それが住民に大きな被害をあたえることはなくても、住民はその近所に住みたくないといいます。さらに、焼却炉の建設を予定している地域の地主がこれに反対します。なぜなら、その近所に住みたいという人がいなくなるので、地価が下るためです。ゴミの問題をはじめ、大都市問題解決の基本は、土地問題にあるといえますが、かねてからわたしは、東京が社会主義諸国でのように土地が国有化されていれば、このような問題は起こらないのではないかと考えていました。わたしは、こちらにきて、このことをいっそう痛切に感じました。食事をいっしうにいたしましょう。

[以下は、午餐会にて]
歌劇『血の海』を観て

美濃部 わたしたちの一行は、貴国に到着して以来、キム・イルソン首相閣下のこまやかなご配慮のおかげできわめて愉快な日々を送っております。わたしはまず、このようなご配慮にたいしお礼を申しあげます。
わたしたちはキム・イルソン首相閣下を中心にして朝鮮民主主義人民共和国国民の皆さんが一体となって社会主義建設をいっそう前進なさるよう願っています。
最後に、日本と朝鮮民主主義人民共和国の両国間の交流がいっそう緊密になり、両国間の国交が正常化される日の一日もはやからんことを願い、祝杯をあげたいと思います。
金首相 きょう、このようなお招きをうけたことをありがたく思います。
美濃部先生と御一行のみなさんがたの健康のために、朝・日両国人民の親善、団結のために、この祝杯をあげたいと思います。
美濃部 わたしたちは昨夜、キム・イルソン首相が創作された歌劇「血の海」をみました。わたしは、もともと、むかしから日本軍隊と憲兵に憎悪をいだいていたものですので、なんら考えを異にするということはありませんでしたが、しかし、日本国民の一人として、この歌劇をみていてつらい思いをするところがあり、朝鮮のみなさんにすまないという気持をいっそう深くいたさざるをえませんでした。
もちろん、歌劇そのものが大変すばらしいものであることはいうまでもありません。
金首相 この作品は、もともと簡単な演劇でしたが、わが国の芸術家たちが、現在のような歌劇に仕上げました。われわれは現在、芸術をこの歌劇作品のような方向で、いうならば民族的形式に革命的内容をもった作品をつくる方向で発展させています。
「血の海」の内容は、過去を忘れまいという精神で教育するということが基本になっており、決して日本人民に反対するというものではありません。われわれは、この作品をつくるとき、日本人民に反対するという印象をあたえないように十分の注意をはらっています。
現在、「血の海」歌劇団が中国に行って公演していますが、中国人民もかつて、日本帝国主義の圧迫をうけたので、この歌劇の内容について多くの共感をよせているようです。
美濃部 よくわかりました。
わたしがかつて、大学に通っていたとき、植民地政策の講座を担当していた矢内原忠雄という先生がおられました。矢内原先生は『日本帝国主義と朝鮮』という著書も書かれましたが、先生は、われわれ学生に、日本帝国主義が朝鮮にたいし、どれだけ多くの悪事をはたらいたかを具体的に説明してくれました。そのとき、先生は、日本帝国主義の圧迫に抗しきれず、朝鮮の北部の人たちが“満州”にわたり、実にみじめな生活をしている事実についても話してくれました。わたしは、昨夜「血の海」の公演を思い気持でみながら、矢内原先生の講義を思いだしておりました。
金首相 当時は、朝鮮国内でも「討伐」がありましたが、一番ひどいところは巻間島での「討伐」でした。それは実に残酷なものでした。
ところが、日本軍兵士のなかにもよい人たちがいました。間島「討伐」のときにあったひとつの事実について話しましょう。
地下活動をしていた同志の一人がいましたが、かれがちょうど熱病にかかり「討伐」をうけたとき、身をかくすことができず、家でねていました。他の人たちは身を避けたのですが、この同志は身をかくすことができませんでした。かれは帝国大学出身で日本語も上手でした。そのとき、日本の将校が兵士にかれを焼き殺してしまえと命令しました。しかし、この日本の兵士は裏門を足でけり開け、その人を抱き起し、外にはい出るようにさせました。その人が畑の中にはい出したあとで、その日本の兵士は家に火をつけました。こうして、わが同志は生き残りました。この同志は戦争のさいに死にましたが、いつもこの話をしていました。これは、日本兵士のなかにも、善良な人が少なからずいたことを物語っています。
また、こんなこともありました。戦闘をしたあとでみると、日本軍がまだ使っていない弾丸を数十発ずつ手拭につつみ、木の枝にゆわえていったのをみたことがあります。
かれらは、そこに朝鮮の親友におくる贈物であると書き残したりしました。もちろん、自分たちの名前は明らかにしていませんでした。
当時、日本軍隊では軍国主義的教育を徹底的におこないました。そして、朝鮮の共産主義者は残酷だ、かれらは人間を手当たりしだいにつかまえては殺すなどと宣伝していました。そのため、日本軍兵士はわれわれに遭遇すると、最後まで反抗しました。捕えられると殺されると思いこみ、こわがってそうしたのです。ところで、当時われわれは、捕虜にした日本の兵士をつれて歩いたことがあります。かれらは、反抗する兵士にたいし、われわれは日本人だが、遊撃隊につかまってもこのように死なずに生きているから安心して出てこいと呼びかけました。
わたしが、平壌出身だということは、一九三八年までは知られていませんでした。ところが、われわれの捕虜になり、行をともにした日本人が帰り、新聞記者にキム・イルソンの故郷は平安南道大同郡のどこそこで、年はいくつだということをしゃべりました。そして、このときはじめて、わたしが平壌出身であることが知られるようになりました。
美濃部 いま、日本では、青年たちの政治にたいする信頼が殆どないといわねばなりません。かれらが、無政府的な傾向やニヒリズム的な傾向に走るのも、その基本的な原因は、政治にたいする信頼がないためです。しかし、朝鮮ではだれもがみな政治にたいする信頼感、キム・イルソン首相にたいする信頼感をいだいています。このような条件のもとでは、日本のように不良青年が生れるはずはないと思います。わたしは、このことがなによりもうらやましいです。
金首相 わたしは、全般的にみて、日本青年の中で、戦争を望む青年は、あまりいないのではないかと思います。
美濃部 しかし、日本には右翼的傾向をもつ学生が少なからずいます。かららは、最近にみられるように、総聯傘下の学校の学生たちにたいし、暴行を加えたりしています。もちろん、それほど多くはありませんが、一定の数だけはいます。これは残念なことです。
小森 日本の学生たちの中に右翼的傾向をもった学生がいるのは事実です。そして、彼らが、在日朝鮮人の一部のグループとともに総聯傘下の学生に暴行を加えている、これは、一般に伝えられていることです。こうしたことをみても、基本には、朝鮮の国土が分断されているという不幸があるといわざるをえません。もちろん、こういう襲撃事件をみてもみぬ振りをする日本警察が悪いのはいうまでもありません。
それに関連して、ひと言申し上げたいことがございます。美濃部知事が、朝鮮大学校認可問題で協力してくれたといって、在日朝鮮人のみなさんが、美濃部先生を訪ねてきて感謝の意を表しています。しかし、美濃部先生はいつでも、それは自分が当然しなければならないことをしたまでだと答えています。韓徳銖議長が指導される総聯中央本部は、東京都内にあります。東京都は美濃部知事の行政管轄下にある地域です。従ってわたしたちは、貴国と日本との間に外交関係がありませんが、実質的には総連を朝鮮民主主義人民共和国の外交機関として認めるという方向で考えています。そして貴国と連絡したいことがあれば、総聯を通して連絡をしています。もちろん日本政府は、美濃部知事のこのような措置を認めまいとしています。
すこし前、中国から王国権氏が日本にきたとき、かれは東京にある外国外交機関のなかで総聯中央本部だけを訪問しました。わたしたちも王国権氏が考えているのと同じような考え方をしています。すなわち、総聯を実質的に朝鮮民主主義人民共和国の在外外交機関として認めようということです。このような考え方を少しでも現実化する方法はあります。しかし、ここでも、そうした努力を妨害するのは、朝鮮民族が不当にも南北に分断されているという事実です。その事実が、日本政府を通して美濃部知事にもかかってきます。美濃部知事とわたしは、このたび朝鮮民主主義人民共和国をお訪ねする前に、総聯中央本部を正式に訪問しました。そして総聯の方々のご案内で中華人民共和国駐東京備忘録貿易事務所を訪問しました。知事ともなれば公式機関の人物です。その公式機関の人物が、総聯を訪問したことは、歴史上はじめてのことです。
金首相 結構なことです。大いに歓迎します。ありがとうございます。
小森 総聯の金炳植副議長が、積極的な活動をしています。あの方は経済学の勉強をされたので、きわめて経済学に明るいと思いました。
金首相 わたしはまだ、かれと会ったことがありません。将来、会える機会があるかもしれません。われわれは、かれが活発に仕事をしており、韓徳銖議長の仕事をりっぱにたすけていると思います。
小森 最近の国連における情勢などをみても、両国間の人事往来の問題は実現させる可能性があるのではないかと思います。美濃部知事とわたしが将来、相談しようと思っている問題について申し上げようと思います。『よど』号にのってきた学生は、招かれざる客ですが、美濃部知事は招待を頂いてきたお客です。そこでこのたびわれわれは、美濃部知事の名で貴国からある要人を招き、同時にカメラマンと記者が随行して来られるよう提案したいと考えております。われわれは、どなたをお招きするかという腹案をすでにもっていますが、それは、まだふせておくことにします。もしキム・イルソン首相が、われわれのお招きする人を日本に送ってもいいといわれた場合に、日本側としてはどうするかという問題がありますが、これについては福田外相は、うけいれるといいました。このためには美濃部先生は、福田外相とつよい交渉と話あいとを重ねました。その結果、福田外相はもしこんど、美濃部知事がお客を日本に招く場合、受けいれたいと答えたのです。もちろん、かれは入国を最終的に許可する権限は、自分にはなく法務大臣にあると答えましたが、わたしたちは、日本に帰れば、この問題をなんとか成就させるために努力します。場合によっては失敗することもないわけではありませんが、しかし、成功する可能性も大いにあると思います。こんごこの問題については、みなさんともっと相談してみようと思っています。
美濃部 わたしはなんとかして、このことを実現と考えています。わたしは、こうすることが、朝鮮民主主義人民共和国と日本のためになると思います。
朝鮮、中国との間に往来の門を開くことは、アジアの平和を守るために、きわめて重要だと思います。また、これは、日本が軍国主義の道を進むのを防ぐのに重要な意義があります。そこでわたしは、この問題をむしろ日本自体のために、東京都民のために実現しようとしているのです。このような方向で努力を続ければ、報道界はいうまでもなく東京都民もこれに協力してくれると思います。しかし、南朝鮮政府といろいろなつながりをもっている勢力は強く反対するでしょう。このたびわたしが、こちらにくる前にも反対派はわたしの訪問を妨げようと執ように、さまざまな動きを示しました。
わたしは、報道界の多数と国民の多数は、貴国との往来を支持するだろうと思います。反対派の主張は、でたらめな主張です。かれらは外交というものは政府のすることであり、地方自治体である東京都、およびその知事がすることではない、都知事が朝鮮民主主義人民共和国および中国を訪問し、外交をおこなうなどとは笑止である、このようにいいました。

日朝貿易の可能性と原則

小森 昨日、キム・イルソン首相は、日本との傍気を歓迎すると申されましたが、これと関連して、二つの問題についておたずねしようと思いますが、よろしいでしょうか。
金首相 どうぞ、おっしゃって下さい。
小森 申し上げます。第一に、日本の商社の中には「韓国」と取引きしている商社があります。中国は、このような商社とは貿易をしないという立場を明かにしました。貴国の政府においても、このような原則を堅持されるのかどうか、キム・イルソン首相は、これについてどうお考えでしょうか。
第二に、貿易をすすめる方法としては、現在中国との間でおこなっているように、日本側で特定の貿易機関をつくり、それを通しておこなう方法と、個々の商社同士で取引をすすめる方法があります。わたしたちの意見は、ある一か所の機関を通しておこなうのはどうかと思うのですが、貴国政府は、これについてどうお考えなのか知りたいと思います。いうまでもなく美濃部知事は、社会党と共産党の支持をうけていますが、他方では、財界の指導者の中にも親しい人が何人かいます。その人たちは、美濃部知事と個人的にたいへん親しいのですが、その多くは、美濃部知事の学生時代からの親友なのです。従ってわたしたちが日本に帰って朝鮮民主主義人民共和国を訪ねて知り、或は感じたことがらを話せば、その人たちに一定の影響をあたえることができるでしょう。同時に、いま中小企業退が“ドル危機”の波を受けて新しい市場を求めて汲々としています。美濃部知事の発言は、かれらにも影響を与えるものと思います。このような意味でわたしたちは、先ほど申上げました二つの問題についての貴国政府のご見解を知りうればと思います。
金首相 問題は、周恩来総理の四大原則のようなものををかかげるかということですが、われわれとしては、そういったことにかんして公式にのべたことはありません。周恩来総理は、朝鮮を訪問したあと四大原則というものをだしましたが、周恩来総理が、これを発表したのは、朝鮮を侵略しようとする勢力、台湾を侵略しようとする勢力、インドシナを侵略しようとする勢力を弱化しようとするところにその目的があると思います。われわれと合意のもとにそうしたのではありません。
周総理が訪ねてきたとき、日本の侵略勢力を阻止することについて一緒に討論しました。そしてそのときに、共同声明にもこの問題を入れました。
貿易取引問題については、率直に言って日本のどういう会社が南朝鮮とどれだけの取引きしており、台湾とどれだけ取引きしているのか、インドシナ諸国とどれだけ取引きしているかについて、われわれはつかんでおりません。中国の人たちは知っているかもしれないが、われわれはこういう問題についてよく知ってはいません。
そこで参考のために一度中国の人たちにたずねてみようと思っています。一線をひくことができるかどうかという問題ですが、わたしの考えでは線をひけない事情もありうると思います。
これまでは日本との貿易がそれほど多くなかったので、この問題を重要視しませんでした。日本政府がわが国に対して敵視政策をとってきたために、貿易を発展させることができませんでした。このような状態で日本との貿易に依存していては失敗することもありうるし、そうなれば、計画を遂行できないこともありうるので、日本との貿易問題を重要視しませんでした。われわれは平壌に熱暖房をいれるために大きな発電所を建設しましたが、そのときにも日本の商社と話し合いをしました。しかし、当時は、現在よりも情勢が厳しいときでした。日本の商社は、口では売るといいながら、政府に問い合わせて見なければならないとか、できるかどうかわからないなどといいました。そこでわれわれは、やむなく西ドイツから発電機を買入れなければなりませんでした。われわれとしては、西ドイツから買おうと日本から買おうと、ポンドやドルが支出されることにかわりありません。いままで日本の会社とは大きな取引きはありませんでした。あったとすれば小さな取引きだけです。
もしも日本政府がわが国との貿易の道を開こうというならば、われわれも政策をかえることはできます。政府で日本との貿易額をどれほど増やすべきかという問題を検討することもできます。これまでこのような問題を討論したことはありません。わが国は日本との貿易が多くないので中国のように条件をつけたりしませんでした。もし日本政府がわが国と貿易を行なう可能性のあることが確実になれば、政府でこの問題をあらためて討議するようになるでしょう。
以前は、主に共産党・社会党系の商社と小さな取引きをしただけです。ところが今年になってはじめて自民党系の財界人数名がわが国を訪問しました。最近その報告を聞きましたが、わが方からかれらにいくつかの工場の設備問題を出したそうです。かれらはそれが可能だといい、合意書までつくって帰りました。かれらはわが国の技術者を招いて、工場を見せるといいました。技術者の入国査証手続きをとるために写真を送ってほしいというので、写真も送りました。結果がどうなるかは、しばらく様子をみなければなりません。
かれらは台湾、南朝鮮などをすでにおとずれており、わが国には初めて来たのですが蒋介石、朴正煕からわれわれについての悪宣伝を相当聞かされたようです。こんどかれらは中国を通ってわが国に来ましたがわが国の外務省に自分たちの身辺の安全を保障してほしいという要求までだしました。最近の通信をみると、南朝鮮当局はかれらがわが国を訪問したことをどうして知ったのか、日本政府に抗議したそうです。ともかく、結果は待ってみなければわかりませんが、こんご試験的にこうしてみて、もし日本政府が、わが国と貿易する可能性をみせるならば、わが政府としても検討してみます。そして中国側とも話し合って歩調をあわせるようにします。わたしがすでにのべたように、日本政府がわが国との貿易に大きな制限を加えない限り、われわれとしては反対しないでしょう。むしろやるからには、広くやりたいと思います。ひと言でいって、日本との貿易をどうすべきかという問題は、まだ党中央委員会や内閣で検討したことがないので、これから情況をみながら、検討してみたいと考えています。
おそらく、社会主義諸国の中で日本との貿易額がいちばん大きいのは中国ではないかと思います。
われわれが日本軍国主義に反対することについての論説を発表したあと、ソ連も日本との関係について神経をつかいながら、ソ連政府が日本との貿易を行なう問題についてどのように考えているのかと問合せてきました。われわれは貿易をすることには反対しないと答えました。今年、ソ連の人たちがわが国にきましたが、かれらにも思想闘争は思想闘争であり、貿易は貿易であるといいました。
小森 キム・イルソン首相からきわめて重大なお話をうかがいました。また、首相は、昨日、教条主義はとらないといわれましたが、そのことばがわたしの耳にまだ残っています。そして、いま、首相は貿易についても、弾力性のある政策をとるとお話しになりました。
ところで、さきほど日本軍兵士のなかにもいい人がいたというお話しがありましたが、日本の資本家のなかにも、もちろん資本家というわくのなかではありますが、いわばよい資本家と悪い資本家がいるといえます。
もし将来、経済使節団が貴国を訪問するとすれば、その使節団の主要なメンバーとは先ほど申し上げた美濃部知事の友人たちでありましょう。かれらは、日本独占資本家のなかでも、もっとも代表的な資本家です。しかし、かれらは、日本の資本家のなかでも比較的自由主義的傾向というか、進歩的な思考方法をもつといわれている「経済同友会」の指導者たちでもあります。
今年、自民党系の資本家が貴国を訪問したそうですが、わたしは、その人の名前は知りませんが、こんど美濃部知事が帰って、さきほど首相がいわれたような内容を財界の指導者たちに話せば、かれらは朝鮮民主主義人民共和国に行ってみたいというかも知れません。この場合、美濃部知事が有力な財界人で使節団をつくり、貴国に派遣したいといえば、うけ入れて下さるでしょうか。
金首相 うけ入れます。
美濃部 小森君もいいましたが、たしかにわたしは、社会党と共産党の支援をうけている者ですが、同時に資本家とも多少の関係があります。このたび、朝鮮に向かう前に、日本航空の社長がわたしのところに来て、機会があれば朝鮮民主主義人民共和国と中国の指導者の方々とあって、日本の航空機と両国の航空機との相互飛行についてどう考えているのか、一度おたずね下さいとたのまれました。すなわち、日本の旅客機が平壌飛行場に来るとともに朝鮮の旅客機も東京の羽田飛行場に来るようにしようというものです。わたしは彼に、それはまだはやすぎる、飛行機の往来は人間の往来を前提とすべきなのに、まだ人間の往来問題も解決がむずかしい状態のもとで、これをとび越えて飛行機の往来問題から手をつけようというのはあまり早すぎる、このようにいってやりました。すると彼は、それでは、人間の自由往来が実現した場合は、飛行機の自由往来が可能なのかどうかをたしかめて欲しいといいました。
かれは、機会があれば一度、おたずねしてほしいといっていましたが、ちょうど今日は、その機会だと思い、申しあげる次第です。
金首相 全般的にみて、かれがそういう話をしたのは、何もよくない意図からではないと思います。なぜならば、これは結局、日本政府のわが国にたいする非友好的な敵視政策を排斥する運動のひとつのあらわれであるからです。そういう考えが悪いものだとは思いません。それを実現させるために、日本反動政府に圧力を加え、かれらがわが国にたいする敵視政策を止めるよう闘争することはよいことだと思います。
通信によれば、中国と日本の間に国際電話が開通し、二四時間通話できるようになったということですが、これもよいことだと思います。わたしは、航空会社の意図は悪くないと思いますし、日本政府の立場がどうであるのかは、しばらく様子をみなければならないと思います。
小森 よくわかりました。
貿易問題と関連して、重要な問題をもうひとつ申しあげたいと思います。いま日本政府としては、朝鮮民主主義人民共和国と貿易をする用意があると公式には言いにくい立場でありましょう。日本政府は、なかなかそういうことをいいそうにありません。しかし、日本政府が必ずしも公式態度を表明せずとも黙認するという前提のもとで、日本と大きな貿易をすすめる問題について意見交換をすることができるとお考えでしょうか。
キム・イルソン首相は、昨日、日本との貿易問題は日本政府の態度にかかっているといわれましたが、政府が見ぬふりをして黙認する場合、日本と貿易をすることができるとお認めでしょうか。わたしがこのようなことをうかがうのは、この問題にたいする理解をいっそう正しくするためです。
金首相 そうすることも悪くはないと思います。日本政府もそのようにしていこうという意図ではないかと思います。南朝鮮もしきりにうるさくいうので、そういうふうに黙認する方向でやろうということも考えられます、朝鮮大学校の認可問題にしてもそうだと思います。日本政府が法的には、朝鮮大学校の認可を認められないとしながらも、現在、実質的には黙認しています、日本政府は、かつてわが国にたいしておかした罪があまりにも多く、それを一度に改めることはむずかしいので、あるものは黙認しながら徐々に改めていこうという方針をとっているようです。
いくらか前に「朝日新聞」後藤編集局長がわたしにつぎのような質問をしました、国連での中国代表権問題で、アメリカと日本が手を組んでいることについてどう思うかと聞きました。
そこでわたしは、こう答えました。アメリカは蒋介石のような手先が多いだけに、かれらのまえでは体面も保たねばならないので、その場ですぐに出て行けなどとはいえないでしょう。国際潮流によって問題が可決されてしまえば、大勢がそうなのだから仕方がないではないか、それでもわしはおまえを支持してやったではないか、こういうふうにいおうとしているのだ、こういうわけでアメリカは二重の案を出しているのだ、と、わたしは後藤編集局長にいいました。
実際、ニクソンは体面を維持するのさえむずかしくなりました。
通信によると、アメリカは、こんどの国連総会で中国問題についての投票のさい、八つのアフリカ諸国が約束を破って中国を支持する投票をしたといって非難しました。
しかし、それらの国は共同で投票しようと約束したことはないと反ばくしました。
これをみても、アメリカはいましかたなしに、そうした政策をとっているのではないかと考えられます。ニクソンが中国を訪問すること自体が、すでに蒋介石追出しに拍車をかけたものではありませんか。
日本政府の政策もそうだろうと思います。もし日本政府が美濃部先生のこのたびのわが国訪問を絶対に反対する立場であれば、どうして南朝鮮が反対したのに黙認したのでしょうか。
美濃部 長時間にわたって有益なお話をして下さいましてまことにありがとうございます。では、この辺で……。
金首相 今日、このようにお招き下さったことにたいして重ねて謝意を表します。




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